進学者のキャリア大学等研究員

「人前で緊張」「校長先生を怒らせる」——かつての未熟な高専生が世界を狙う研究者になるまで

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「毎日が勉強ばかり、こんなの続けられない……」そう思っている学生はいませんか? 今、世界で輝く研究者として活躍している先生方も、昔から優等生だったわけではありません。

九州工業大学大学院生命体工学研究科には、高専を経て大学院に進学し、今は先生として指導と研究に取り組む方々がいらっしゃいます。今回は、自分が感じたおもしろさを追求する前田憲成先生と、高専時代から研究に熱心だったという安川真輔先生に、それぞれ学生時代のお話や現在の活動について伺いました。

※この記事は、九州工業大学 井上創造先生によるインタビュー企画三部作の第一部です。
 第一部 九工大で研究者として働いている高専卒生(この記事)
 第二部 九工大で学生として学んでいる高専卒生―九工大大学院 生命体工学研究科の高専卒学生に聞く―(前編)
 第三部 九工大で学生として学んでいる高専卒生―九工大大学院 生命体工学研究科の高専卒学生に聞く―(後編)

なぜ高専へ? 高専時代の思い出と悩み

―お二人が高専に進学を決めたきっかけを教えてください。

安川先生:家電やパソコンに詳しい親戚が多く、自然とモノの仕組みに関心を持つようになったのがきっかけの1つです。また、兄が奈良高専の出身で、よく高専のユニークな先生たちのお話を聞いていました。イキイキと学校へ通う兄の姿を見ていたことや、家から近かったことなど、いろんな理由が重なり、私も同じ奈良高専への進学を決めました。

取材をお引き受けいただいた安川先生。腕を組んでこちらを向いている。
▲取材をお引き受けいただいた安川先生

前田先生:私は一般の公立・私立高校への進学も考えていたのですが、「高専は就職率が高いから」という親からの勧めもあり、久留米高専へ進学しました。安川先生のように興味があることや、高専でやりたいことがあったわけではないというのが正直なところです。

取材をお引き受けいただいた前田先生。腕を胸の前に掲げてこちらを向いている。
▲取材をお引き受けいただいた前田先生

―今でも忘れられない高専での出来事を教えてください。

前田先生:九工大への編入を考え、そのためには高専からの推薦が当時は必要でしたので、谷口校長先生(当時)と面談をしたことがあります。しかし、そこでこっぴどく叱られてしまいまして……。というのも、私の編入試験に挑む準備が十分ではなかったんです。その考えの甘さから校長先生がお怒りになり、九工大について調べたレポートを提出するという特別課題を出されました。

頑張ってレポートを提出し、結果、推薦をもらうことができました。また、そのレポートのおかげで九工大について深く知ることができたので、大学の面接でもしっかりと受け答えができ、編入試験に合格できたのも事実です。あの時校長先生が叱ってくださったからだと今では感謝しています。

取材の様子。前田先生と安川先生が机をはさんで向かい合わせに座っている。

安川先生:私も当時は大阪大学への編入を考えていました。大阪大学には私が研究していた内容と近い分野を研究されている先生がいらっしゃって、論文もよく読んでいたんです。そのため、「編入するなら大阪大学へ」と考えていました。

ですが、私の周りには同じく大阪大学への編入を狙う非常に優秀な友人がいまして、その人と自分を勝手に比べて落ち込み、編入の勉強に打ち込めなくなってしまったんです。もちろん、その友人の結果が私の試験結果に影響を及ぼすことはないのですが、当時は気の弱い性格だったからか、人と比較してへこたれて逃げてしまいました。

結局、大学への編入は諦めましたが、専攻科に行った後も大阪大学の大学院へ進学している人が多いこと、またインターンで大阪大学の授業の受講ができることから、ひとまずは高専で頑張ろうと気持ちを固めました。

前田先生:私は、大学の編入試験はうまくいったものの、高専時代を振り返ると、勉強に熱心な方ではありませんでした。正直、研究に対する意欲もなく、今のように没頭することはなかったですね。今思うと、まだ自分がおもしろいと感じる研究テーマに出会えていなかったんだと思います。当時は趣味のバンド活動にばかり打ち込んでいました。

