東京都立航空工業高等専門学校(以下、都立航空高専、現:東京都立産業技術高等専門学校)で培った高専教育の経験を生かし、現在は「ヒューマンネットワーク高専」の顧問である島田一雄先生。これまでの取り組みや、誰よりも熱い思いで高専生とOB・OGを応援する島田先生の活動、そしてこれから挑戦したいことについて伺いました。
全国高専連携の要「ヒューマンネットワーク高専」
―「ヒューマンネットワーク高専」とは、どのような組織なのでしょうか。
ヒューマンネットワーク高専(HNK)は、国公私立の垣根なく全国高専のOB・OG や在校生、高専関係者およびHNKの活動に賛同される方々で構成されています。1996年10月に設立総会を開催し、準備期間を含めて30年近くの歴史を持つ高専卒業生の会の老舗的な組織です。
HNKは、さまざまな業界において幅広く活躍する各高専出身者の連携と躍進を目指し、高専独自の人脈づくりと、さらなる知識と技術を蓄積でき、世代を越えて切磋琢磨する場として設立されました。
―HNKに島田先生が携わることになったきっかけを教えてください。
私が都立航空高専の校長に就任した2002年にメーリングリストに追加いただき、その後、入会しました。当時、学校活性化と地域交流のためにスタートさせた「SAS(Saturday Afternoon School)」の情報発信をきっかけに、HNKのメンバーの第二の母校として航空高専を使ってHNK総会を開催していただくことで、HNKとの関係が一気に深まりました。
2005年に同校を定年退職、(財)日本無線協会に勤務後もHNKの活動を行っていて、2009年からは顧問を引き受けました。主な活動内容は、メーリングリストでの交流や月例会、各種のフォーラム、年一回の総会などの開催でした。
また、HNK機関誌「赤とんぼ」も年に一回発行、12号まで発刊しました。そこに記された活動報告からは高専OB・OGの輝かしい活躍を目にすることができますので、「赤とんぼ」の発行を再開して、現役生へのエール、一般の方への高専PRを発信しなければなりませんね。
HNKの活動を伝え、メンバーを増やす手段として、2012年からFBを活用し始めましたが、FBを使う人がまだ少なく開店休業状況が続いていました。やっと2020年の時点で500名ほどのグループだったのですが、私が一人一人に地道に友だち申請をして参加勧誘、さらに、2021年からはメンバーにも一人10名のメンバー参加勧誘を呼びかけ、 現時点で1年前の3.4倍の1,700名に増えました。
今後もメンバー勧誘をコツコツとひたすら続けてやっていこうと思っています。そしてHNKFBグループと他の10ほどの高専関係者等のFBグループにこまめに有意義な高専関連情報を届けていこうと思っています 。
高専は日本に留まらない「世界に誇る人材」の宝庫
―島田先生は、これまでどのようなご経歴だったのでしょうか?
某重電会社で働きながら夜間の工業高校に通い、このままいけば工場長になれるだろうとは思いつつも、「私の人生ってそんなもんじゃないよな!」と一念発起して大学受験にチャレンジ、1962年に電通大に合格しました。奇しくもちょうど高専ができた年です!
