進学者のキャリア大学等研究員

「自分の強みを知ってほしい」——学生が地域で活躍できるプラットフォームを目指して

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高専生のときに「高専教員になりたい」と決意された光井周平先生。呉高専の教員になられましたが、現在は広島工業大学で准教授を務められています。光井先生の「木造建築の数値シミュレーション」研究から、教育への思い、そして大学教員になられた理由について、お話を伺いました。

「高専教員になりたい」と決意した学生時代

―建築が研究分野ですが、興味を持ったきっかけを教えてください。

小学生のころから城郭建築に興味を持っていました。お城の何に興味を持っていたのかは今となっては明確に覚えていないのですが、お城の雑誌を大人と一緒に本屋で立ち読みしていたほどでしたね。

青空の下の広島城
▲光井先生の地元にある広島城。二の丸が復元されています(2008年)

あと、父親が建築関係の仕事をしていて、休日に簡単な図面とかをパパっとつくっている姿を見ていたんです。子どもながらにすごいなと思いました。建築に興味を持ったのは、それも理由だと思います。

―その後、呉高専に進学した理由は何だったのでしょうか。

お城の勉強をしたいなと思っていた中学生のころ、親が進学先の1つとして薦めてきたのがきっかけです。建築学科もあり、良さそうなところだなと思ったのですが、私以外に高専を志望していた同級生は1人しかいませんでした。しかも別の学科だったので、不安な気持ちで試験会場に行ったのを覚えていますね。

呉高専の入口
▲呉高専 正門

合格できたときには、「これでお城の勉強ができる」と思いました。ですが、5年間のカリキュラムでお城が出てくるのは、4年生の半期科目である「建築史」という授業15回分の内の1回、しかもその半分の時間だけだったんですよね(笑)

―高専では、建築の「構造」について研究されていたそうですね。

私は、いわゆる高専生らしくなく、「とりあえず手を動かす」ことは苦手で、ものづくりがあまり得意ではなかったのですが、計算は比較的得意だったので、「構造」という分野は向いていると思ったんです。ある程度勉強すればできるようになりましたし、どう考えても「アート系」ではなかったので(笑)

でも、本当の理由は、正野崎昭二(しょうのざきしょうじ)先生の研究室に行きたかったからです。べらんめえ口調で、最初は近寄りがたい雰囲気なのですが、とても学生思いで懐の深い先生でした。当時の呉高専ではルーズソックスが全盛期だったのですが、入学したときの学科ガイダンスで、「ルーズソックスを履いてはいけないとは言わない。ただ、カッコいいかどうか考えろ」と当時学科長だった正野崎先生がおっしゃっていたのを覚えています。

並んで写真に写る正野崎先生と光井先生
▲呉高専に着任後、激励に来てくださった正野崎先生と(2011年)

そのようなスタイルの正野崎先生に親しみを持ったんです。鉄筋コンクリートの数値解析が専門でしたが、当時は木造建築の研究もされていましたので、自然な流れで私も研究しました。

―そのほかにも、印象に残っている先生はいらっしゃったのでしょうか。

1・2年次の担任だった能登原祥之(のとはらよしゆき)先生は当時新任のとても若い先生で、貴公子然とした雰囲気の方だったのですが、私たちと一緒にガハハハッと豪快に笑ってくれる方でもあったんですね。いつも親しく、かつ真摯に話を聞いてくださって、「こんなふうに学生と関わる先生って良いな」と思いました。

それと、陸上競技部の顧問教員だった谷岡憲三(たにおかけんぞう)先生は、とにかく学生思いでしたね。部の引率をするために自家用車をどんどん大きくしていって、最終的には15人乗りのハイエースになったんです(笑) 「ザ・高校の体育教師」って感じで、青春ドラマに出てきそうな方でした。教育の面で、谷岡先生から受けた影響は大きいと思います。

満開の桜の前で写真に写る光井先生と谷岡先生と、陸上競技部のみなさま
▲陸上競技部の合宿で、谷岡先生と(2013年)

