高専教員技術職員

これからの時代は手に職を。仕事と育児を通じて感じた「できることが増える喜び」とは

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「言いたいことを言うのは、やるべきことをやってから」と語るのは津山高専 技術職員の谷口亜紀子先生。幼い頃から進むべき道を明確に定め、常に挑戦されている谷口先生に、津山高専時代のエピソードや母校で働くうえで感じている思い、そして今後の展望を伺いました。

いとこの存在が高専への道を開いた

-津山高専に進学を決めたきっかけは?

学生がPCに向かって学んでいる隣で、サポートする谷口先生
情報工学実験Ⅳ 授業中の一コマ(2013年)

もともと小さい頃から「手に職を付けたい」と思っていて、商業系か工業系の学校に行くと決めていました。東京でプログラマをしている20歳年上のいとこがいるのですが、いろいろ未来の選択肢を広げてくれました。その選択肢の中に津山高専がありました。

小学校の時の夢は「プログラマ」でしたね。卒業文集にも書いた記憶があります。「これからの時代はパソコンを使った仕事なら食べていける!」というイメージがありましたし、いとこが「理系のセンスがある」と褒めてくれたこともあり、早い段階で専門職に進むことは決めていて、推薦で津山高専に進学しました。

-高専での生活はいかがでしたか?

屋外にて、後輩たちとメダルを手にピースサイン
ハンドボール部の後輩たちと。私たちの代は全国大会でメダルが穫れなかったので、
卒業後に後輩たちが獲ったメダルをプレゼントしてくれました

1年生のときに、恩師の一人でもある杉山琢也(たくや)先生に数学を教えていただいたのですが、本当にわかりやすくて。「あ、こうやったら出来るんだ!」というひらめきが達成感につながって「数学を頑張ろう!」と思えたのが、その後の勉強をスムーズにしてくれました。理系に対する敷居が低くなって、3年生になったときに成績がぐっと伸びたんです。

部活では2年生からハンドボール部のマネージャーをしていました。みんな真剣にやっていたのですが、全然勝てなくて。でも3年生の時に、中国地区予選を2位で通過し、全国大会に行くことが出来ました。

その地区予選の代表決定戦はなかなか決着がつかず、延長戦のさらに後半まで戦いました。試合中は祈ることしか出来ませんでしたが、最後の最後に2点差で勝つことができました。勝った瞬間に普段クールなキャプテンがベンチに向かって雄叫びを上げて。今でもそのシーンは鮮明に思い出しますし、鳥肌が立ちますね。

結婚、出産、離婚を経験して痛感した自分の価値観

-最初は企業へ就職なさったんですね。

息子さんと、小学校の卒業証書授与式にて、記念撮影
息子の小学校卒業式にて(2021年)。ここまで育ってくれて一安心しました

「高専を卒業したあとは地元企業に就職したい!」という思いが強かったのですが、卒業研究の指導教員に薦めてもらったのがきっかけで、東京に本社を置くNECフィールディング株式会社に就職しました。

立ち上げたばかりのセキュリティ部門に配属されたのですが、未知の分野だったので死にものぐるいで勉強しましたね。「言いたいことを言うのは、やるべきことをやってから」が私の信条なので、自分の意見を言うためにはできないといけないでしょう?(笑)。初めての都会でカルチャーショックもありましたが、岡山出身の方や津山高専出身の先輩もいて、人に恵まれていたなと思います。

でもやはり地元に帰りたい気持ちが強くなり、会社を辞めて地元の職業訓練校に1年通いました。今まで情報系のことしか勉強してこなかったので、お金の流れなど他の勉強がしたかったんです。パソコン演習を含む情報系科目と簿記の授業が半々のタイムスケジュールだったのですが、割と楽にこなせました。「高専の勉強はレベルが高かったんだな」と思いましたね。

-その後、結婚・出産・離婚を経験されたそうですが、お考えに変化はありましたか。

PCを前に座る子どもと、あたたかく見守る保護者との間で、しゃがんで子どもにレクチャーする谷口先生
公開講座にて(2021年)