26歳で大学を卒業し、上智大と東大で助手として下積み時代を過ごしていました。 上智大では電気電子工学科に所属、ミリ波帯電波暗室の設計・建設、5km地上回線伝搬実験による50GHz帯降雨減衰特性の解明、衛星通信時代に先駆けて太陽雑音受信による高仰角における50GHz帯大気・降雨減衰特性の解明などの教育・研究に従事しました。
東大では宇宙航空研究所に所属、航空機の誘導システムMLS(Microwave Landing System)、
GPSなどの研究に従事しました。工博の学位を取得、工学部電子工学科の講師にしていただき、都立航空高専に電子工学科創設のための主任教授として招聘されました。
高専教育の取り組みでは、「衛星設計コンテスト」の運営と「超小型衛星づくり」に尽力しました。1993年から始まった「衛星設計コンテスト」には、開催年より航空高専の学生を連続参加させ、第3回から12年間、ホールを最終審査会会場に提供し、航空高専は、東大、東工大をはじめとして、北大、東北大、九大など全国の大学院生、大学生が集まる宇宙衛星分野のメッカとなっていました。
初期の頃の最終審査会出場者には学生時代に超小型衛星打上げを成功させ、現在は、はやぶさ2のプロマネとして活躍中のJAXAの津田雄一教授、小型衛星開発ベンチャーのアクセルスぺースの中村友哉社長など、宇宙産業界で活躍されている方々が多く、津田先生は「今の活躍のルーツは衛星設計コンテストに始まるCanSatならびにCubeSatづくりにあります」との言葉を発しておられ、非常に嬉しい限りです。
教職員・学生の協力を得てコンテストを主体的に運営し、自前の衛星通信システムによる双方向の全国中継も実施しました。衛星通信システムを操作するためには、無線従事者免許が必要なために、累計で50名近くの学生が免許取得をしてくれました。これらの長年の貢献に対して、2000 年に日本工学教育協会業績賞「衛星設計コンテスト参加による宇宙工学推進への貢献」を関係教員とともにいただいたことは、良い思い出になっています。
14年間教授を務め、あと2年で定年だと思っていた3月中旬に、突然、都教委から呼び出され、校長就任を打診されました。教務主事時代には学校改革のために都教委には頻繁に苦言を呈していましたので、「私が?」と、その時は正直驚きましたよ(笑)。
「私は今まで通りの姿勢を変えませんが、よろしいですか?」「結構です、是非、お受け願います」かくして、わずか2週間後には校長に就任、3年間、熱血校長として学校経営に全力を尽くしました。
リタイア後の2009年1月23日に、5年間かけて開発した15cm立法、重さ3.1㎏の航空高専・産技高専の超小型衛星「KKS-1」の打上げが、JAXAのH-ⅡAロケットにより成功したことは私の長年の夢が叶い、大変嬉しいことでした。
打上げ後13年半近く経ったいまも「KKS-1」は元気に宇宙を飛んでいて、非常に強いビーコン電波を発して、アマチュア無線家の衛星電波受信の際の宇宙の電波灯台の役割を果たしています。なお、「KKS-1」づくりに青春をかけたメンバーのうち、数名は現在、衛星開発分野で活躍しています。
2021年11月9日に、JAXAのイプシロンロケット5号機により、国立高専超小型衛星「KOSEN-1」の打上げが成功しました。
数年来、私が顧問として応援してきている「高専スペース連携グループ」の宇宙人材育成プログラムの継続により、多くの学生を育てつつ、教員も超小型衛星開発の腕を磨き上げてきておりました。
イプシロンロケット5号機搭載が決まってからの高知高専と群馬高専を中心とする、徳山高専、岐阜高専、香川高専、米子高専、新居浜高専、明石高専、鹿児島高専、苫小牧高専の10高専の学生、先生方の2年半、98回にも及ぶネットプロジェクト会議を経て生み出された「KOSEN-1」が打上げられて半年以上、無事に宇宙を舞っていることは、非常に素晴らしいことです。
最初の地球周回の「KOSEN-1」からのビーコン電波を、北の苫小牧高専での受信を皮切りに、順次、南の鹿児島高専まで見事にモールス符号をキャッチ、確かに「KOSEN-1」が宇宙を飛んでいることが確認でき、一同、歓喜の涙と笑顔でありました。
2022年明けには本格的な初期運用に移行、打上げ後半年を過ぎた現在、以下の予想以上の成果を上げて、高専生の実力を空から世界に示していることは大変喜ばしく、30年来の私の夢“宇宙のものづくりも高専で”の輝かしい実現は非常に嬉しいことです。
1. 1月初めのミニマムサクセスを経て、3月16日にオンボードコンピュータ(OBC)と連動するカメラによる初めての鮮明な地球のカラー撮影画像を取得できたことはOBC実証についてのフルサクセスであります。
