ダウンロード数300万を超える登山地図GPSアプリ「YAMAP」。開発・運営をしているのは福岡に本社を構える株式会社ヤマップです。ここでプロダクトマネージャーとして働く大塩雄馬さんは沼津高専の卒業生。どのようにして現在の道にたどり着いたのかを伺いました。
理不尽に揉まれて鍛えられた精神力と忍耐力
―高専に進学を決めたきっかけを教えてください。
理科や数学が好きだった私に、中学の担任と母が高専の存在を教えてくれました。それまでは進学校に通うか工業高校に通うかで迷っていたのですが、専門科目が多く、頭と手の両方を動かす授業が多い高専に惹かれました。
これと言って将来の夢はなかったのですが、化学よりも機械を扱う仕事のほうが向いていると思い、電子制御工学科を志望。上級生になると自分たちでロボットを設計してパフォーマンスを競う授業があったのも、決め手となりました。
―実際に高専に入学してみていかがでしたか。
今でもよく覚えているのが、初めての数学の授業です。先生は教壇に立つなり黙々と黒板に数式を書いてくのですが、その間、何が起きているか全くわかりませんでした。中学では一つひとつ解説してもらうことが当たり前だったので「これが高専か……」と、洗礼を受けた気分でしたね。しかも、周囲は自分よりも成績が良い同級生ばかり。「これはしっかりしがみつかないと落ちこぼれてしまうぞ」と、強く感じました。
そんな中、なんとかついていけたのは、寮生活のおかげです。授業以外の時間も学校の仲間と過ごすため、必然的にみんなで集まって課題やテスト勉強をする習慣が身につきました。勉強への姿勢や意識を高く保てたのは、確実に入寮していたからです。ただ、沼津高専の寮が厳しいというのは入ってから知ったことでした……(笑)
―寮生活はいかがでしたか。
当時は先輩の指導が非常に厳しく、ときには理不尽を振りかざされていると感じたこともありました。しかし、そんな環境を乗り越えたことで肝がすわったのか、社会に出てからは常に落ち着いて仕事に臨めている実感があります。
人生を変えた山との出会い
―高専ではどんな研究をしていたのでしょうか。
Javaで実際にプログラムを書き、ナビエーストークス方程式(流体の挙動を記述する際に使われる式)を数値的に計算することで、流体の振る舞いを可視化する「数値流体力学」の研究です。自分で書いたプログラムが正確に動くかどうかの検証を重ねるのは大変でしたが、目には見えない空気などの流れを可視化できるのは非常にやりがいがありました。
とはいえ、実は絶対にこの研究がしたかったというわけではありません。指導教官の授業がおもしろかったので「研究をするならこの先生のもとがいい」というのが研究テーマを決めたきっかけでした。また、当時から自分は電気系ではなく情報系が向いていると感じていたため、就職後にも役立つ知見が得られるものが良いと感じたのも決め手のひとつです。
卒業後の進路は、迷うことなく就職を選びました。専門分野を深めて研究を続けるより、早く社会に出て自分の力でお金を稼いでみたかったからです。勤務地を東京にしぼり、就職先を探しました。そして、新入社員として入社したのが株式会社ニフティです。
―憧れの東京での暮らしはいかがでしたか。
実際に就職してから携わった業務はWebサービスやアプリの開発で、研究テーマとは分野違い。でも「狙った挙動をするために自分のプログラムを試行錯誤する」という基本的なプロセスは共通していますし、エンジニアとしての働き方にすぐ馴染めたのも、研究室での経験がベースになっているのは間違いありません。スポーツクラブの予約サービスや不動産の物件検索アプリなど、さまざまなWebサービスに携わりました。エンジニアの経験も積めて同僚や先輩にも恵まれ、非常に働きやすい職場でしたね。
入社して1年が経った頃でしょうか。ある日突然、何の前触れもなしに「登山がしたい!」という衝動に駆られました。そこからは準備に準備を重ね、入社2年目の夏、群馬県利根郡みなかみ町と新潟県南魚沼郡湯沢町の境に位置する平標山(たいらっぴょうやま)に登ったのです。