正野崎先生含め、このような先生方に巡り合えたのが、研究面でも教育面でも、今の私を形づくっているなと思います。2年生か3年生のころには「高専教員になりたい」という夢を持ち、そのためには、大学院の博士課程まで行って、学位を取らないといけないなと考えていましたね。

「木造だから」という、変なこだわりをもたない

―高専を卒業後、広島大学の工学部に編入学されています。

1年遅れて編入学したのですが、今となっては人生観を変える良いことだったと思います。一緒のタイミングで編入学した人たちが、とても個性豊かだったんです。1人は呉高専の1年後輩でしたが、あとは、米子高専出身の方と、明石高専で土木を学んでいた方と、北海道大学教育学部を卒業した後に専門学校に行っていた方がいらっしゃいました。1つ上には高専の同期たちもいたので、楽しい大学生活でしたね。

白くて丸いドーム状の建物の前で写真に写る光井先生と、研究室のみなさま
▲大学祭にて、研究室のメンバーと(2008年)

―大学や大学院ではどのような研究をされていたのでしょうか。

大学では近藤一夫(こんどうかずお)先生の下、「木造建築の数値シミュレーション」に関する研究をしていました。

ただ、近藤先生はシミュレーションの理論がご専門で、それまでは鋼構造や鉄筋コンクリート構造を対象にした研究をされていたので、木造建築については私が調べ、シミュレーション部分で近藤先生に支えていただきました。それもあって、「木造だから、こうしないといけない」という先入観をもたず、フラットに研究に取り組めたのが良かったですね。

スーツ姿で学位記を持つ光井先生と、近藤先生
▲学位記授与式で、近藤先生と(2012年)

大学院では「木材の材料特性のモデル化」を研究していて、今でも続けています。数値シミュレーションのためには、材料の特性を物理モデルに置き換えないといけないんですね。特に伝統的な木造建築の場合、木材と木材の接合部に「めり込み」があるのですが、そこの性能をどのように物理モデルとして表現できれば、数値シミュレーションがうまくいくかを研究しています。

十字の形に重ね合わされた木材など
▲学生の研究で取り組んだ、伝統木造建築の接合部実験(2015年)

木材の特性をモデル化することによって接合部のシミュレーションができ、それによって建物全体のシミュレーションができる。経験則では建てられない大型木造建築を、このように安全性を確認したうえで建てられるようにしたいですね。

外に出ることで、自分の「強み」に気づく

―呉高専で念願の高専教員になられてからは、どのような研究をされたのでしょうか。

2014年度から江田島市に残る旧軍遺産「旧江田島海軍下士卒集会所(海友舎)」の調査、2017年度から海上自衛隊呉基地内の地下施設群の研究に取り組んでいました。呉基地に関しては、海上自衛隊の広報の方が「自衛隊の基地内を一般公開するに先立って学術調査をしたく、手伝ってほしい」と言われたのがきっかけです。

白い洋館の前で写真に写る光井先生と学生のみなさま
▲明治の洋館建築「海友舎」で、学生のみなさんと(2015年)

私は海軍建築の専門ではないので悩んだのですが、その前に「インキュベーションワーク」という取り組みを学生たちとやっていたので、一緒に探検マップをつくることにしました。そうすることで、メディアも取り上げてくれるだろうし、学生たちのモチベーションにもつながるし、建築や土木の勉強にもなると思ったのです。

―「インキュベーションワーク」とは、いったい何なのでしょうか?

学生がやりたいことをベースに学生自身がプロジェクトテーマを設定し、メンバーを募集して、組織を立ち上げて、活動計画を立案して、実践する学科学年横断型のPBL授業です。その1つとして私は、2015年度から「石段の家プロジェクト」に関わりました。呉の両城という、映画『海猿』でも登場した長い階段が有名な場所がありまして、そこにある空き家を有効活用しようというものでしたね。

家の前で写真に写る学生のみなさま
▲「石段の家プロジェクト」に取り組んだ学生のみなさん(2017年)

そのプロジェクトでは、学生たちのモチベーション・コントロールに従事していました。「地域に出て何かしたい!」という思いが、すごく強かったんですよ。ですので、そのモチベーションをぶつけるところをつくるため、裏方として支援していましたね。私自身も勉強になることが多かったです。