取材の様子。前田先生と安川先生が机をはさんで向かい合わせに座っている。前田先生が話している様子を安川先生が見ている。

▲高専時代はB’zのコピーバンドをしていたと話す前田先生。今でもB’zの大ファンとのことです

安川先生:私は逆に高専時代は部活動や趣味などに打ち込んだ記憶がなく……(笑) 研究室で生体模倣について知り、自分に合った研究テーマに出会えたので没頭できたのだと思います。前田先生と私は180度違った高専生活だったようですね。

―高専時代に大変だったことや、抱えていた悩みはありますか?

安川先生:私はひどくあがり性でして、人前で話せないのがずっと悩みでした。プレゼンで頭が真っ白になってしまうこともしょっちゅうでした。

前田先生:確かに高専では学生が発表する機会が多いですよね。私は悩みという悩みはありませんでしたが、人前で発表する時はさすがに緊張していたと思います。

ただ、これは今思うと良い面でもありますよね。高専生は一般的な高校生に比べて発表やプレゼンの機会が多いので、若いうちから「話すこと」に慣れます。私の場合は、趣味であったバンド活動の経験が役立ち、「なんとかなる精神」で大学・大学院と進むにつれて、人前に立つことに全然緊張しなくなりました。

安川先生:私も高専時代のプレゼンはボロボロでしたが、回数をこなすうちに慣れて、うまく話せるようになりました。「完璧にしゃべらなくても大丈夫なんだ」と早いうちに気づけたのも良かったと思います。おかげで、今では気楽にプレゼンができるようになりました。きっと昔の私のように、人前での発表が苦手だと感じている高専生は少なからずいると思います。大学や院に進んだ時に、その経験が必ず生きてくることを伝えたいですね。

微生物と鮮やかな研究展開に魅せられ、研究者として歩み始める

―お二人はそれぞれ大学もしくは高専の専攻科から大学院に進んでいらっしゃいますが、進学を決めた理由は何だったのでしょう。

前田先生:久留米高専時代の恩師である加藤秀文先生(故人)から「大学に編入するなら大学院まで行きなさい」と指導を受けていまして、大学に編入した時から「院に進学すること」は考えていました。

安川先生:私は当時、院への進学が絶対だとは思っておらず、企業のインターンシップに参加するなど、就職も視野に入れていました。私は慎重な性格で、自分の研究分野に関する企業も自分の目で見てから進路を決めたいと思っていたんです。ただ、やはり研究が楽しかったんですよね。

あと、高専では学生が研究に詰まっていると、先生が話の展開や位置付けを見直すことで一気にまとめてくれることがあって、その研究者としての姿に憧れがあったという部分もあります。最終的には「知識をもっと深めて、さらに高度な研究をしたい」と思い、大学院への進学を決めました。

―大学・大学院での研究はどのように取り組んでいましたか?

前田先生:私は大学編入後も、相変わらず研究より趣味や遊びに時間を費やしていました。ただ、大学4年生になって突然、「なんのために大学に来たんだろう」と疑問に感じたんです。そこで、「せっかく大学に来たんだから、研究に本腰を入れてみよう」と思い立ち、微生物を扱う尾川博昭先生の研究室に所属。それからは気持ちを切り替えて、真面目に研究に取り組み始めました。

安川先生:一つのターニングポイントとも言えますね。

前田先生:そうですね。当時、卒研生と院生の勉強会で、抗生物質がなぜ病原菌のみに作用するのかというテーマを学習する機会がありました。そこで微生物のおもしろさに引き込まれてしまい、研究にのめり込むことになります。院を卒業してからも、アメリカで研究の機会をいただき、日本とは違った環境で、研究のおもしろさをより強く実感しました。アメリカでの研究は今の研究内容にもつながっています。

アメリカでの前田先生。球場をバックに前田先生がサムズアップしてこちらを向いている様子。
▲アメリカでの前田先生。研究の合間を縫って、メジャーリーグのマリナーズ戦(当時はイチロー選手や城島選手が出場)を観戦したときの一枚

