明治乳業の研究員から高専教員の道に進まれた沖縄高専 生物資源工学科 教授の池松真也先生。これまでのご経歴や研究内容、教育への取り組み方などについてお話を伺いました。
会社員として働きながら、医学博士を取得
―まずは先生のご経歴を教えてください。
北九州の小倉高校を卒業後、産業医科大学、鹿児島大学、大学院では医学部の生化学教室で研究させていただきました。村松喬先生の研究室に在籍させていただいていたのですが、先生が名古屋大学に移られたタイミングで、私は明治乳業に研究員として就職することになりました。
あるとき会社で、新しい医薬品開発の研究課題社内公募がありまして、私は村松先生と一緒に研究していた「特別な遺伝子がつくるタンパク質」を医薬品にすることを提案し、採用されました。
そこから村松先生の研究室と明治乳業で共同研究が始まり、私は明治乳業の研究員のまま名古屋大学大学院で研究生として約5年間を過ごし、医学博士を取得しました。会社員として働きながら博士号を取得することはかなり珍しく、名古屋大学の医学部では私で2人目だったようです。
―名古屋大学では具体的にどのような研究をされていたのでしょうか。
「ミッドカイン(Midkine)」という遺伝子に関する研究です。この遺伝子がつくるタンパク質が、がん患者の体内に多く存在することが判明しましたので、がん治療のための研究を進めていました。しかし医薬品完成までに10年ほどの長い時間と、莫大な費用もかかるので、乳業会社として負担が大きいと上司に言われ、諦めかけていました。
そこでひらめいたのが、「診断薬にする」ということ。診断薬であれば年数も費用もコンパクトになるので、障害はなくなります。「がんの診断薬」ということで、たった一滴の血液から、がんになっているかを判別するための研究を進めることができました。
―そもそも、医学の道に進んだきっかけは何ですか?
私の母が私を出産した後から体調を崩し、現在の医学では治せない自己免疫性疾患になってしまい、ずっと入退院を繰り返していました。私が高校3年生のとき、母が泣いていたので話を聞くと、「もう病院に来なくていいですよ」と言われたみたいです。治すことができないから、先生がそうおっしゃったみたいですけども、その姿がかわいそうで…。
当時は野球中心の生活をしていて、野球で食べていくつもりでしたが、母のために医学の道に進み、私が母を治すことを決心しました。
研究員から、高専教員の道へ
― 一度ご就職された後、高専教員になったきっかけは?
会社が 研究開発を『LG21』や『R-1』のヨーグルトなどにも拡げていくことと並行して、私も次のステップを考えるようになり、学校の先生になり、若い人たちに自分の経験を伝えたいと思ったことがきっかけです。
そのように考えていた時に、新たに開校する沖縄高専で生化学教員を公募している情報を知人から聞き、応募しました。最終面接のときに初めて沖縄に行ったのですが、実は高いところが苦手で…(笑)。飛行機にとても緊張しました(笑)。
そして沖縄高専の教壇に上ることになりましたが、人に何かを教えた経験は塾講師のアルバイトくらいで、教えることの難しさを痛感しましたね。私は20代前半まで様々な先生の授業を受けたので、そのときの経験を活かして、どう伝えれば学生は理解できるのかを常に考えながら授業を行っています。
あまり成績が良くない学生の中には、そもそもどこがわからないか把握できていない学生もいます。その学生たちを鍛えてトップクラスにすることが、高専教員の醍醐味の1つだと思っています。
―その人材育成の方針が、「九州工学教育協会賞」の受賞につながったのでしょうか?
「バイオインフォマティクス技術者認定試験」というものがありまして、これは大学院博士課程以上を対象にした試験ですが、本校の学生も受験し、最年少合格を3度も更新しています。
次は中学生でないと最年少合格にならないところまで来たので、学生たちも随分頑張ってくれたと思いますし、そういったことが評価されて私も賞をいただけたのかなと思っています。
―「バイオインフォマティクス」とは何でしょう?
生物学(バイオ)と情報処理(インフォマティクス)の接点にある学習領域の分野を指します。例えば、COVID-19はアルファ株から始まり、最近はデルタ株が流行していますよね。この株の遺伝子を調べることが“バイオ”の領域で、特定の株が社会でどのように流行しているのかをデータ処理するのが“インフォマティクス”の領域です。
この2分野どちらも対応できる人材を“バイオインフォマティシャン”と言い、高度な人材になるとデータの採取から、理解・解析・情報としてまとめ上げるまで一人で完結させることができます。
バイオインフォマティクスは非常に注目されていて、大学・大学院・企業など、さまざまな組織で力を入れている分野です。大学・大学院でも人材が足りていないようで、私の研究室で一生懸命勉強している学生は、すごく人気がありますね。沖縄県外の多くの先生から声をかけられています。
―今はどのような研究をされていますか?
沖縄県にある大宜味村の長寿に関する研究です。大宜味村は日本一長寿の村で、90歳以上の女性の腸内に、どのような長寿の秘訣があるのか調べています。
村では週1回公民館で、高齢の方たちも参加する談話会を開催しているので、村長さんや福祉協議会の方々にお願いしてチラシを配布させていただきました。すると60人以上も集まり、人数的に断らないといけなかったのですが、「なんで私はダメなの?」と涙を流す方もいて、大変な騒ぎになりました(笑)。
結局、希望者全員に参加していただきましたが、やはり腸内に秘訣がありました。長寿は代々続いているので、お子さんやお孫さんなどを調べていくと、さらに秘訣が明らかになるのではないかと。
それを調べるときに、私たちが得意としている「次世代シーケンサー(遺伝子を調べる装置)」と「バイオインフォマティクス」の力をうまく組み合わせることで、より詳しく解析できると考えています。
感染症に打ち勝つ社会をつくるために
―沖縄高専は「GEAR5.0」プロジェクトの中核拠点校なんですね。
GEAR5.0(未来技術の社会実装教育の高度化)は「マテリアル」や「福祉医療」など5つの分野がありますが、そのうちの1つである「防災・減災・防疫」を沖縄高専が中核となり、鶴岡、長岡、和歌山、宇部と協力して挑戦しています。実は全国の高専で“生物資源工学科”があるのは、沖縄高専だけなのです。
さらに私も企業でウイルスや微生物を扱う仕事を経験していることもあり、「COVID-19に挑もう!」と大胆なことを提案しました。これに対して、高専がどのように社会貢献し、社会実装できるのか。ユニットリーダーとして、大きなチャレンジに取り組んでいます。
―最後に、今後の目標を教えてください。
多くの人たちが、健康で楽しい人生を過ごせるお手伝いをしたいです。例えば、長寿の方の体内を研究することから派生して、サプリメントを作ることができれば、体内に不足しているものを補い、元気に長生きできると考えています。
またCOVID-19のように、これまで経験したことがない感染症に対して、バイオインフォマティクスで原因を究明し、社会貢献できる人材を1人でも多く育てたいですね。これらの目標を達成できるように、定年まで頑張っていきたいです。
池松 真也氏
Shinya Ikematsu
- 沖縄工業高等専門学校 生物資源工学科 教授
1986年 産業医科大学医療技術短期大学 衛生技術学科 卒業
1991年 鹿児島大学 理学部 生物学科 卒業
1993年 鹿児島大学大学院 理学研究科 修士課程 卒業
1993年 明治乳業株式会社(現: 株式会社明治) 入社
2003年 名古屋大学大学院 医学系研究科にて学位 博士(医学)取得
2006年より現職
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