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日本初の洋上風力発電所建設を担当! 「地図に残る仕事」を目標に今後も再エネ発電所建設を行う

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地図に残る仕事がしたいという想いで、苫小牧高専への進学を決めた株式会社グリーンパワーインベストメントの藤田亮さん。日本初となる大型風車の洋上風力発電所建設を担当し、今後も再生可能エネルギー発電所の建設に携わっていきたいという藤田さんに、高専時代の思い出や研究内容、発電所建設時の苦労などを伺いました。

学校案内パンフレットの明石海峡大橋の写真に魅了される

―幼少期はどのような子どもでしたか。

幼少期からものづくりや、ものの仕組みに興味を持っていたようで、親からは、「よく、壊れたおもちゃを分解して直そうとしていた」と聞いています。ものづくりが好きで、壊れたものはどのようにすれば直すことができるのか?というロジックにも興味を持っていたようです。そういう意味では高専へ惹かれたのも必然的だったのかもしれません。

―高専へ進学したきっかけを教えてください。

きっかけは、高専の学校案内パンフレットを見たことでした。見開きのページに大きく明石海峡大橋が載っていて、このような建造物を造るための勉強をする場所だと書かれていました。当時、将来は地図に残るようなスケールの大きな仕事に携わりたいと考えていたので、構造物の建設について学べる点や、高校生の段階から技術的な勉強ができる点に惹かれ、進学を決めました。

ちなみに、現在勤めているグリーンパワーインベストメントの上司に、明石海峡大橋の設計・施工を担当した方がいらっしゃって、これも何かの縁だと感じています。まさかそんな方と一緒に仕事ができることになるとは、当時の自分が知ったら驚くでしょうね。

―高専では地元を離れて寮生活をされていたそうですね。当時の思い出を教えてください。

入学したばかりの1年生はまだ15歳ですが、一番上の5年生は20歳でお酒も飲める年齢です。先輩方がとても大人に見えて、正直なところ少し怖かったことを覚えています。まだ子供だった自分は、寮生活のルールを守れずに先輩から注意を受けることもあり、「社会生活とはこういうものか……」という体験をしました。

そのルールの一つとして、1年生は平日夜に2時間の自習時間が設けられていました。毎日部活で疲れていましたが、寝ているものなら先輩から指導が入るので、しっかりと机に向かっていました。そのおかげか机に向かう習慣ができて、2年生以降も部活と勉強をうまく両立できていました。

高専時代の藤田さん。長靴アイスホッケー冬季体育大会の写真。スケート場でこちらを見ている様子
▲高専時代の藤田さん。長靴アイスホッケー冬季体育大会の写真

また、所属していた野球部も厳しく、学校の授業や寮生活だけでなく、部活でも多くの学びがありました。早い時期から一緒に社会を学び、切磋琢磨しながらともに5年間を過ごした友人はかけがえのない存在です。

高専時代の藤田さん。冬季体育大会にて、同じクラスのチームメンバーと集合して記念撮影
▲高専時代の藤田さん。冬季体育大会にて、同じクラスのチームメンバーと

―高専卒業後、専攻科に進まれた理由を教えてください。

専攻科は機械・物質・環境都市の3学科が一つにまとめられており、横断的に学べる仕組みでした。本科で学んだ環境都市(土木)工学以外の知識も幅広く学べ、自分の興味を試せると思ったことが専攻科に進学した理由です。

実際、専攻科で他の分野にも触れたことで、興味の幅が広がりました。機械分野の授業で、空力を学ぶために紙飛行機大会が開かれたのが、とても印象に残っています。また、後に就職先として北海道ガスに興味を持ったきっかけも、専攻科の機械・物質分野で学んだ燃料電池の普及を事業の一つの柱にしていた点に魅力を感じたからでした。

専攻科での燃料電池の授業をきっかけにガス会社に入社

―学生時代の研究内容をそれぞれ教えてください。

高専の本科・専攻科では、コンクリートの強度をあえて抑えることで芝生を生やす緑化コンクリートの研究をしました。卒業後は大学院に進み、同様の研究を継続していました。

この研究内容を選んだきっかけは、せっかくなら一風変わった研究をやってみたいと思ったからです。緑化コンクリートの研究自体は当時からあったのですが、一般的には穴をあけたコンクリートに植物を生やすものでした。そこで、自分なりに「強度を抑えたコンクリート」という新しい仕組みに挑戦しました。

結果としては、コンクリートに植物を生やすことはできても、育たずに枯れてしまうという問題を解決できずに終わってしまいました。ですが、本来固いはずのコンクリートに植物が育てば、都会のコンクリートジャングルの景色を一変でき、さらには地球温暖化にも貢献できるという社会的に重要な意義を持つ研究でもあったと思います。

大学院では、研究を続けてきた「強度を抑えたコンクリート」を、埋め戻し材料に活用する研究を行いました。札幌市で発生した下水汚泥焼却灰を混ぜて流動コンクリートをつくり、老朽化した下水管やマンホールへの埋め戻しの材料として使えないか、研究を行いました。これも、下水汚泥焼却灰の再利用によって循環型社会を目指すというところで、意義のある研究だったと思います。

北海道大学大学院で行っていた流動化コンクリートの研究で実証実験をした時の様子
▲北海道大学大学院で行っていた流動化コンクリートの研究で実証実験をした時の様子

―就職先はどのように決めましたか?