安川先生:私は前期課程で1年留年しているんです。高専の次は、大学院でへこたれてしまいました。当時、研究自体は真面目に取り組めていたのですが、ゴール設定をきちんとしていなかったことや、「綺麗に進めたい・綺麗な結果を出したい」という葛藤の末に、期間内に研究結果をまとめることができなかったんです。

後期課程の院試が近づく中、「今の研究もまとめられない自分が、後期課程に進んでうまくやっていけるのか」と不安になったことを覚えています。結局、1年留年することで研究を終わらせ、後期課程に進みました。何とか乗り越えられたのは、当時の研究室で周囲の人たちに精神的に助けてもらったことが大きかったです。

前田先生:先ほど安川先生から「高専では先生が学生の研究をまとめてくれる」という話が出ましたね。確かに高専はそのようなスタイルですが、院はまったく違いますよね。すべて自分で進めていかなければいけない。

安川先生:そうなんです。高専時代の研究は指導教員が丁寧に手ほどきをしてくれて、最後に綺麗に整理してくださることが多かったです。一方、大学院では学生が主体的に計画し、研究をゴールまで持っていく必要があります。私の場合、この高専と大学院とのギャップをよく理解しないままに研究を進めてしまったのが大きな失敗でした。

―高専・大学・大学院と研究を続け、今の研究活動の場として九工大を選ばれたのはどのような理由でしょうか。

安川先生:私は、阪大を出てからは、九工大の社会ロボット具現化センターで、研究員としてロボットに関わるプロジェクトに参加させていただきました。3年間のプロジェクトだったのですが、1年延長されることになり、その1年は東京のスタートアップで働きながら兼業でプロジェクトに加わることにしました。当時は働きながら、週に一度、東大に所属して九工大のチームと一緒に研究をしていましたね。

大学院修了後の安川先生。機械に囲まれた現場にて作業着やヘルメットを着用した状態でノートパソコンに向かっている様子。
▲大学院修了後、九工大チームで研究員をされていた頃の安川先生

当時のプロジェクトは深海に行って生き物を捕らえてくるロボットを開発するというもので、私は主に画像処理部を担当していたのですが、実際の海でロボットが完璧にミッションをこなすことは難しく……。しかし、なんとついにプロジェクト最終日に実験が成功したんです。

その時の達成感は今も覚えていて、研究のおもしろさを感じたのと同時に「このチームで研究をするのは楽しいな」とも思いました。そこからちょうど同じタイミングで九工大のポストの公募があり、応募して今に至ります。

前田先生:私の場合、九工大の博士課程終了後にアメリカのテキサスA&M大学でポスドクをさせていただいた時期がありました。私の博士課程での研究は「火薬の微生物分解」をテーマとしていて、もし成功すれば地雷の除去にも繋がるため、「ノーベル平和賞を取れる!」と確信していた時期もありましたね。

そんな時にアメリカに行き、世界にはもっとおもしろい研究や物事があると気付かされたんです。例えば、微生物から水素ガスをつくったり、微生物があたかも会話をする(クォーラムセンシング)内容だったり、海外ではこんな研究をしているのかと毎日が感動の嵐で、研究にのめり込んでいました。不真面目だった高専時代の私からは考えられないですよね。

そんな矢先に、九工大での恩師である尾川博昭先生から「九工大にポストが空いたので戻ってこないか」と連絡がありました。正直、アメリカが楽しくて帰国するのが惜しかったため、いつまで待っていただけるのかと聞き、半年待っていただく形でぎりぎりまでアメリカで研究に打ち込み、その後、九工大に戻ってきました。

おもしろいと思ったことを世の中へ。会話をする微生物/生体ビジョンで世界を狙う

―現在の研究内容を教えていただけますか。

前田先生:大学時代からテーマは一貫して「微生物のおもしろい機能を使ったバイオテクノロジー開発」に関する研究です。例えばアメリカで始めた微生物の会話(クォーラムセンシング)の研究は今もずっと続けています。

昨今、抗生物質の乱用や誤った用法により、微生物が耐性を獲得し、従来の治療法が効かなくなることがあります。この耐性を獲得した微生物——薬剤耐性菌の出現を止める方法として、「微生物の会話(クォーラムセンシング)」というメカニズムが注目されています。