初めて山頂からの景色を目の当たりにしたときは、体中に電撃が走りました。「自分の生きがいはこれだ」とさえ思いましたね。「せっかくの絶景をiPhoneだけに収めるにはもったいない」と、その翌日にはカメラを買いに家電量販店へ足を運び、それからは毎週末のようにカメラを携えてあらゆる山に登る日々を過ごしました。
今にして思うと、当時の自分は満員電車や人混みなど、東京での暮らしに辟易していたのでしょう。無意識に癒しを求めて山に惹かれたのかもしれません。そんなときに、ヤマップがリリースしたアプリ「YAMAP」に出会ったのです。GPS機能を利用して、電波が届かない山中でも現在位置を確認できて遭難が防げる点。これさえあれば紙の地図がなくてもルートがわかる点。さまざまな登山者の「こうだったらいいな」を体現したアプリに「なんて便利なんだ!」と感動しました。
―それがヤマップに転職を決めた理由でしょうか。
いえ、当時は自分が転職するなんてまったく考えてもいませんでした。休日に山に登れるだけでリフレッシュできていましたし、職場に不満もなかったので。ただ、立て続けに転職をする同僚がいたため、軽い気持ちで「どんな求人があるのだろう」と、求人サイトを覗いてみたのです。
そこで飛び込んできたのが、ヤマップの求人でした。おまけに、募集職種はiOSアプリのエンジニア。当時ニフティでiOSアプリエンジニアとして働いていた自分のための求人ではないかと思うような、ドンピシャの求人でした。気がつくと代表の春山さんに連絡をして、話を聞くためにヤマップの本社がある福岡に降り立っていました。
そのときは「転職するかはさておき、まずは話を聞いてみたい」といった程度のスタンスで臨んでいました。しかし、当時はヤマップの採用プロセスが簡素だったこともあり、春山さんは私と話をする中で「いつから来れそうなのか」と言わんばかりの雰囲気になります。さすがにその場では回答を持ち帰りましたが、帰路の飛行機の中では、正直、もう自分の気持ちは固まっていました。
前職では不動産やスポーツクラブのアプリを手掛けていたのですが、自分はどちらも利用する機会がなかったのでユーザーの気持ちをわからずにいたのです。しかし、YAMAPは自分がユーザーのどまんなか。つまり、ユーザーが課題に感じていることを汲み取って開発に活かせるということです。こんなに自分に向いている職場はないと確信しました。
前職は創業30年ほどの名の知れた企業で、700人ほどが働いていました。一方、当時のヤマップはまだ10人ほどの会社でニッチなサービスということもあり、知名度はまだまだ。給料もやや下がります。それでも私は“ワクワク”のほうが勝っていました。
―現在の業務内容を教えてください。
YAMAPのプロダクトマネージャーとして、登山者であるユーザーの課題の特定と解決策となる開発施策への落とし込み、それらのビジネス目標への繋ぎ込みと優先順位付け、さらに実際に開発を行う機能開発チームを運営しています。また、必要に応じて社内の他チーム(ECや保険といった付随サービスの主管部門)の関係者と連携し、調整役として立ち回るのも私の仕事です。
プロダクトマネージャーは、時に「プロダクトオーナー」と呼ばれるように、プロダクト開発の方向を定める重要な役割を持っています。プロダクトの提供を通し、登山そのもののユーザー体験をより良いものにしていくためにコミットできる点は、何よりのやりがいです。
「好き」を見つけたら最強
―現在にいたるまで、最も手ごたえを感じた仕事はありますか。
2017年、入社した年にリリースした登山計画を立てる機能でしょうか。実は入社前の面談で春山から「アプリ内に登山計画をつくるサービスを実装したい。良かったら考えてみてくれないか」と言われていたため、入社までにどうすれば良いのかある程度の筋道は立てていたのです。そして、入社後に他のメンバーの協力を得て無事に日の目を見ることができました。
