富山高専で長年の夢だった体育教員としてご活躍中の大橋先生。ハンマー投の選手として大きな結果を出すなど、競技者としても活躍されてきましたが、現在はご自身で立ち上げた女子ラグビーチームを指導されています。研究面も含め、先生の活動内容をお伺いしました。
「遠隔で心をつなぐ」ための、患者向け支援システム開発
―高専教員になられた理由を教えてください。
富山高専に赴任したのが2007年なのですが、その前は養護学校に1年間勤めていました。そこでは、一人ひとりの特徴に合わせた教育をしていまして、「個に応じた教育」の重要性を知ったんです。
そして、養護学校の学生の力になるためにはどうすればいいかを考えた時に、研究を通して、障害のある子どもたちの実態を多くの人に知ってもらうことが重要だと思いました。その研究を進めるため、県立学校の教員を退職し、高専を選んだんです。
―今はどのような研究をされていますか?
COPD(慢性閉塞性肺疾患)患者向けの健康モニタリング支援システムの開発を行っています。具体的には、在宅高齢患者のフレイル(※)を予防するために、タブレット端末を用いて、外出するには身体的な制約が大きい患者さんの日々の健康観察を行い、かつ、社会参加ができるようなシステムです。
※フレイル:日本老年医学会が2014年に提唱した概念で、「Frailty(虚弱)」が語源。健康な状態と要介護状態の中間に位置し、身体的機能や認知機能の低下が見られる状態のことを指す。早期発見・早期支援で、元の健康な状態に戻る可能性がある。
支援者サイドにとっては、患者さんの日々の健康観察の結果をグラフ化し、健康状態を「見える化」したのがポイントです。また、チャット機能があるので、支援者と患者さんは遠隔でコミュニケーションがとれます。在宅の患者さんは月に1回ほどの通院になるので、それ以外の期間をいかにケアするかが重要なのです。
今後の目標としては、患者さん同士でのオンラインサロンや、通院なしでのリハビリができるようにしたいと考えています。また、歩数などといった患者さんの健康データは、現状、患者さん側でタブレット端末に手入力してもらっていまして。高齢の患者さんが多いので、端末に変化を加えることで、操作性をより簡単にしたいと思っています。
―この研究のきっかけは何だったのでしょうか?
数校の高専で形成された「Kosen-ATネットワーク」に参加し、知的障害児の運動支援アプリ開発に取り組んだことがきっかけでした。
知的障害のある子どもたちは体の使い方が苦手なために、運動そのものにも苦手意識を持ち、自主的に運動することが少なくなります。ですので、健常児よりも1日の身体活動量が少なくなり、肥満率が非常に高くなることが課題になっているのです。このアプリ開発は、肥満を予防するために、知的障害児が楽しんで運動できるよう考案されました。
加えて、障害児の保護者のケアも目的でした。特に週末や長期休暇の際は、学校との関わりがなくなるので、子どもをケアしていく中で孤立感が強くなり、精神的負担が増えます。ですので、子どもと保護者と支援者(学校)の心が遠隔でもつながるためのツールを目指しました。そのコンセプトが、現在の研究にもつながっています。
恩師から言われた「教師になったらダメ」の意味
―小学生の頃から、体育教員になりたいという夢を持っていたとお伺いしました。
小学校2年生の時に決めましたね。運動が好きでしたし、担任の先生がとにかく生徒目線で接する方で、憧れがあったのも理由です。
今でも心に残っているのですが、当時クラスで飼っていたシマリスが逃げたことがあるんですよ。先生と一緒に学校中を探しまわって、見つかった時は、先生も一緒になって喜んでいましたね。逆に、そのシマリスが亡くなった時は、生徒と一緒に号泣していまして。同じ喜怒哀楽を生徒と一緒に感じていた先生でした。
中学校を卒業した後は、陸上部が強い安佐北高校に進学しました。印象的だったのは、体育教員だった陸上部の顧問や担任の先生のご厚意で、私の受験勉強用の机を体育教員室に用意していただいたことです。私の夢が体育教員であることもご存じでしたので、3年生の1月以降、受験勉強に集中できるようにと、用意してくださいました。
また、その頃は授業がない時期でしたので、他の学年の体育授業にアシスタントとして参加させてもらいました。授業に向けて先生がどのように準備しているかが間近で見られて、高校生にして数カ月もインターンシップをしているようでしたね。体育教員としての役割を、先生方がどのように捉えられていたのかが知れて、充実した時間でした。
―その後、福岡大学の体育学部に進学されています。
大学時代は、高校の時以上に部活動に夢中でしたね。一方、研究面では進藤宗洋先生の運動生理学研究室に所属していました。進藤先生からは、「体育教師になりたい」と夢を語る私に対して、「お前は教師になったらダメな人間だ!」と、時に厳しく指導いただきましたね。