大学院を出て、新卒で北海道ガスに入社しました。大学の合同企業説明会中に空き時間が生まれ、ふと「地元企業の話も聞いてみよう」と聞きに行ったのがきっかけです。

説明会では、比較的クリーンなエネルギーである都市ガスへの燃料転換を推し進めているという話を聞き、専攻科時代に学んだ燃料電池を活用した事業に興味を持ちました。また、今後は新しくLNG基地建設に取り組んでいくというお話もお聞きして、小さい頃からの夢だった「地図に残る仕事」に関われるのではないかと考え、入社を決めました。

入社後は、北海道では初めての輸入LNG(液化天然ガス)基地の建設担当になりました。建設を依頼する大手のゼネコンや機械メーカーが実施する設計や施工の監理や現場工事の品質管理を担っていました。

北海道ガス石狩LNG基地。海辺にあります
▲北海道ガス石狩LNG基地

今の職場では、北海道ガスでの建設管理の仕事を生かし建設工事全般、完成後のメンテナンスを担当しています。学んだことを生かしつつ、新たなことにチャレンジできていると思います。

経験を活かし、日本初の洋上風力発電所建設に取り組む

―北海道ガスで11年働いたあと、現在の職場へ転職されています。きっかけを教えてください。

北海道ガスでのLNG基地の建設工事が一段落して、11年目にLNG営業の部署に異動しました。当時は、国が2050年にカーボンニュートラルを実現すると宣言し、世の中が脱炭素社会へと大きく舵を切り始めていた時期です。営業先のお客様からも「これからの時代は、水素ガスや風力発電ではないか?」というお話をよく耳にし、私の興味関心もそちらに向き始めていました。

そんな時、グリーンパワーインベストメントが石狩湾で日本初の大型洋上風力発電所の建設を始めようとしていることを知りました。建設現場の経験も活かしながら、脱炭素社会に向けて自分も新しい挑戦ができると思い、グリーンパワーインベストメントへの転職を決めました。

入社後は、希望通り石狩湾の洋上風力発電所の建設に携わり、2023年に建設工事が完了し2024年1月より商業運転を開始しました。今は主に風車の基礎となる部分のメンテナンスを担当しています。

メンテナンスのため、洋上風車に登っている藤田さん
▲メンテナンスのため、洋上風車に登っている藤田さん

―洋上風力発電所の建設は日本初の試みが多かったと聞いています。苦労はありませんでしたか。

洋上工事での私の担当は、海底ケーブルの敷設でした。海底ケーブルは名前の通り海の底に配置する風車と風車を繋ぐ電力ケーブルで、「ジャケット」と呼ばれる風車の基礎(土台部分)に設置された管路を通じて風車へ引き込まれています。

ジャケット基礎を使った洋上風力発電所の建設は日本初の試みでした。実績がないこともあり、陸上でケーブルの引き込みテストを行ったものの、うまく引き込みが出来ませんでした。テストを行っている北九州から状況を報告すると、引き込みの目途が立つまで北海道に帰ってくるなとの指令を受け、ホテルを転々としながら原因究明と対策を練って再試験を重ねる日々を過ごしました。

それから、ちょうど北九州で初雪が降った日だったと思います。偶然にも、その雨雪がケーブルの摩擦力を減らし、スムーズに引き上げが可能になるということがわかりました。解決の糸口に辿り着き、クリスマス前には北海道に帰ることができました。この北九州での約1ヶ月間は、大変ながらも忘れられない期間です。

建設工事は2023年12月に無事に完了しました。日本初のプロジェクトで、大きな壁にあたりながらも完成させることができ、何にも変え難い達成感を得られました。

風車施工時の全景写真。海上から遠くに北海道ガス石狩LNG基地も見えている
▲風車施工時の全景写真。北海道ガス石狩LNG基地も遠くに見えています

―今後、挑戦したいことを教えてください。

自分のスキルや経験を活かして、今後も洋上風力を中心に、再生可能エネルギー発電所の建設に関わりたいと思っています。幼少期からものづくりに楽しさを感じていたため、「建設」という仕事に、イチからつくり上げていく楽しさを感じています。建設は一人ではできないことなので、コミュニケーションも重要です。そんな時には15歳からの寮生活での経験が生きているな、と思うこともあります。

風車部材が並ぶ様子
▲風車部材が並ぶ様子

また、一社目がガス会社だったこともあり、水素の活用にも興味があります。洋上風力と組み合わせて水素をつくり、トラックの燃料や、地域に供給される電力へと活用できたらと思います。

―最後に、高専生へのメッセージをお願いします。

今は少し仕組みが変わったかもしれませんが、当時の高専は1年生の時点で自分の専門が決まり、その分野の勉強しかしなくなります。ただ、そんな若い時から自分のやりたいことが明確に決まっている人は少なく、悩むことが多いのではないかと感じます。

私の同級生には、高専の情報工学科に在籍したものの、大学で経済学部に進んだ方がいます。実際、私も高専で学んだことが全て今の仕事に直結しているかというと、そうではありません。専攻科の時に別分野の燃料電池の仕組みに興味を持ち、それがきっかけで北海道ガスへの入社を決めて、そこでの経験が今に活きているという経緯があります。

つまるところ、悩みすぎる必要はないということです。自分のやりたいことが定まっていなかったり、自分の専門に興味を持てなくなったりしても、目の前のことに取り組むうちに、思わぬきっかけで将来への扉が開くかもしれませんよ。

藤田 亮
Ryo Fujita

  • 株式会社グリーンパワーインベストメント 石狩湾新港洋上風力発電所

藤田 亮氏の写真

2006年3月 苫小牧工業高等専門学校 環境都市工学科 卒業
2008年3月 苫小牧工業高等専門学校 専攻科 環境システム工学専攻 修了
2010年3月 北海道大学大学院 工学研究科 環境創生工学専攻 修士課程 修了(土木系)
2010年~2021年6月 北海道ガス株式会社 石狩LNG基地 他
2021年7月より現職

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