
故郷・韓国の大学を卒業後、渡日して埼玉大学大学院に進学、現在は鶴岡高専で准教授を務める金帝演先生。ICTやIoTを活用した地域課題の解決に取り組みながら、「教育」にも真摯に向き合い、学生に寄り添い続けています。当時日本に留学を決めたきっかけや、現在の研究・教育に込める思いについて伺いました。
「周りと同じ道は行きたくない」——そんな思いで日本へ
―日本にいらっしゃる前、韓国の大邱(テグ)大学では電子工学を専攻されていたそうですね。
当時、韓国では電子工学が注目され始めた時期でした。今の日本で「情報」分野が流行しているような感覚に近いと思います。時代の流れもあり、自然とその分野を選びました。
正直に言うと、入学当初はあまり真面目な学生ではなかったんです。1年目は成績も振るわず、日本でいうところの“赤点”を取ってしまい、親から「何しに大学に行ったの?」と言われたこともあります。その後、休学して兵役に行き、復学してからは気持ちを入れ替えて勉強するようになりました。
―大学卒業後、なぜ日本の大学院に進学することを選んだのでしょうか。
一番の理由は「みんなと同じ道を行きたくなかったから」です。ソウルに進学する友人が多いなか、私はもっと違う環境に飛び込みたいという気持ちがありました。
私は何かを決めるとき、深く考えたうえで決断したら、あとは振り返らずに突き進むタイプです。もちろん、知り合いもいない、言葉も通じない国に行くのは、簡単な決断ではありませんでした。でも、不思議と怖さはなく、「行けば何とかなる」と思っていました。
日本を選んだのは、自動車関連の技術に興味があったからです。自動車といえば、当時はアメリカ、ドイツ、日本の3カ国が世界をリードしており、その中から電気電子系で進むなら、アメリカか日本。しかし、アメリカは距離も費用も負担がかかる。一方、日本は距離も近く、費用面でも現実的だったため、日本に行くことを選びました。
―大学院は埼玉大学を選ばれたそうですね。
自動車技術の中でも高度交通システム(Intelligent Transport Systems ; ITS)に興味があり、その分野を学べる研究室が埼玉大学にあったため進学しました。ただ、入ってみるとこれが想像以上に厳しい研究室だったんです(笑)
ゼミは毎週2回で、パワーポイントと配布用のレジュメを日本語で準備しなければなりません。当時はまだ日本語も拙く、漢字も読めなかったので、毎回紙の辞書を引きながら準備し、ゼミの前日はいつも徹夜でした。
ゼミの発表が終わったあとは、先生や研究室の学生から質問する時間がありまして、その質問への答えがわからなかった場合や、わかっても日本語で説明できなかった場合は、次回までの宿題になります。多いときは4回分も宿題が重なったことがありました。
最初に与えられた研究テーマはとても難しく、先生から「君には無理かもしれない。他のテーマに変えよう」と言われてしまいました。それが本当に悔しくて、「次のテーマで結果を出せなければ終わりだ」と思い、必死に取り組んでいましたね。
―長谷川孝明先生との出会いが、人生の転機になったと伺いました。
はい。前述したゼミの指導教員である長谷川先生は、厳しくも必要なときにはとことん向き合ってくださる先生で、夜の0時頃から朝方までディスカッションが続くこともありました。その情熱に圧倒され、「自分のような学生をここまで育ててくれる先生がいるのか」と衝撃を受けたんです。
それが、私が教員を志す大きなきっかけになりました。ゼミでの取組を通じて「努力すればこんな自分にもできるんだ」と実感できたのも長谷川先生のおかげです。私も、研究室の学生たちが何かを必要とするタイミングで、そばで支えられる存在でいたいと思っています。それは、長谷川先生の背中を見て、学んだ姿勢です。
―大学院ではどのような研究に取り組まれていたのでしょうか。
自動車の高精度な位置特定、いわゆるポジショニングに関する研究です。カーナビであればGPSで十分ですが、自動運転の実現には、より高精度な位置情報が必要になります。そのため、GPSだけでなく、カメラや磁気マーカーなどの技術を組み合わせて、車両の位置を特定する方法を研究していました。
学生と向き合う場として「高専」を選ぶ
―大学院終了後は、まず民間企業に就職されています。
私には「自分の研究を、生きている間に世の中に製品として出したい」という夢があります。学生時代から思っており、今でも変わっていません。進路を決める際には、社会に実装されるスピードが速いのは企業だと思い、まずは民間への就職を選びました。
ただ同時に、長谷川先生のように「自分のような学生を育ててみたい」という気持ちもずっと心の中にありました。その思いが強くなってきた頃に、埼玉大学で専門に近い内容の教員公募があり、縁を感じて応募したところ、運よく採用いただいたという流れです。
