津山高専の情報工学科を卒業し、2023年に株式会社Hoche(オッシュ)を立ち上げた小川勝也さん。学生時代は部活に明け暮れる毎日でしたが、振り返ってみると、現在に至るまでの過程には高専で過ごした時間が不可欠だったと話します。高専卒業から現在に至るまでの経緯を伺いました。
「普通」に憧れた高専時代
―小川さんが起業された株式会社Hocheについて教えてください。
化粧品や健康食品のコンサルティング・マーケティング支援に特化した会社です。強みは、ほとんどが元メーカー出身者のメンバーで構成されているので、クライアントの課題キャッチアップに長けているところです。現在はアルバイトも含めると約20人が在職しています。
2023年11月に設立したばかりではありますが、これまで韓国コスメブランドのMEDIHEAL(メディヒール)やJUNG SAEM MOOL(ジョンセンムル)といった企業の日本進出をサポートし、プランニング設計、ECサイト制作、CRM(※)支援、SNSアカウントの運用、広告運用、モール運用を手掛けました。
※Customer Relationship Managementの略。顧客との関係を管理し、良好に築くためのシステムのこと。
―もともとIT系の仕事に興味があったのでしょうか。
そうですね。幼い頃から自宅のパソコンを自由に使って良い環境にあったため、ブラインドタッチは8歳でマスターしていました。父から勧められたオンラインゲームに夢中になり、小学5年生頃にはソフトウェアの仕組みに興味を持つようになったと記憶しています。
決定打となったのは、姉がエンジニアを目指して津山高専に通っていたことです。必死に勉強する姿を見てかっこいいと思いましたし、姉から高専の話を聞くたびに「自由な校風」や「理数科目に強い人が集まっていること」に惹かれていきました。そして、文化祭に参加した際に「自分もここで情報系のエンジニアを目指したい」と意思を固めました。
当時は、両親から「しっかり勉強をして高専に行けば就職先に困らない」と言われ続けていたこともあり、自分の中では「進学先は高専が当たり前」とさえ思っていたんです。中学の同級生と進路の話をした際には「あれ? みんな高専に行くものじゃないのか?」と、カルチャーショックを受けました(笑)
―実際に高専に進学してみて、いかがでしたか。
入学して最初のテストは学年5位だったのですが、次のテストは最下位に近い順位に……やはり優秀な学生が集まっていて、勉強のスピードにもついていくのがやっとでした。当時は普通高校に転校しようと思ったこともあります。勉強がしたくないというよりは、中学の同級生たちが普通高校に通って“普通”の高校生として楽しんでいる様子を見るたびに、羨ましいという感情が消えなかったのです。
しかし、自分が高専を選んだ目的は何だっただろう? 楽しさを優先して普通高校に行ったとして、果たしてそこで頑張れるのだろうか? と考えたとき、「やっぱり今の場所で努力をしなければ意味がない」と思いとどまりました。
―高専で何か打ち込んだことはありますか。
正直に言うと、私の最終目標は「就職」であり、進学はあまり考えていなかったため、勉強に対するモチベーションは高くありませんでした。その代わり、ハンドボール部にすべてのエネルギーを注ぎ、毎日、午後3時から昼練、夜7時から夜練を行い、深夜に帰宅してからもトレーニングを続けるという生活を卒業まで続けました。
また、私が所属していたハンドボール部は、顧問の指導に従うというより、部員一人ひとりがルールや戦術を勉強し、学生が戦略を練るという「自主性」が非常に重んじられていました。どうすれば他校と練習試合ができるか考え、Twitter(現:X)で「ハンドボールあるある」をつぶやくbotアカウントを作成し、フォローしてくれた他校のハンドボール部員にDMで練習試合を申し込んだこともあります。このときの行動力は、今に生きていると思いますね。
2年生のときは、部員不足で廃部の危機に直面しましたが、帰宅部だった同級生に声をかけ、9人の新しい部員を迎え入れることに成功しました。そして、4年生では全国高専で3位に入賞し、全国の高専のハンドボール部と顔見知りになることができました。現在は高専出身のメンバーで構成されたハンドボールクラブに入り、東京都社会人リーグで男子1部に所属しています。かつて全国高専大会で戦った相手と、今は一緒のチームで共闘することができていて、感慨深いです。