―2016年度からは「全国高校生マイプロジェクトアワード」に参加されていますね。

私は指導者ではなく「伴走者」として参加しました。その姿勢はインキュベーションワークと変わらないですね。学生が自分たちの取り組みを外部に発信することで、高専生の強みを実感してほしいという思いがありました。

写真に写る光井先生と学生4名
▲「マイプロ」北九州大会で、学生のみなさんと(2017年)

あと、「高専生の取り組みを、どのように外部に発信するか」ということに重きを置いていたんです。私の大きな課題として、「高専生の自己肯定感をどのように上げるか」がありましたので。

自分自身もそうだったのですが、高校生でも大学生でもない「高専生」というマイノリティであることで、ついつい内に籠ってしまうんです。だからこそ、大学生や高校生と一緒に参加することで、高専生に自分たちの強みやポテンシャルに気付いてほしいと思っています。高専は「日本教育界の最後のフロンティア」だと思っていますので。

こぶしを上げる光井先生と学生のみなさま
▲「マイプロ」全国大会で、全国から参加したみなさんと(2017年)

高専での5年間は、1番良い時間間隔

―8年間の高専教員生活から、現在は広島工業大学に在籍されていますね。

高専には強い思い入れがありますが、別の環境での研究や教育にも取り組んでみたいと考えたからです。将来的には高校生や大学生、そして高専生を学校から地域へ連れ出すプラットフォームをつくりたいと考えています。

古い木造校舎の前で写真に写る光井先生と学生のみなさま
▲木造校舎の実測調査に参加した、広島工業大学の学生のみなさんと(2019年)

工学系には工学系の強みが、文系には文系の強みがありますよね。大都市圏ではいろいろな学生が交流する場が自然とできますが、地方だと相互の連携がなかなか確立していません。ですので、そういうプラットフォームがつくれればと思っているのです。

例えば、海上自衛隊の結びつきもできたので、地域の高校生に呉の歴史的建造物の学芸員になってもらって、イベントがあった際には案内を務める、というような取り組みがしたいなと思っています。そして、研究に取り組んでいる大学生や高専生が専門分野についてレクチャーするなどして関わってもらいたいですね。今は、それに向けて動き出している最中です。

「Kurekaijigram」という枠を持つ光井先生と学生のみなさま
▲呉海自カレーフェスタでの1コマ

―最後に、高専生や、高専を目指すみなさんに向けてメッセージをお願いします。

高専生にはもっと外の世界を知ってほしいなと思っています。外を知れば知るほど自分の強みが分かりますし、早くから専門的なことを学んでよかったなと思えるはずです。それに、今後の目標も新たにできると思います。

青空の下の広島工業大学を上から撮影した写真
▲広島工業大学

高専を目指すみなさんには、私は高専で学ぶ5年間という期間は、今の教育制度において1番良い時間間隔ではないか、と考えていることを伝えたいです。多くの高校生が受験勉強に要する時間を、「自分は何のために学ぶのか」ということをじっくり考えながら過ごせるのは、とても贅沢なことだと思います。そのことに高専生自身が気付いていないことも多いですが。

ですので、ぜひ、高専という場に触れてみてほしいです。そして、「良いかも」と思ったら、その直感を信じて、5年間身を預けて、チャレンジしてほしいなと思います。

光井 周平
Shuhei Mitsui

  • 広島工業大学 環境学部 建築デザイン学科 准教授

光井 周平氏の写真

2003年3月 呉工業高等専門学校 建築学科 卒業
2004年3月 呉工業高等専門学校 専攻科 建設工学専攻 中退
2006年3月 広島大学 工学部 第四類(建設・環境系)建築工学課程 卒業
2008年3月 広島大学 大学院 工学研究科 社会環境システム専攻 博士課程前期 修了
2011年3月 広島大学 大学院 工学研究科 社会環境システム専攻 博士課程後期 単位取得後退学
2011年4月 呉工業高等専門学校 建築学分野 助教
2017年4月 同 准教授
2019年4月 広島工業大学 環境学部 建築デザイン学科 講師を経て
2021年10月より現職

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