―企業と大学、それぞれの現場で感じた違いはありましたか。
大きな違いは、やはり教える対象がいるかどうかです。企業では基本的に自分で学び、問題を解決していく力が求められます。一方、大学や高専では学生を育てることが求められ、研究と教育の両立が前提です。学生と一緒に考えながら進んでいくことの面白さ、学びを支える喜びは、企業では得られないものでした。
―その後、大学から高専の教員へとキャリアを移された理由は何でしょう。
大学で夜遅くまで学生と研究に取り組むのは楽しかったのですが、大学では論文実績が重視されます。特に国立大学では、ある程度の論文数を書かなければ昇進が難しいという現実があります。
埼玉大学は先生方の雰囲気も良く、アクセスも便利で、魅力的な環境でした。ですが、私は論文に追われるより、学生と向き合う時間を大切にしたい気持ちが強く、この環境にずっと身を置くのは難しいと感じました。
辞令において、埼玉大学の教員の業務内容は「研究および教育に従事する」と明記されていますが、鶴岡高専の場合は「教育および研究」と記載されていて、教育が主軸にあります。この教育中心の考え方が、自分には合っていると感じました。
―鶴岡高専には、どのような経緯で着任されたのでしょう。
実は、鶴岡という土地にはまったく縁もゆかりもありませんでした。他にもいくつか応募していたのですが、鶴岡高専の選考が一番早く進み、面接の帰り、特急列車「いなほ」で疲れて寝ていたところに電話がかかってきました。「採用ですが、どうされますか?」と聞かれ、咄嗟に「行きます」と答えたのを覚えています。
気づけば、着任からもう13年が経ちました。最初の3年ほどは授業準備に追われ、論文を書く余裕もありませんでしたが、今では落ち着いて、丁寧に指導と研究の両立ができるようになりました。この5〜6年で12〜13本ほど論文を発表しており、ようやくほかの先生方と同じくらいのペースでアウトプットが出せるようになっています。

鶴岡のまちで見えたもの——学生とともに歩んだ13年
―現在の研究内容を教えてください。
ICTやIoTを活用して地域の生活をより豊かにするための研究に取り組んでいます。テーマは多岐にわたり、農業向けの環境モニタリング、熱中症予防システム、ペット用見守りシステム、観光支援アプリ、高齢者向けのバス情報提供システムなど、実生活に根ざした内容が中心です。
―熱中症予防システムは、ご自身の体験がきっかけだったそうですね。
JA全農山形との共同研究で、学生と一緒にビニールハウスにウェザーステーションを設置していたときのことです。朝10時にはもう汗びっしょりで、危うく熱中症になりそうになり、「これは危ない」と実感しました。
その後学校に戻って学生と「暑かったね」「大変だったね」と話しているうちに、ユーザーが実際にいる「活動空間」で気象情報を取得し、熱中症予防につなげるべきじゃないか、と思い至りました。
それからちょうど研究会の準備で学生と夜遅くまで残っていたとき、ある学生のスマホに写った犬の写真が目に留まり、「ペットも熱中症になるんじゃない?」と聞くと、「なりますよ」と。その会話からペット用の熱中症予防システムの研究も始めました。
特に都市部では、アスファルトにたまった熱で、夜の散歩すら難しい場合があります。犬の首輪に温度センサーをつけてモニタリングし、スマホに情報を送り、熱中症になる前に気づくことができたら有効だと考えました。
―地域の観光や高齢者の移動に関する研究もされています。
鶴岡で暮らすうちに、地域の観光客や高齢者の移動の不便さが問題として見えてきました。たとえば高専に来るバスは1日6本で、1〜2時間バスを待つことも珍しくありません。バスの利用客を増やさなければバス路線が廃止になる可能性があるため、利用者をどう増やすかが大きな課題です。
観光客の多くはレンタカーを利用しており、バスを使うことはほぼありません。その要因を探ると、問題は待ち時間にあるとわかりました。1時間バスを待つのであれば、その時間で近くのスポットに立ち寄り、ちょっとした消費ができるような情報を提供できれば、地域の経済にも貢献できると考え、観光支援アプリの開発に取り組んでいます。
一方で、高齢者がバスを利用しないのは、情報提供する多くのアプリが「難しすぎる」のが問題でした。アプリを探すのも、初期設定や入力も一苦労です。スマートフォンに慣れている学生ですら使いたくないと言うものを、高齢者が利用できるはずがありません。
