
「飛行機の整備士になる」という決意を胸に広島商船の電子制御工学科に進学し、見事、夢を叶えた御堂岡隼さん。憧れの職業を経て、現在は米海軍横須賀基地に勤めながら「平和」について考えるべく、「世界遺産」の魅力を伝える活動にも力を入れています。その背景を伺いました。
航空整備士への憧れ
―高専に進学したきっかけを教えてください。
物心ついた頃から大きな乗り物が好きで、よく空港に出かけていたからか、特に飛行機には並々ならぬ憧れがありました。パイロットを目指そうと思ったこともありましたが、それよりも整備士のほうが飛行機について詳しくなれると感じ、中学1年生の頃には整備士への夢を明確に抱くように。「どうやったらなれるのだろう」と探していた時に、高専から航空会社に就職するルートがあることを知りました。

通常、整備士になるには高校や大学を卒業後、航空専門学校に入学して国家資格を取得するのが一般的です。でも、ちょうど私が進路を考え始めた頃から、高専生を就職試験の対象に定めた会社が現れ始めたようで、まさに絶好のチャンスでした。「もしかしたら高専に行ったほうが少数派になってアピールしやすいのでは」と考え、高専入学は早いうちから決めていました。
―高専に行くと決めた時の、周りの反応はいかがでしたか。
呉高専が実家から近い場所にあったので、高専自体は両親も知っていました。ただ、私は一人暮らしにも憧れがあり、あえて実家から遠い広島商船高専を志望したものですから、家族には「高専に行くのは賛成だけど、なぜわざわざ……」と、苦い顔をされましたね(笑)
「広島商船高専は就職に力を入れている学校だ」「電子制御工学科は理工系の分野を幅広く学べるから、将来的にも役に立つ」など、思いつく限りの説得材料を並べて、なんとか許可をもらいました。
―実際に広島商船高専に入学してみて、いかがでしたか。
電子制御工学科は提出レポートが特に多く、苦労したのを覚えています。また、説得材料に掲げたとおり、機械加工から設計製図、情報処理、熱力学云々と幅広く履修する必要がありました。これがなかなか、思っていた以上に大変で……テストや実習前になると、同級生みんなで寮の居室に集まり、夜遅くまで対策していたのが懐かしいです。この時間があったからこそ絆が強まったように感じます。
思い返すと、勉強の大変さよりも寮生活のほうが思い出に残っているかもしれません。寮ならではの上下関係もありましたが、勉強を教えてもらったり、先輩方が財産のように持っていた過去のレポートを貸してもらえたりと、その恩恵もたくさん授かりましたね。

ステップアップのために転職を決意
―高専に進学してからも、整備士になりたい夢は変わりませんでしたか。
変わりませんでした。「大学に進学したらどうなるだろう」「研究にもっと力を入れたらどうなるだろう」と考えたことは何度かありましたが、整備士以外の環境で働く自分は想像できませんでした。
卒業研究はロボット関連がテーマでしたが、当時は航空機部品の接合のほとんどが接着剤によるものに変わっていく過渡期だったこともあり、本当は接着剤の研究室に入ろうと思っていたくらいです。人気すぎて断念したのですが、それほど整備士に向かって突き進む日々でした。
そして、ありがたくも第一希望のJALエンジニアリングへの就職が叶いました。業界としては、当然ながら国家資格を持った即戦力が欲しいはずですが、JALは高専生のポテンシャルにかけてくださったのではないかと思っています。私以外にも、高専生が数名採用されていました。
―憧れの整備士になって、いかがでしたか。
憧れの仕事に就けてうれしい、という高揚感もありましたが、それ以上にプレッシャーが大きかったです。常に“飛行機を安全に決まった時間に出さなければならない緊張感”との闘いでした。でも、やっぱり使命感を持って仕事に打ち込む日々はやりがいに満ち溢れていましたね。