微生物は会話によって周囲の仲間を察知し、一定の数がいることがわかれば一斉に有害な行動を始めます。そのため、このクォーラムセンシングを阻害することで、微生物の悪さを止めることができる。私はこの方法にどの程度の効果があるのかを研究しています。

もう1つ、ヘルスケアの分野でいうと、「デロビブリオ」という菌についても研究しています。これもアメリカで出会った研究テーマです。デロビブリオは捕食菌とも言われていて、薬剤耐性菌をバクッと食べてしまいます。この、食べる・食べられるの関係を使って、薬剤耐性菌の出現を防ぐというものです。

他にもエネルギーの生成、プラスチック分解など、微生物に関わることであれば幅広く研究しています。世の中にはおもしろいことがたくさんあるので、微生物の力を使って環境や人にとって良いと思われるあらゆることに取り組んでいます。

安川先生:私は、ビジョンセンサーなど生体視覚系を模倣したデバイスづくりです。これは、例えば今注目されている認識系デバイスや、IoTカメラ、視覚補助に活用できるものです。

取材時、安川先生がご自身の開発された視覚模倣型デバイスを見せながら解説していただいている様子。
▲安川先生が開発された視覚模倣型デバイスを見せながら解説していただきました

あとは、ロボットビジョン技術を活かして生体の視覚メカニズムを探る視覚科学の研究にも取り組んでいます。例えば猫がネズミを追いかけている時、眼球であちこちを見ながら体を動かし、複雑な視覚パターンの中で情報処理をしていると考えられます。しかし現状の生理学の実験では主に、麻酔させた状態で目を見開き、単純なパターンを見せながらといった形でしか計測ができません。

そこで、実際の眼球運動がある状況で、視覚神経系がどのような情報処理をしているのか、コンピューター上で神経細胞間の信号伝達を再現するシミュレータ装置を開発しています。

この「生体視覚系に学んだカメラデバイスづくり」と「工学技術を活かした視覚科学への貢献」の2つは相互作用をもたらすものなので、両者を究めることでさらにおもしろい研究へと発展できたらと思っています。

―研究内容が社会に貢献していると感じられる瞬間はどんな時でしょうか?

安川先生:ものづくり企業から技術に関する相談があった時や、その際に学術的なアドバイスができた時には、研究内容が社会に還元されていると感じます。

前田先生:私はやはり論文ですね。論文を出すことで世の中が私の研究分野にどのように興味を持つのかがわかるので、1つの指標としています。あと、企業からの相談も増えてきました。抗菌材料の開発や、土地の緑化など、微生物を使って解決できないかと相談をいただくことが増え、この分野が頼りにされているんだなと感じています。

―生命体工学研究科やご自身の研究室のアピールポイントをおしえてください。

前田先生:生命体工学研究科は多様な分野・学問を専門とする教員が集まっており、分野横断型の研究を進められる点は、通常の学科とは違った特徴かもしれません。

安川先生:ですので、広い知的好奇心を持っている人には良い環境だと思います。先生方も学生も、研究に没頭できる環境があります。

前田先生:学生たちの出身も、高専、九州工業大学、他大から、とさまざまです。留学生も多く通っています。さまざまなバックグラウンドを持った人たちに囲まれ、幅広く研究に携われるため、視野が広がったり多様性が生まれたりと、物事を俯瞰的に見られるようになるのは、この研究科ならではの魅力だと思います。

もし高専でくすぶっていて、違う環境に飛び込んでみたいと思う人には、ぜひ来てほしいですね。実際、先生方の中にも安川先生や私のようにいろんな環境に飛び込み、成功している方は多くいらっしゃいます。

―お二人の今後の目標や挑戦したいことを教えてください。

九工大の教室の窓辺で、前田先生と安川先生が並んで立ってこちらを向いている。背景の窓からは眺めの良い景色が見えている。

安川先生:個人的なことですが、ちょうど1年前に子どもが生まれ、研究・家事・育児の両立の難しさを感じています。学生の指導や研究、子育ては楽しいことばかりですが、まだまだ不慣れな点も多く、うまく両立していきたいですね。

