インタビュー

鶴岡で仕事がしたい!群馬生まれ関東育ちの斎藤先生が感じる、鶴岡高専の良さとは。

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東邦大学大学院を修了後、慶應義塾大学の先端生命科学研究所時代に鶴岡へ来られた斎藤菜摘先生。大学時代は研究者ではなく、病院薬剤師を目指されていたのだそう。そこからなぜ研究者の道を選ばれたのか、そして、鶴岡の良さとは。お話を伺いました。

人生初めての実験は「ノミの孵化」

-薬学部に進学を決めたきっかけは?

小さい頃から生き物の観察が好きで、アリなど小さな生き物の活動を調べたりしていました。家の猫に付いていたノミの卵を孵化させたのが人生初めての実験ですね(笑)。その時は「この家の中に落ちている白い粒はなんだろう?」と単純な興味だったのですが、当時から気になったらすぐにやってみる性格でした。

家族や親戚に看護師がいたこともあり、「女性が資格を取って働く」というビジョンは小さい頃からありました。医療系の仕事には興味を持っていて、「なぜあんなに小さい薬を1粒飲んだだけで劇的に効くのか」という疑問をきっかけに、こういったメカニズムを深く勉強できる薬学部を選びました。

運良く研究結果が出たことが、人生の転機となった

-薬学部の授業はいかがでしたか?

ベージュ・オレンジ・グリーン・ベージュ色の4つのテキスト
大学薬学部時代の教科書

有機化学や分析化学など化学から、薬理学や薬物動態学など専門分野まで広く学びましたが、専門の勉強は特に面白かった記憶があります。授業を聞くのは好きで、ほぼ休まず出席していましたので、試験前に徹夜するとかはなかったかもしれません。

大学では加藤文男教授の微生物の研究室を選んだのですが、それが人生のターニングポイントになります。卒業研究で手がけたテーマに興味を持って取り組めたこともあり、熱心に研究室に通ってそれなりに頑張って研究をしていたと思います。

卒研では「微生物のゲノムの中から、抗生物質を作る遺伝子を探す実験」をしていたのですが、たまたま教授が数年かけて探していた遺伝子を運良く見つける事ができたので、さらに研究にハマっちゃって(笑)。

テキストに細かく書き込みがされている
大学薬学部時代の教科書の書き込み(授業中の説明などが書き込まれている)

当時は病院薬剤師を目指していましたが、ぼんやりしていてあまり就職対策をしていなかったので、就活は全滅でした(笑)。進路に迷っていた時に、加藤教授から「大学に残らないか?」とお声がけいただいたんです。

その時は「大学に残る」という意味がよく分からなかったのですが、あとから研究助手として働くことだということがわかりました。薬の仕事もまだ選択肢にはあったので、薬剤師の資格は取りましたが、思い切って大学で働く道を選ぶことにしました。

-研究助手として3年働かれたそうですね。

ボードに貼られた研究内容を背景に、緊張した面持ちの斎藤先生
研究助手時代、初めての学会発表(日本薬学会)。研究内容が似ていたので、ノーベル賞を受賞した大村先生のグループの研究発表が隣にあることが多かった

大学での研究助手の仕事は、卒研生に実験を教えたり、卒業研究の延長のような実験、学生実習のお手伝いなど自分には合ってる仕事だなと感じました。当時同じ研究室に修士の先輩がいましたが、その学生さんと同じようなことをしてお金をいただいており、とても恵まれた立場だったと思います。

「研究を仕事にしたい!」と思い始めたのもこの頃からでした。加藤教授に相談したら、「それなら博士の学位が必要だ」ということで、大学院を目指しました。

博士課程には、修士課程を修了後に進学するのが一般的ですが、博士課程の受験資格として修士課程相当というものがあり、研究助手としての3年間がそれに該当し、修士課程を挟まずに博士課程に進学しました。進学してすぐに「今までとは違う研究環境でやってみたい!」と、博士課程期間は東邦大学大学院に在籍しながら、つくば市の「農研機構 食品総合研究所」で支援研究員として研究を行いました。

たくさんの刺激をもらった「ポスマス」時代

-支援研究員時代が人生で一番大変だったということですが…。

白衣を着た研究員らと集合写真
博士課程の学生時代。食品総合研究所でのプロジェクトメンバー。国内外の大勢のポスドク研究員がプロジェクトに参加していた(前段右から2番目が斎藤先生)