高専に行ってよかったと感じたこともあります。航空専門学校を出て国家資格を取得した同期は、当然ながら整備に関する理解は深い。でも、分野の知識が広いのは高専生だなと感じる場面が多かったように思います。
例えば、エンジンの整備士はエンジンの勉強のみするのが一般的ですが、高専生は幅広く学ぶため、「エンジンとつながる翼にはどんな影響があるのか……」と考えます。つまり、着眼点が違うのです。高専生時代は「この勉強って本当に役に立つのだろうか」と思うこともありましたが、この時、無駄なことは一つもなかったのだなと実感しました。
ただ、卒業後に高専時代の同級生たちと話す中で、次第に別の業種にも興味が湧き始めるようになっていきました。整備士は他の業種と比べると非常に特殊で、たとえ同じ“技術者”であっても、同級生たちと共感し合える仕事の話ができないことに気づいたのです。「航空機に特化した知識と技をひたすら磨いていく」ことを志して就職しましたが、いつしか「もっと広い世界で技術者としてステップアップしたい」と思うようになりました。
そして、高専で学んだ知識を生かせる現在の職場に、2018年に転職しました。
―現在のお仕事について教えてください。
米海軍横須賀基地に所属している艦船の金属材料および構造物の分析業務を担っています。具体的には、生産工場でつくられた部品の硬さ・引張強さ試験、艦船上の金属構造物の定性試験(蛍光X線分析)、定量試験(光電測光式発光分析)などが私の仕事です。国や世界の治安維持に関わってくるのでプレッシャーもありますが、やりがいを感じる日々です。
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現在の職場は新卒採用をしていないこともあってか、高専の卒業生に出会ったことはまだないのですが、それでも「高専生は研究熱心だ」と思っていただくことが多いように感じます。例えば、担当している定量試験は在学中に学んでいない分野でしたが、「きっとマスターできるから」と任せていただき、今では光電測光式発光分析の主担当を務めるまでになりました。
世界遺産を通して平和を伝えたい
―御堂岡さんは「世界遺産」についての発信にも力を入れていると伺いました。それはなぜですか。
私の地元・広島は、人類史上初めて原爆が投下された都市として「国際平和文化都市」への実現に向けて力を入れています。また、現在の仕事では艦船を扱うことから、国際平和や社会情勢について考える機会が増え、より「自分の子どもにも平和について教えたい」と思うようになりました。
しかし、世界遺産に登録されている広島の「原爆ドーム」については表面的なことしか知りません。そこで勉強を始めたのが、最初の入口です。どんどん学ぶことが楽しくなっていき、2022年には「世界遺産検定」の最上位であるマイスターまで取得するに至りました。
実は世界遺産は、他の地域の文化や自然を理解することで、平和の理解に繋げていく役割も担っているんです。現在は、学校や各地の世界遺産関連施設などで講演を行うほか、『行きたくなる世界遺産!』というポッドキャストも配信しています。手前味噌ですが、この配信は、ポッドキャストランキング「トラベル・地域情報」カテゴリーで最高2位を獲得するまでになりました。

これからも、ポッドキャスト配信を軸に世界遺産を通して文化や風習、自然、そして平和について誰でも学んで考えられる時間を多くの方へ届けることが目標です。
―好きな世界遺産を教えてください。
ずっと大切にしていきたいのは、やはり故郷・広島の「原爆ドーム」です。でも、初めて見た時に興奮したのは、メキシコのユカタン半島に残されたマヤ古典期最大の都市遺跡「チチェン・イッツァ」ですね。総面積約1.5平方マイルの中にたくさんの遺跡群が点在していて、中でもピラミッドのような形をした「エル・カスティーヨ」は圧巻でした。

とはいえ、まだまだ行ったことがない世界遺産はたくさんあります。今年はオーストラリアに行く予定なので、ぜひ「フリーマントル刑務所」にお目にかかりたいですね。
―最後に、高専生にメッセージをお願いします。
高専で過ごした5年間はそれまでとは比べものにならないくらい密度の高い日々だったと感じています。同級生や先輩、後輩、先生方からたくさんの影響を受けました。
私がやりたいことや好きなことにストップをかけず、ひたすら前進し続けていけるのは、高専での経験があったからだと思っています。ぜひ、皆さんも今の時間を大切に、余すことなくさまざまな経験をしてみてください。次の進路に進んだ先でも、また新たな選択を問われるようなタイミングが続いていくかと思いますが、経験の豊かさはきっと大きな力に変わり、その度に背中を押してくれるはずです!
御堂岡 隼氏
Hayato Midooka
- 米海軍横須賀基地 艦船修理廠 品質保証室 物理分析課

2010年3月 広島商船高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2010年4月 株式会社JALエンジニアリング
2018年4月より現職
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