インタビュー

生物の進化をもっと深く研究するため?インドネシアから日本へ。

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インドネシアで生まれ、子供の頃から生き物に興味津々だったという和歌山工業高等専門学校 生物応用化学科のスティアマルガ・デフィン先生。関西弁を巧みに操り、学生たちから慕われるデフィン先生は何を求めて日本に来られたのか。その半生や教育方針についてお話を伺いました。

生物の進化は「なぜ?」が尽きない

-日本に来たきっかけは何だったんでしょうか?

ジャワ民族の伝統衣装を身にまとったデフィン先生(当時小学3年生)と妹さん。
ジャワ族の民族衣装を着たデフィン先生(当時小学校3年生)と妹

高校を卒業した後、インドネシアの国立大学に進学したんですが、そこが東京農業大学の姉妹校だったので「特別招待留学生プログラム」を活用して編入しました。

というのは建前で(笑)、実は子供の頃から日本の特撮が大好きで、いつか日本に留学できればいいなと思っていたんです。いちばん好きだったのは『大戦隊 ゴーグルファイブ』。巨大ロボットをつくった本郷博士という人がいて、憧れていました。将来は本郷博士みたいになりたいと思っていたんです。

結果的には文京区本郷にある(東京大学)大学院で博士号を取得したから、「本郷博士」になれました、なんて(笑)。

-先生の研究テーマについて教えてください。

DNA・ゲノムが主な対象です。実態のある生き物でありさえすれば、すべて研究対象になります。「カッパ」とか「目玉おやじ」だったら実態がないから調査ができないですけどね(笑)。

周りからは「似合わない!」と言われていたんですが、ずっとメダカの研究をしていました。その後はナメクジウオという脊椎動物の祖先を研究していました。動物学専攻なので今も魚の他に、巻き貝とかタコとかヒトデとか骨のない無脊椎動物の研究がメインですが、微生物の力を借りて環境に優しいコンクリートを開発するなど、動物以外のテーマもやっています。

海中から半身だして、採取したサンプルを上に掲げてる。4名で採取。
アメリカ・フロリダ州でナメクジウオのサンプル採取

私の研究は基礎研究がほとんどなんです。特に興味があるのは「生物多様性がどうやって進化してきたか」と「地球環境の変動」の相関性。たとえば、ニホンメダカは北のメダカと南のメダカがいます。その分岐は日本列島の形成の時期と一緒であるとか、タコ類は一つしかなかった超大陸(パンゲア)が割れていくつかの大陸に別れた時期に放散したとか、地球環境の変動によって生物がどんな風に進化をしてきたのか、すごく興味があるんです。そこから得られる知見やデータから、環境変化にどのように生物多様性の保全をすべきかのヒントを得ることができたら、さらに面白いと思っています。

なかでも、いま一番興味があるのは貝殻ですね。イカとタコはもともと貝殻を持っていたって知っていますか?それが進化の過程で貝殻をなくしたんです。でも、なんでなくしたんでしょう?面白いテーマですよね。

東日本大震災3.11の後、再び日本へ

―なぜそこまで生物に惹かれるんですか?

机の上に水槽があり、2~3体のオウムガイが泳いでいる。その横でいい笑顔でおさまるデフィン先生。
オウムガイとデフィン先生

私が生まれ育ったインドネシアには、たくさんの種類の生き物がいるんです。家の裏には虫やナメクジがいっぱいいて、子供の頃は虫を捕まえてロボットと戦わせていました(笑)。

私の家はそこまで裕福ではなかったけれど「本はいくらでも買ってあげる」と言われていたので、生物に関する本をよく買ってもらいました。誕生日にはおじいちゃんが市場にある古本屋さんに連れて行ってくれて「いくらでも買っていいよ」と。それで、恐竜や昆虫の図鑑をたくさん買ってもらって飽きることなく眺めていました。

高校の時に遺伝子を知って、大学を選ぶときは就職を考えて農学部栄養学科に入ったんです。ただ、どうしても生物の進化を研究したくて東京農業大学に行きました。東京大学大学院を卒業した後はカリフォルニアで研究を続けていたんですが、2011年に日本に戻ってきました。