2.2月中旬のデュアルリアクションホイール(DRW)の初期実験を経て、3月中旬には、衛星の角度、向きを1度単位で正確に変える実験に見事成功、新たに開発搭載したDRWによる超高精度姿勢制御の有用性が実証されたことは世界初の予想以上の成果であります。
まもなく始まる、木星電波観測用6.6m長ダイポールアンテナ展開の成功を期待しているところです。
2022年度には、「KOSEN-2」の打上げも決定していて、現在、鋭意、開発中です。「KOSEN-2」のプロマネの徳光政弘米子高専准教授は、航空高専の私の教え子なんです。なんとも感激深いです。
―島田先生から溢れる、そのパワーの源を知りたいです。
2020年6月から始めたZoomによるオンラインHNK月例会には全国のみならず、時差を気にすることなく海外からも高専OB・OGが参加してくれています。月例会のプログラム立案、講演者への依頼、参加者勧誘、お礼メール等、気が付けば真夜中までパソコンに向かう日々ですね。熱い思いには熱いうちに返事を返したいので、どうしてもそんな生活になってしまいます。
HNKを通じていろんな世代の高専OB・OGがつながっていくことが、本当に嬉しいんですよ。 若い人たちを後ろから精一杯応援することが私のお役目で、その使命を果たすために、寝食を忘れて彼らをつなぐことを一生懸命やっています。高専が大好きなので。ただそれだけです。
―ずばり、島田先生が思われる高専の魅力とは。
たくさんあり過ぎるので一つに絞るのが難しいですが、強いて言うならば、「偏差値に毒されない「実」の教育を行っている高等教育機関」というところですかね。
日本では幼稚園の頃から、良い学校への入試突破が唯一の目的の偏差値教育、紙と鉛筆で競う「虚」の教育が行われていることは非常に嘆かわしいことです。受験勉強に中断されない連続した5年間、あるいは7年間の青春時代を謳歌できる高専教育システムの優位性は明らかですよね。
入学直後からコンピューターに触れたり、ヤスリをかけたり、手を使って実際にモノを扱う「実」の教育を感性豊かな15歳から受けられる、鉄は熱いうちに打ての高大一貫教育は、いまや世界が認めるユニークな教育システムです。
そこで鍛えられた強靭な高専魂を持つ高専OB・OGの数は50万人に及び、彼らが60年も縁の下の力持ちのごとく科学技術立国日本を支えてきてくれ、また、海外でも活躍してきてくれていることを国民にもっと知らしめないといけませんね。
高専生、高専OB・OGは日本の宝どころではない、「至宝」ですよ‼
高専のただ一つの魅力についてお話ししましたが、まだまだ、多くの魅力がある素晴らしい学校が高専です。
―これから挑戦したいことをお聞かせください。
82歳を過ぎて挑戦というのもおこがましいですが、還暦を迎えた高専が輩出した50万人の有能な卒業生の緊密なヒューマンネットワークを実現したいですね。
現在、HNKFBグループのメンバーが1,700人、他の10ほどの高専人グループも含めても約10,000人で、目標の1/50ですが、各校同窓会の縦糸に対して、75歳の一期生から現役生までの広い年代の横糸をつなぐのがHNKの役割だと考え、50万人の高専出身者からなる「織物」を紡ぎたいと日夜、地道に努力しています。
各校同窓会のご協力に加えて、ホイヘンスの原理のごとく、10,000人の方がお一人5人の方をグループに招待、さらに招待された方がまた5人と招待の連鎖を続けていけば、50万人の織りなす素晴らしい「織物」が短期間で織り上がるはずです。
異口同音に、高専に恩返しをしたいと言われるOB・OGの皆さんに、是非、ご協力をお願いしたいですね‼
「プロデューサーシップのすすめ -AI時代のヒトが価値を<紡ぐ>ために」 共著、333ページ、2021年8月20日発行、紫洲書院
https://www.shidzu-kakurega.com/items/42109328
島田 一雄氏
Kazuo Shimada
- 東京都立航空工業高等専門学校 名誉教授(元校長)
ヒューマンネットワーク高専 顧問
1960年3月 都立大学附属工業高等学校(旧 都立工業高等専門学校 前身校) 電気科 卒業
1966年3月 電気通信大学 電気通信学部 卒業
1966年4月 上智大学 理工学部 電気電子工学科 助手
1975年4月 東京大学 宇宙航空研究所 計測部 助手
1988年3月 東京大学 工学部 電子工学科 講師
1988年4月 東京都立航空工業高等専門学校 電子工学科 教授
2002年4月 東京都立航空工業高等専門学校 学校長
2005年3月 同校 定年退職
2005年6月 (財)日本無線協会 参与
2005年11月 東京都立航空工業高等専門学校 名誉教授
2009年6月 ヒューマンネットワーク高専 顧問
2011年4月 (財)日本無線協会 専務理事
2015年1月 同協会 退職
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