職業訓練校を卒校したあと、地元のシステムエンジニア会社へ就職しました。趣味でバレーボールのサークルに入っていたのですが、そこで出会った方と結婚して、息子を出産しました。でも息子が産まれたぐらいから、主人と価値観の違いを感じ始めて。

私は「仕事も育児もどっちも100%で頑張りたいし、仕事も人生においてかなり重要」という考えですが、主人は違いました。私の高専在学時は一学年に10人ぐらいしか女子学生がいなくて、その環境の中「自分なりに頑張ってきた」という自負があって。せっかく手に職を付けたのにそれを捨てるという選択肢を取れず、違う道を歩むことにしました。

そもそも子育てと仕事の喜びって全然違うんですよね。子育ては、人を育てるわけですから、全然思い通りにならない(笑)。息子は息子のペースで、出来ることがひとつずつ増える。でも、仕事は自分がやったことが100%結果で返ってくるわけですから、自分が達成する喜びを感じることができる。その喜びって別物で。

息子には、「知識と努力は自分を助けるから、毎日コツコツ努力しよう」と日々伝えています。やっぱり「出来ることが多いほうが、自分の人生をより豊かにできる」と思うので。息子は今中学生ですが、頑張って勉強しているみたいです。

「学生たちの、心のよりどころになりたい」。達成したい今後とは

-現在は、母校の津山高専で技術職員をされているんですね。

マイクや機材などがある室内で、学生さんたちに説明している様子
学生時代のオープンキャンパス(2000年)。音声処理のブースを担当しました

産休明けで前職に復帰した際に、仕事と育児の両立に悩んでいました。そのときに、津山高専のオープンキャンパスで講演する卒業者としてお声がけいただいて、それがきっかけで技術職員の道を選びました。

授業では、はんだ付けの実験やプログラミングの演習など、基礎から応用まで幅広く担当しています。「ひとつでも何かを習得して帰ってもらえたら」というのは常に意識しています。

技術職員は学生にとって身近な存在なので、「教員に聞きにくいところも、技術職員なら聞きやすい」ということもあるかと思うんですよ。なので、技術職員間で授業の様子などを情報共有して、「学生の特性に合わせて伝え方を変える」など、工夫を凝らしています。学生にとって、「心のよりどころ」となれるような存在でありたいですね。

今の時代、「結婚して退職して終わり」というわけにはいかないので、女子学生にも手に職を付けてもらい、キャリアを継続してほしいと願っています。高専女子のキャリアに関して調査研究を行っているのですが、キャリアの選択肢が学生時代に知識としてあると、今後の人生が変わっていくと思うんです。いつか形にして世に出したいですね。

-高専を目指す中学生に、メッセージをお願いします。

津山高専は、1年次に専門を決めなくていいんです。学科が「総合理工学科」ひとつなので、1年間いろんな授業を受けて、2年進級次に自分の専門系を決めることができます。実際に体験して、自分の興味や特性を知ることができますよ。

部活動も楽しんでほしいですね。専攻科も合わせると、6つ歳の離れた先輩と生活を送ることになるので、社会の縮図だと思うんですよね。そこでいろいろな体験もできると思うし、チャンスもいっぱい転がっていると思うので、ぜひ楽しんでほしいですね。

谷口 亜紀子
Akiko Taniguchi

  • 津山工業高等専門学校 技術部 技術専門職員

谷口 亜紀子氏の写真

2001年3月 津山工業高等専門学校 情報工学科 卒業
2001年4月~2006年2月 NECフィールディング株式会社
2006年4月~2007年3月 津山高等技術専門校
2007年5月~2011年3月 地元のシステムエンジニア会社へ就職
2011年4月 津山工業高等専門学校 教育研究支援センター 着任
2016年4月 技術部へ名称変更 現職

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北野様
アルバイト、闘病、フリーランス、転職——人生のさまざまな場面で道を切り拓く、高専で培った知識と技術
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