―2011年と言えば東日本大震災の年ですね。

ええ。私はそのときアメリカにいたんですが、テレビで震災の様子を見ていて「大学でお世話になった人たちはどうしているだろう」とすごく心配だったんです。

そんな折に日本人の友人が訪ねてきて「デフィンくん、たとえ義援金を送ったところで何にもならないよ。本当に日本のことを思うなら、日本に帰って来いよ」と言ってくれました。そのとき、日本にいた留学生は母国や違う国に行ってしまったんですが、そんな中、母国に帰らずに日本に行って良いんだろうか、と悩みました。

半円形の会場に、半円形のテーブルが4×4。半円の中央で講演するデフィン先生に多くの受講者が真剣に話を聴いている。
インドネシア国際生命科学大学(I3L)での招待講演

でも、友人が「自分の国を捨てるわけじゃなくて、日本と自国が良い関係になる懸け橋になればいいんだよ」と背中を押してくれたんです。その後、日本でお世話になった教授と連絡を取って、勤め先が見つかりました。

日本に向かうことを両親や周りの人に伝えると「今、日本は大変だよ。外国人はみんな自国に帰っていったのに、わざわざ日本に行くの?」と驚かれましたが、私の決意は変わりませんでした。

もう10年が経ちますが、振り返ってみると、あのときの選択は間違っていなかったと思います。私はずっと基礎研究がやりたかったし、日本の食べ物が大好き。楽しい基礎研究ができるし、美味しい唐揚げにサンバル(チリソース)をかけていつでも食べられて、幸せです(笑)。

回転すし屋さんにて。20皿×3つほど積まれた寿司皿とともに、笑顔のデフィン先生。
回転寿司にて。「全部、私が食べたんちゃいます、汗」

関西ならではの、笑いあふれる授業

-高専での授業はいかがですか?

すごく面白いですね。高専の学生は賢くて、ちょっと教えればすぐにできるようになります。学校の裏はすぐ海ですから、いつも学生たちと海のゲテモノを集めて調査しています。

浅瀬の海岸で、しゃがみこんでサンプルを確認しているデフィン先生。
高専裏の海岸でのサンプル採取

インドネシア人の私から見たこの「高専の仕組み」って、すごく興味深いんですよ。賢い子を集めて実践研究ができる環境を与えて、大きな企業や優秀な学校に進む道を開いてあげる。素晴らしい仕組みだと思います。

―和歌山での生活はいかがですか?

関西圏の和歌山に住んでいて感じるのは、関西文化の面白さ。関西って「笑い」に厳しいでしょう?授業中、おしゃべりがうるさい学生がいると「お前、さっきからようしゃべるな。ちょっと面白いこと言ってみや」と言うんです。すると、学生は何か面白いことを言わなきゃと思って、頑張ってギャグを言ってくれる。でも、だいたいスベるんです(笑)。

そこで「寒いねん!あー寒い。インドネシア育ちやから寒いの苦手やねん!」といじると、その学生は一週間くらいは静かになってくれるんです。厳しく注意しなくても、笑いでおしゃべりをやめさせることができます(笑)。

8名の学生と真ん中に笑顔のデフィン先生。
学生はみな白衣を着ている。デフィン先生は印象的な柄のシャツ。
R03年度スティアマルガ研究室のメンバー

関東と関西は言葉の捉え方が違うので、こう上手くはいかないかもしれませんね。たとえば、学生の進学先に挨拶に行くときも「うちのアホ、おもろいんでシバいたってください」と言ったら関東の人はびっくりするでしょう?でも、関西では「うちの可愛い学生をどうぞよろしくご指導ください」という意味になります。

インドネシア人が何を偉そうに関西文化を語っとるねん!っちゅー感じですね(笑)。

スティアマルガ デフィン
Davin H. E. SETIAMARGA

  • 和歌山工業高等専門学校 生物応用化学科・エコシステム工学専攻 准教授(分子生物学)

インドネシア国西ジャワ州ボゴール市生まれ。
2003年 東京農業大学生物企業情報学科卒業
2005年 東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻・修士課程 修了(理学修士)
2009年 東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻・博士課程 修了(博士(理学)修得)
2011年 Scripps Institution of Oceanography, University of California 特任研究員
2012年 東京大学大学院理学系研究科 日本学術振興会外国人特別研究員、2015年 和歌山工業高等専門学校物質工学科 専任講師(分子生物学)
2017年 和歌山工業高等専門学校生物応用化学科准教授(分子生物学)

スティアマルガ デフィン氏の写真

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