どんな日程でどんなコースを歩くかを事前に考えるのは、登山者の常識です。しかし、紙でつくるのは面倒でした。そこでYAMAPを使えば、山頂や分岐ポイントをタップで追加するだけで登山計画が完成するのはもちろん、一緒に登る仲間や帰宅を待つ家族やパートナーに簡単に共有できます。これにより、自身が遭難したときのリスクを低減できるというわけです。
また、登山前に「登山届」を出すことが条例で決められている自治体もあります。この登山計画を正式な登山届として提出できるよう、各自治体や警察との連携協定を結んでいるのもYAMAPの強みです。これらの機能を実装してからというもの、ユーザーから感謝の声が届くようになりました。現在もアップデートを重ねていますが、最初に携わった仕事ということもあり、非常に思い入れがあります。
―今後の目標を教えてください。
私の座右の銘は「行雲流水」。空を行く雲、川を流れる水のように、そのときどきの状況に従って刹那的に生きているので、正直に言うと明確なキャリアの道筋は描けていません。
ただ、ひとつ言えるとしたら、今後も自分が好きな「山」の領域で社会に還元していけるものを開発していきたいと思っています。私は、登山に出会ってから明らかに人生が豊かになりました。自然と触れ合うことで新しい世界が切り開けるこの感動を、一人でも多くの人に味わってほしいと強く願っています。
―これから登ってみたい山はありますか。
行ってみたい山はたくさんありますが、そのひとつは山形県と秋田県の県境にある「鳥海山(ちょうかいさん)」です。日本海に面し、裾野が美しく広がる雄大な姿は、まさに圧巻の一言。夏のお花畑や秋の紅葉、冬から春にかけての雪景色と四季折々の姿を楽しめるため、多くの登山者から人気を集めている山です。遠くてなかなか行けませんが、北海道の山にもまた挑戦したいですね。
実は2022年の夏、会社の「居住地フリー制度」を使って地元の静岡に戻りました。コロナ禍でのリモートワークを経て私が「福岡に住んでいなくても仕事はできるのでは」と提案したことがきっかけでスタートした制度で、ほかの社員も、さまざまな場所に住んで業務にあたっています。
この制度を使えば自分が好きな場所に住みながら、好きな山に登ることも夢ではない。まだまだ私の登山への情熱は消えません。
―最後に、高専生にメッセージをお願いします。
私は現在「登山×ソフトウェア」という自分の好きな領域の仕事ができています。しかし、高専生だった頃にはまだ山への関心はありませんでしたし、将来自分がどのようなキャリアを築いていきたいかを考えたことすらありませんでした。
最初の就職先も、IT系かつ東京で働ける環境という大雑把な条件で選びました。高専での学びが自分の好きなこととマッチしていれば、その道に進むのが一番美しいのは確かです。しかし、必ずしも今の専攻が自分のやりたいことと合致していなければ、無理して今の延長線上に進む必要はありません。やりたいこと・やってみたいことが少しでも描けていれば、次第に自分の軸が定まり、良い環境を手繰り寄せることができるはずです。
私自身、仕事で大変なことは多々ありますが、最終的には「好きな登山を仕事にできている」という誇りが、最大のモチベーションとなっています。どうか皆さんも、学生のうちに好きなものや夢中になれるものを見つけてください。
大塩 雄馬氏
Yuma Oshio
- 株式会社ヤマップ
サービス開発部所属 プロダクトマネージャー
2014年3月 沼津工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2014年4月 ニフティ株式会社(WEB サービス開発部・アプリ/Webエンジニア) 入社
2017年4月より現職
沼津工業高等専門学校の記事
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