大学の時から「放線菌」という「抗生物質を作る微生物」を研究してきましたが、支援研究員時代も放線菌を対象として「どのようなメカニズムで抗生物質を作るのか」、「たくさん抗生物質を作らせるにはどうすればいいか」を研究テーマとしていました。ここでは大きな研究プロジェクトが進行中で、研究室にはポスドク研究員が大勢いました。

私は博士課程の学生だったので、「ポスマス」としてプロジェクトに参加していたのですが、ポスドクの方がお話されていることや、ゼミ発表や研究ディスカッションなど「研究者としてのさまざまな文化」に追いつかなくて、最初は本当に大変でした。結果も思うように出なくて、後半は焦りもあってだいぶ荒れました(笑)。

幸いにもプロジェクトにポスマスとして参加していた仲間が5人いたので、お互い愚痴を言ったり励ましあったりしながら必死に勉強して食らいついていきました。当時のポスドクの人たちも含め、この時の仲間は今でも学会やプライベートでつながりがあります。プロジェクトの終了とともに、4年かかりましたが博士の学位を取得することができました。

-その後、慶應義塾大学先端生命科学研究所に行かれているんですね。

5つの図解でステップを紹介したスライド
開発したメタボローム解析を利用した酵素解析手法(特許4114075 遺伝子産物の機能同定方法及び結合物質同定方法)

山形県鶴岡市にある慶應義塾大学先端生命科学研究所(IAB)に「メタボローム解析」という、細胞の中の代謝物を一度で測定する技術があるらしい、という話を聞きました。これまでの研究でも代謝物の分析には携わっていたので、その最先端技術はとても魅力的でした。

IABには10年間特任教員として在籍し、メタボローム解析技術を使った「未知の酵素の働きを決める技術」を開発し、国内外の学会や論文発表など研究者としての実績を積み上げる期間になりました。また、共同研究などでたくさんの研究者と知り合うチャンスにも恵まれ、この時の人脈は現在でも仕事をするうえで助かっています。

「鶴岡で仕事がしたい」と鶴岡高専を選んだ

-そこから鶴岡高専の教員になったきっかけを教えて下さい。

山を登る斎藤先生。木々のない、背の低い草がどこまでも生えていて、登山道だけが岩・石の道になっている。
鳥海山登山

IABで働くことになって初めて鶴岡に来ましたが、そこから10年という長い時間を同じところで過ごしたのは実家を出てから初めてでした。生まれの群馬は「海無し県」なので、日本海に沈む夕日には感動しました。海に憧れを抱いていたんですよね(笑)。

鶴岡に来て、食べ物もお酒も美味しい、温泉もあるし、スノーボードや登山もできる。鶴岡は、私のQOLを向上させるものであふれています。この期間に仕事でもプライベートでも地域の人々との繋がりが増えました。任期をむかえて次の場所を探さなければならなくなった頃、地域に根ざした仕事と生活を考えるようになりました。

そんな時に舞い込んできた鶴岡高専の公募は、大好きな鶴岡で研究と教育の仕事ができる千載一隅のチャンスでした。高専では、授業以外にクラス担任や部活の顧問などもあるということで大丈夫かなとも思いましたが、自分の研究室を立ち上げることができることにはワクワクしました。

鶴岡高専の学生はすごく真面目で、教壇に立つとみんな前を向いて話を聞いてくれるんです。大学とは雰囲気が全然違って、最初は視線が集中することに慣れませんでした(笑)。黒板にチョークで板書する講義をするのも初めての体験で慣れるまでに時間はかかりました。現在は板書とオンライン授業で作成した電子資料を組み合わせて授業を進めており、少しずつ自分らしいやり方が見えてきたように感じます。

-研究では、どのようなことをされていらっしゃいますか。

シャーレが規則正しく整理整頓されて培養されている
培養中の放線菌。たくさんのシャーレが積み重なっている。この中から有用なものが見つかるかも?