仕事のことで言うと、以前スタートアップに勤めていたことがあるので、できればいつか起業に携わり、自分のおもしろいと思っていることを広く波及させていけたらと思います。

また、研究者としてはまだまだ若手で、海外での研究経験を積めていないことを少しコンプレックスに感じています。前田先生もアメリカでの研究活動で視野が広がり、今の研究にもつながっているとおっしゃっていましたよね。私も、今後どこかのタイミングで海外留学をして、研究のネタづくりやコミュニティづくりができたらと思っています。

前田先生:私の場合は、おもしろい研究成果を論文として上梓(出版)すること。地に足をつけて研究を進めていくのが私の基本的なスタイルなので、まずはこれに尽きます。

アメリカに行く前はノーベル平和賞を取れると本気で思っていた時期もありましたが、賞なんて狙って取れるものではありません。今まで通り、自分がおもしろいと思ったことを世の中にどんどん出していく、これが一番だなと思います。微生物の魅力が若者にも伝わり、多くの人に興味を持ってもらえたらうれしいですね。

 

○イベント情報
【九州工業大学 大学院生命体工学研究科 オープンキャンパス 2024】
日時:2024年5月11日(土)10:00~15:00
場所:九州工業大学大学院生命体工学研究科 若松キャンパス
   (北九州市若松区ひびきの2-4)
費用:無料
詳細はこちら

○九州工業大学 生命体工学研究科 公式LINE
九工大へ進学した高専生について詳しく知りたいという方や、学生生活や研究設備に興味のある方へ向けて、役立つ情報を配信しています。
登録はこちら(LINEアプリのダウンロードが必要です。)

○九工大インタビュー企画(全三部作)
 第一部 「人前で緊張」「校長先生を怒らせる」——かつての未熟な高専生が世界を狙う研究者になるまで(この記事)
 第二部 願書を出し忘れた、感電した……高専時代の失敗や進学理由 ―九工大大学院 生命体工学研究科の高専卒学生に聞く(前編)―
 第三部 材料を応用した情報処理から介護・医療のアシスト装置まで……「研究に熱中できるキャンパス」の大切な特徴 ―九工大大学院 生命体工学研究科の高専卒学生に聞く(後編)

前田 憲成
Toshinari Maeda

  • 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 生体機能応用工学専攻 教授

前田 憲成氏の写真

1999年 久留米工業高等専門学校 工業化学科(現・生物応用化学科) 卒業
2001年 九州工業大学 工学部 物質工学科 応用化学コース 卒業
2003年 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 生体機能専攻 博士前期課程 修了
2006年 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 生体機能専攻 博士後期課程 修了
2006年4月〜2007年9月 テキサスA&M大学 工学部 化学工学科 博士研究員
2007年10月~2011年9月 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 助教
2011年10月~2021年10月 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 准教授
2021年11月より現職

安川 真輔
Shinsuke Yasukawa

  • 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 人間知能システム工学専攻 准教授

安川 真輔氏の写真

2006年 奈良工業高等専門学校 電気工学科 卒業
2008年 奈良工業高等専門学校 専攻科 電子情報工学専攻 修了
2011年 大阪大学大学院 工学研究科 電気電子情報工学専攻 博士前期課程 修了
2014年 大阪大学大学院 工学研究科 電気電子情報工学専攻 博士後期課程 修了
2014年4月~2017年3月 九州工業大学 社会ロボット具現化センター 研究員
2017年4月~2018年10月 株式会社RecreationLab 研究員(東京大学 生産技術研究所 ソーントン研究室 特任研究員に2017年5月~2018年3月まで兼業)
2018年10月より現職
2019年4月〜2022年3月 九州工業大学 オープンイノベーション推進機構 社会ロボット具現化センター 准教授、同 イノベーションロボティクスセンター 准教授、同 ニューロモルフィックAIハードウェア研究センター 准教授
2022年4月〜現在 九州工業大学 先端研究・社会連携本部 ニューロモルフィックAIハードウェア研究センター 准教授、同 イノベーションロボティクスセンター 准教授、同 革新的宇宙利用実証ラボラトリー 准教授、同 社会ロボット具現化センター 准教授

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