自分の「やりたい」に正直に生きる
―卒業後、就職先に山田養蜂場を選んだ理由を教えてください。
住み慣れた地元の企業だったことや、高専での学びが活かせるという点から選びました。先輩方が数年に一度入社している実績もあって、快く受け入れていただきました。
山田養蜂場は健康食品や化粧品、自然食品を扱う会社で、いわば通販における老舗企業です。私はエンジニアとして採用されたのですが、個人的には「ここなら総合職としての道もひらけるかもしれない」という思いもありました。IT一本の会社ではなく、通販会社に就職を決めたのはそんな理由もあります。
ですから、入社後は「いろいろやらせてほしい」と自ら志願しました。もちろん会社からは「システム室に配属したい」と言われていたのですが、「営業で結果を出すので、それを見てから決めてください」と啖呵を切って、実際にコールセンター業務で社内1位の実績を残しました。その後は「人事をやらせてください」と懇願し、採用や社員教育にも関わらせていただきました。
一方、山田養蜂場は1000万人を超える顧客データを保有していたものの、販売促進にはなかなか活用できていない課題がありました。そこで、これらのビッグデータを解析してマーケティング戦略を立案する部署を立ち上げることになり、入社3年目にして、私もメンバーとして声をかけていただきました。
マーケティング系の部署に配属されてからは、どんどん仕事にのめりこんでいきました。1年で150冊のマーケティングに関する本を読み、会社の全ての数字にアクセスしながら本に書いてある理論を日夜検証していきました。
全体の売上だけでなく、売れ筋商品や購入者にはそれぞれどんな特徴があるのか、コールセンター一人ひとりの稼働実績や改善方法、DMの送付対象、コロナ禍の影響など……それらの特徴を全て数字として打ち出し、それを基に販売促進手法を考案するという仕事が、とてつもなくおもしろかったのです。
―マーケティングに熱中できたのは、探究心からでしょうか。
完全に、探究心からですね。もともと数字を扱うことは好きなので、数字を通して会社の状況や情報が見えてくるところにたまらなく興奮しました。「この数字から何が読み取れる?」「こうしたらもっと成果が出るだろうか?」と、何度も検証を繰り返していました。
ただ、当たり前のことですが、どんなに根拠を持った施策や提案を打ち出しても、上司や現場がその通りに動いてくれるわけではありません。大企業ならではの、決定までに時間がかかってしまう点は、自分にとって大きなネックでした。
そんな矢先、より自分の裁量権が大きい環境に身を置くには……と頭を悩ませていたところに、社内で子会社を設立する新規事業プロジェクトの話が舞い込んできたのです。すぐに手を挙げて、社内でも推薦していただき、この子会社を任せていただくことになりました。これが経営者への第一歩だったと思います。
―設立した子会社ではどんなことをされたのでしょうか。
親会社である山田養蜂場から初期融資を受けて、部下1人と美容系サプリを販売する子会社を任せてもらいました。それ以外は一切、親会社の取引先やリソースは使わないという条件付きで、自社ブランドを立ち上げ、商品をつくり、オンライン通販に必要なシステム導入や、倉庫・在庫管理、カスタマーサポートまで、全て担いました。
マーケティングの知識を実践したいと思って立候補した子会社設立ですが、実際に事業計画の立案や融資計画、販売戦略や商品開発を経験し、マーケティングや経営においての力をつけられたと思います。特に、販売環境や分析環境、システム面を自分の希望通りに設計できたこと、そして決裁権を一手に引き受けたことで、スピード感のある経営が実現できたことは大きなやりがいでした。
最終的には成功を収め、ブランドごと親会社に吸収される形となりました。成功の要因としては、高専時代に学んだSQLやDBなどのプログラミング言語を活用したデータベースマーケティングが大いに役立ったと感じています。