今となっては、その理由もわかります。当時の私は、学生時代ずっと部活動に熱中していたこともあって、「勝ち負け」をとても気にしていました。勝つ人がいるということは負ける人もいる環境下で、「自分さえ勝てればいい」という思考回路があったと思います。
進藤先生の研究は、中高齢者や障害のある子どもたちの健康づくりでした。そういう方たちと普段から接してきたからこそ、「上を目指すこと」だけを念頭においた教育をするのは、目指すべき教師の姿ではないと先生は考えていたのだと思います。このことを忘れないよう、常に自分に言い聞かせていますね。
競技者としての心残りから、ラグビーの道へ
―現在は体育教員になられ、ラグビー部の顧問も務められています。
2014年に顧問になりました。女性教員が男子ラグビー部の顧問になったのは、全国の高専ではおそらく初めてだと思います。ですが、顧問になる2年ほど前から、実は自分自身も選手としてラグビー部の練習に参加していたんです。
というのも、私はこれまで競技者としての人生を送ってきました。大学から始めたハンマー投では全国大会に入賞できるレベルまで到達でき、社会人になった2005年には、アジア選手権5位、東アジア大会4位の成績を残し、オリンピックも目指していましたね。
ですが、オリンピックに出場することはできず、競技者として心残りがありました。そんな中、女子ラグビーがリオ五輪の正式種目として決定したのを知ったんです。当時35歳でしたが、「これが最後のチャンス」だと思い、男子学生と混ざって練習するようになりました。
そして、自分自身も選手としてプレーしながら、女子部員の募集もしたんです。これまでに10名弱のOGが卒業し、現在も6名の女子選手がいます。5年前には、女子ラグビーのクラブチームとして「富山サンダーバーズRFC」を立ち上げ、富山県内の中学生、高校生、社会人、そして高専生が一緒になって、富山高専を拠点に活動しています。
そして2年前には、富山サンダーバーズRFCに加え、石川県・福井県・滋賀県にそれぞれ拠点を置くチームと計4チームで「セントラルウィメンズセブンズラグビーリーグ」が立ち上がりました。年間に4~5シリーズの試合があり、チームの実力を発揮する場が用意されています。
―女子ラグビーチームが活動するにあたり、苦労する点はありますでしょうか?
中学生から社会人までと年齢層が広いので、同じ練習ができなかったり、体格差もあるので、ぶつかったときにケガをするリスクが高まったりします。ですので、先ほどの4チームで協力し、中学生だけのチームを2チームつくって紅白戦を行うなど、練習の成果を出してもらう場を設けていますね。
あと、ここ最近、「やるからには勝ちたい!」と思う人が当然いらっしゃる一方、「チームというコミュニティに所属することを楽しみたい!」と思う人もいらっしゃって、スポーツに対するニーズが多様化していると感じます。幅広いニーズに対応できるクラブチームにすることが、今の1番の課題です。
学生の主体性を高める「チームトーク」
―「部活動での指導」と「授業での指導」で、大事にされていることは何でしょうか?
どちらの指導でも学生の主体性やコミュニケーション能力、リーダーシップ性を高めることを意識しています。そのため、上級生の授業では、テニスや卓球といった個人競技をしないことにしていますね。チーム競技を行うことで、チーム全体で話し合いながら競技してほしいからです。
その一環として、「チームトーク」の時間を1~2分間ぐらい設けています。これは各練習セクションが終わった後に、学生たちがさっき行った練習をレビューし、次回の目標を決める時間です。自分たちで自己評価をしたうえで次の課題を考えることは、スポーツに限らず社会人になっても重要なことですので、それを鍛えるために行っています。慣れてくると、私が指示しなくても、学生たちで自然と集まってできるようになるんですよ。
―最後に、現役の高専生や、高専を目指す中学生にメッセージをお願いします。
高専は5年間ありますので、大学受験にとらわれずに自分の知識やスキルを磨くことができます。高専生を見ていても本当にのびのびと生活していますし、私も学生時代に高専に入学すればよかったと思うほどです(笑) 自分の夢をクリアに思い描いていて、かつ高専にその夢を実現するための学科があるのなら、ぜひ入学いただいて、夢をかなえてほしいですね。
大橋 千里氏
Chisato Ohashi
- 富山高等専門学校 射水キャンパス 一般教養科 准教授
1996年3月 広島市立安佐北高等学校 卒業
1999年3月 福岡大学 体育学部 退学(3年次から大学院へ飛び級)
2001年3月 福岡大学大学院 体育学専攻 修士課程 修了
2001年4月 福岡大学 スポーツ科学部 助手
2003年4月 富山大学 教育学部 非常勤講師、富山商船高等専門学校 非常勤講師
2005年4月 富山県立富山商業高等学校 非常勤講師
2006年4月 富山県立しらとり養護学校 教諭
2007年4月 富山商船高等専門学校 教養学科 講師
2009年10月より現職
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