そこでヒントになったのが、韓国にいる母の存在でした。スマホの操作は何度教えても難しいようでしたが、「ICカードをタッチして、公共交通を利用する」ことはできると気づいたんです。だったら、「アプリを探す」のではなく、「ICカードでタッチするだけで自動的にバス情報アプリが立ち上がる仕組み」にすれば高齢者でも使えるのでは、と考え、研究を進めています。
―研究の社会実装はどこまで進んでいるのでしょうか。
鶴岡でのバス情報システムの導入は、複数の交通会社に提案しましたが、なかなか前に進みませんでした。人手不足もあり、新しい取り組みを受け入れるのが難しい側面もあるようです。
ただ、隣の酒田市で前向きに受け止めてくださり、市役所とも連携しながら導入に向けて準備を進めています。資金調達が必要で、現在申請中ですが、うまくいけば近い将来実証実験ができるかもしれません。
―高専での教育方針について教えてください。
私は教育方針として3つ掲げています。1つ目は「一人で勉強できる人になってほしい」。社会に出れば、誰も教えてくれません。だからこそ、まずは自分で調べて考える力が必要です。わからないところを自覚し、それを明確にしたうえで質問できる人になってほしいと思います。
2つ目は「既知の課題を解決できる人になること」。一人で勉強できるようになった後は、何か問題を解決できる人になる必要があります。卒業研究を通して、既知の問題に対してどうアプローチするか、実践的に取り組んでもらっています。高専ではまずこの2つの力が必須であるとして、学生に教育を行っています。
最後、3つ目は「未知の課題を発見し、解決できる人になること」。これは大学院の博士課程レベルの話なので、なかなか難しいとは思いますが、高専にもときどき、それに近い視点を持っている優秀な学生はいます。
ゼミでは「なぜ?」を何度も問いかけるようにしています。最初はつらいと感じる学生もいるようですが、続けるうちに自分に足りないことや、理解できていないことを自覚できるようになります。そうなると大きな成長ですし、その時点で教育方針の2つ目までは到達していると思います。
―夜遅くまで学生と一緒に研究活動に取り組むこともあると聞きました。
学生と一緒に何かをやるのが本当に楽しいんです。埼玉大学時代、長谷川先生に夜遅くまで付き添ってもらった経験が、今の自分の指導にもつながっています。それに、間近で学生が伸びていく姿を見るのは非常に面白く、嬉しいことです。
小さな成功体験の積み重ねが、自信や将来につながると私は信じています。だからこそ、学生のそばにいて一緒に歩む時間を大切にしています。

―今後の目標はありますか。
自分の中でずっと意識しているのは「大人にならないこと」です。大人になると、経験則で「こうなる」と決めつけてしまうことが多くあります。でも、研究者であり続けるためには、子どものような好奇心を持ち続けることが欠かせません。
私も今でも、学生に「それ何?」「どうするの?」とよく聞きます。知らないことを楽しみ、調べ、考える。その姿勢を忘れずにいたいです。
―最後に、高専生や高専を目指す中学生へのメッセージをお願いします。
高専生はまじめでおとなしい人が多く、「私にできますかね?」と不安そうにする学生も少なくありません。でも私は「できる」と伝えたいです。私が日本に留学してきたように、勇気を持って挑戦してほしいと思います。

中学生のみなさんに伝えたいのは、「一人で勉強する力を身につけてほしい」ということです。そうすれば、世の中がぐっと面白くなります。自分で考えたことを実現できたときの喜びは、何にも代えがたいものです。
最近は「やりたいことを探せ」と言われることが多いですが、私は逆で「やりたいことを見つけるために、まずは勉強して選択肢を広げてほしい」と思っています。選択肢が2つしかない状態で選ぶより、10の中から選べたほうがいい。だからこそ、最初から「これ」と決めつけずに、いろんなことに触れてみてほしいと思います。
最初から狭い世界に閉じこもらず、広く見て、たくさん学んでください。きっと、面白いことが見えてくるはずです。ただ勉強は大変な道のりなので、忍耐力をもって努力し続けてください。
金 帝演氏
Jeyeon Kim
- 鶴岡工業高等専門学校 創造工学科 情報コース 准教授

1998年2月 韓・大邱大学 工学部 電子工学科 卒業
2003年3月 埼玉大学大学院 理工学研究科 博士前期課程 電気電子システム工学専攻 修了
2006年9月 埼玉大学大学院 理工学研究科 博士後期課程 情報数理科学専攻 修了、博士(工学)
2006年10月 株式会社デンソーアイティーラボラトリ
2008年4月 埼玉大学大学院 理工学研究科 助教
2013年4月 鶴岡工業高等専門学校 制御情報工学科(創造工学科に改組) 助教
2018年4月より現職
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