高専の研究は、「社会実装」がキーワードになります。鶴岡高専がある地域の特色の一つは「食と農」なので、これに関わる研究テーマで立ち上げようと決めました。私の研究ルーツでもある「放線菌」や食品に関連するような微生物を利用して、土壌改良や作物の生育、食品の開発などを目指した研究を実施しています。

例えば、土壌から新しい放線菌を探索したり、土壌循環や植物生育に関する優れた機能を見つけたりする研究です。スクリーニングで新しい何かを見つけるためには数をこなさないとなりません。「たくさん取ってきて、たくさん調べて」を繰り返している最中です。

学生は、日々膨大な数のシャーレを積み上げて真剣に研究に取り組んでいます。学生の「気づき」は研究の進展においてとても大切なので、取りこぼさないように日々の声がけやディスカッションの時間を持つように心がけています。ゆくゆくは微生物を資材化したり、フィールドで実際に使用したりと、私たちが見つけた微生物を社会実装することを目標に研究を続けていきます。

学生と一緒に、ワクワクできるような研究を

-先生の今後の取り組みについてと、学生に向けてのメッセージをお願いします。

シャーレの中の菌を観察しながら、男子学生とディスカッションする斎藤先生
研究室で学生とディスカッション。菌のコロニーの様子が変かもしれない?

毎年、「高専生サミット」を開催しています。せっかく高校とは違う研究機器が備わった学校なのに、低学年が研究に携わる機会が少ないのはもったいないと思い、沖縄高専の池松真也先生と共同で始めた、低学年の学生から研究の成果を発表できる全国の高専生を対象にしたイベントです。

本年度に開催できれば6回目になるのですが、これまでに参加した学生は、授業では得られない何か、例えば研究活動を通じた積極性や達成感など多くのことを経験できます。このイベントが、学生の視野を拡大したり、次の目標を定めるきっかけ作りの一助になると感じているので、これからも続けていきたいです。

現在、「GEAR 5.0(未来技術の社会実装教育の高度化)」(防災・減災・防疫)のユニットサブリーダーや、共同研究として「戦略的イノベーション創造プログラム(スマートバイオ産業・農業基盤技術)(SIP)」、「カーボンリサイクル実現を加速するバイオ由来製品生産技術の開発(NEDO)」などいくつかの大きな研究プロジェクトに携わっています。

大変なプレッシャーではあり、成果を出せるかどうか不安なこともありますが、他の高専や大学や企業と連携して面白いことができる絶好の機会なので精一杯やってみようと思っています。こういった外部との研究連携に学生が関わっていくことは、学生にとって刺激になりますし、視野と人脈を広げたり、いろいろな経験を積むチャンスだと思っています。

今はなかなか海外に行くことが難しい状況ですが、国際学会で海外に行くことは研究者の楽しみでもあると思います。私自身、学会でたくさん海外に行っていろいろな経験をしました。世界の状況が早く落ち着き、学生といっしょに海外の学会に参加できる日が早く来ることを願っています。

爽やかな水色の空、エメラルドグリーンの水面には太陽が反射してキラキラしている。そんな背景に手前には緑が生い茂り、ポーズをする斎藤先生
ニュージーランドにて。鶴岡高専の学生がNZに短期語学留学の際、引率で同行。休日に出かけた時に学生に撮影してもらった写真

学生と一緒にワクワクできるような研究をして、学生の可能性を拡大できるような場をつくり続けていきたいです。

斎藤 菜摘
Natsumi Saito

  • 鶴岡工業高等専門学校 創造工学科 准教授

斎藤 菜摘氏の写真

1992年 群馬県立太田女子高等学校 卒業
1996年 東邦大学 薬学部薬学科 卒業、薬剤師免許取得
1996年~1999年 東邦大学 薬学部微生物学研究室 研究助手
1999年~2003年 東邦大学大学院 薬学研究科 博士課程 修了
1999年~2003年 独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所 支援研究員(博士課程期間)
2003年~2006年 慶應義塾大学政策・メディア研究科 先端生命科学研究所 特別研究助手2006年~2013年 同特任講師
2013年~2014年 鶴岡工業高等専門学校 物質工学科 准教授
2014年~2015年 総合科学科 准教授
2015年より現職
2017年〜 高専機構本部 研究推進・産学連携本部員兼務
2021年〜 高専機構本部GEAR 5.0(防災・減災・防疫)ユニットサブリーダー兼務

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