当時の私はまだ24歳で、世間知らずながらも熱意と行動力だけはありました。そんな私にチャンスを与えてくれた山田養蜂場には、心から感謝しています。ただ、この経験を経て私の中では「マーケティングスキルを活かした起業をしたい」という思いを抱くようになったのです。そのためには、今の会社で働き続けることや、別のメーカーへ転職することではなく、広告代理店やコンサルティング会社で、多くのクライアント事例や実績を積み上げることが重要だと考えました。
そこで、5年2カ月お世話になった山田養蜂場を退職し、D2C(※)コンサルティングやマーケティングの総合支援をしているスタートアップ会社の事業部の責任者として転職しました。そして、元メーカーとしての強みや分析力を活かしながら実績を重ね、転職先の部署を1年で7倍まで売上を引き上げました。
※Direct to Consumerの略。自社サイトで消費者に直接商品を販売するビジネスモデルのこと。
―新卒から勤めた会社から転職して、自分の新たな強みは見つかりましたか。
新たな強みというよりは、「自分は広い世界でも戦っていける」という思いが確信に変わりました。また、私は決して真面目な高専生ではありませんでしたが、それでも高専の5年間で触れた理数の感覚や論理的思考が武器になっていることも感じました。
そして、2023年に株式会社Hocheを立ち上げて今に至ります。
高専で過ごした「時間」こそが、なによりの価値
―起業をすることは、高専時代から考えていたのでしょうか。
実は、ハンドボールの高専大会で意気投合した他校の友人と「32歳になったら一緒に起業しよう。それまでに、お互いできるだけ多くの経験を積もう」と話したことがあったんです。
当時は漠然と考えていただけで、明確に「そのためにこの仕事をする」といった将来設計までは見えていませんでしたが、新卒で入社した山田養蜂場でたくさんのことをやってみようと思えたのは、この時の約束があったからだと思います。
現在、起業して1年が経ちました。睡眠時間が減るなど、肉体的には大変な面もありますが、好きなメンバーと共に、好きな仕事に取り組めていることが非常に楽しく、毎日ストレスフリーで仕事に打ち込むことができています。
今の一番の目標は、「日本全体のマーケティング力を向上させること」です。日本はものづくりの分野で非常に高いレベルを誇りますが、マーケティングにおいてはまだ成長の余地が大きいと感じています。当社では学生のインターン採用も積極的に行っていますが、彼らが将来的に弊社で働かずとも、別の会社で私たちのノウハウを広めてくれることがあれば、これ以上うれしいことはありません。実績を重ねて、いずれは古巣の山田養蜂場にも恩返しをしたいと考えています。
―高専生で良かったと思うことはありますか。
なんと言っても、周りの普通科の高校生と比較して、理数科目や専門科目への比重が大きいことです。現在の仕事の基礎になっているSQLは、高専で学んでいたからこそすぐに取り組めました。そして、何よりの価値は、そこで学んだことよりも「触れてきた時間」だと思います。論理的思考が標準化されている環境で15歳〜22歳の大切な時間を過ごしたことは、将来、必ず武器になります。
―高専生にメッセージをお願いします。
貴重な10代の5〜7年という長い年月の間、モチベーションをキープすることも、勇気を持って進路を変更することも、簡単ではありません。また、ダラダラと過ごしてしまうと、ほかの学校の学生と比較しても失うモノの対価は大きくなります。しかし、自由な校風を活かし、勉強・部活・アルバイトなど、自分がやりたいことを見つけて本気で打ち込めば、生涯の財産になると思います。
また、もし早いうちから起業を考えているのであれば、勉強だけではなく一般常識も身につけておくことをおすすめします。高専は、良くも悪くも一般的な学校とは違い、やや閉鎖的な場所です。もちろん常識にとらわれない自由さは大切ですが、偏った知識ばかりでは社会に出たときに苦労します。
「これしかないんだ」と道を狭めず、広く世界を見て、ぜひ行動を起こしてください。
小川 勝也氏
Katsuya Ogawa
- 株式会社Hoche 代表取締役
2017年3月 津山工業高等専門学校 情報工学科 卒業
2017年4月 株式会社山田養蜂場 入社
2022年6月 株式会社Nextrust 入社
2023年11月 株式会社Hoche 設立
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