大学時代からモンゴルの都市環境に関する研究を始めて20年以上になるという都城高専の杉本弘文先生。他にも地域の街づくり・環境づくりの研究や事業を進め、あらゆる取り組みを行っています。そんな杉本先生に恩師との出会いや、今までの研究、教育への思いなどを伺いました。
師匠との出会いが、退屈な学生生活を大きく変える
―建築の勉強をしようと思ったきっかけを教えてください。
親がゼネコン勤務で現場監督をしており、小さい時から親に連れられ建築現場に出入りすることがありました。「建築」というものが身近にある環境だったので、中学生でいざ進路を決めようという時に、やはり建築だと思ったのが最初です。
周囲からは、推薦を取れる進学校を勧められていたのですが、一般高校の普通科に進学しても、将来につながるイメージが持てませんでした。そこで、担任の先生からいくつか紹介してもらったところ、桐生工業高校は進学率が高く、積極的に学外のコンペや設計競技(高校生向けの建築のコンテスト)にも取り組んでおり、さらには父の母校であったという点から、そこを選びました。
―工業高校では勉強以外にどのような活動を行っていましたか。
コンペや設計競技など、学外での活動に積極的に取り組んでいました。また、高校3年生の時に、桐生工業高校初の国際交流として中国の四川省に行き、現地の学生と交流を行いました。
実際に中国に行ってみると、観光地として人が多く集う万里の長城でもトイレにはドアがなく、さらに奥地になるとまちなかでタバコを吸っている小学生や当たり前に万引きをして捕まっている人がいて、貧富の差が激しく、非常に衝撃的だったのを覚えています。
―そこから、日本大学に進学した理由を教えてください。
日大も実は父の母校なんです。また、工業高校時代に参加した、日大主催の設計競技で入賞し、私の作品の講評を書いてくださったのが、後の師匠となる川岸梅和先生でした。そのようなきっかけもあり、日大に興味を持つようになります。
そして、理工学部の建築学科ではなく、生産工学部の建築工学科に入学しました。意匠・芸術的な要素も多く学ぶ理工学部のカリキュラムよりも、実践的で実務的な勉強ができる生産工学部の方が自分のしたい勉強ができるのではと思ったからです。
また、当時、国内でも早い段階で実務実習(インターン)を取り入れたのが日大の生産工学部でした。学部にはプロフェッサーアーキテクトと呼ばれる、大学で学生に教えながら、設計事務所で実務も行っている先生が在籍されていたのも、決め手の1つです。
―工業高校の時から、師匠となる川岸梅和先生と面識があったのですね。
はい。ただ、川岸先生に師事するようになったのは、偶然というかタイミングというか、出会いに恵まれたような形でした。
当時、専門分野の授業があまりなかったので、「なんて無駄な勉強を大学でしているのだろう」という感覚がずっとあったんです。成績もトップで、大学を退屈に感じていました。代わりに何か面白いことはないかと探していた2年生の頃、仲の良かった先輩に卒業設計を手伝うよう声をかけられます。
先輩は川岸研究室所属でした。ある時、研究室で先輩の手伝いをしていると、川岸先生が部屋に入ってきました。川岸先生は、なぜか工業高校時代の私のことを覚えてくださっており、私の成績を把握した上で「大学はつまらないだろう。仕事をさせてやるからこれから研究室に通いなさい」と言ったんです。全て見透かされていたんですね。
そうして、研究室に通うようになり、大学3年生で大学院生のコンペのチームに入れていただきました。人や出会いに恵まれた大学時代でしたね。その後も、川岸先生に勧められて院へ進学し、さらに修士課程を終えるタイミングで大規模な研究プロジェクトに参加することとなり、そのまま博士後期課程まで進みました。今考えても、進路決定における川岸先生の影響は非常に大きいものでした。
ウランバートルや都城の環境整備に奔走
―その後、高専の教員になるまでの経緯を教えてください。
博士後期課程修了後は、学生時代から携わっていた川岸先生主宰の建築設計事務所での業務をさせていただきつつ、日本大学の研究所で大学時代から続けているモンゴルに関する研究を行い、さらに研究室OBの方が代表を務める建築設計事務所でも勤務するという、トリプルワークのような形で働いていました。
その後、川岸先生の勧めもあり大学に残るつもりだったのですが、大学の学科再編により私が応募を検討していたポストの枠がなくなってしまったんです。次の職を探さなければと思い、研究者向けの職探しサイトにアクセスしてみると、トップに掲載されていたのがたまたま都城高専でした。すぐに応募をして、結果、受け入れていただいた形になります。
実は、都城はモンゴルのウランバートルと姉妹都市であり、高専でもモンゴルとの交流があることを応募した後に知りました。私の今までの研究と見事にベストマッチしており、たまたまとはいえ、何かの縁のようなものを感じました。
―大学時代から今まで続けられているモンゴルに関する研究とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
モンゴルの都市に関する研究です。大学時代に、研究室の社会人の先輩が博士号取得のために研究を始めるということで、プロジェクトへの参加を川岸先生に打診されたのがきっかけでした。最初はモンゴルに興味があった訳でもなく、本当にたまたま携わっただけだったのですが、いろんな縁もあり、かれこれ20年以上研究を続けています。
簡単に言うと、集合住宅や都市部に住んでいる人たちの環境づくりが一番の研究テーマです。モンゴルはもともと社会主義だったので、国がオープンスペースや住宅の管理をしていましたが、1990年に民主化され、居住地の管理を住人自身で行う必要が出てきました。しかし、今でも生活環境は良好とは言えず、居住地の管理方法を含めて検討が必要だとされています。
また、モンゴルでは過密化が深刻な問題です。社会主義時代は物資の流通を国が行っていましたが、解体後は自分たちで流通させる必要が出てきたので、人々は都市の近くに住むようになりました。人口の半分が首都であるウランバートルに集まり、その人口密集率は東京の6倍以上です。
さらに、-40℃にも達する日もある冬は都市部で暖を取るために石炭を燃やしており、ウランバートルは大気汚染レベル(大気質指数)で世界トップを記録したこともあります。これは早急な改善が必要となります。
他にも、元々は社会主義だったために、今まで街づくりや都市計画に住民の意見が取り入れられることはありませんでした。そのため、住民を巻き込みながらの街づくりや環境整備にはどのような方法論があるのかも議論されなければなりません。
このような背景から、モンゴルでの長期的な都市計画をしっかりと練る必要があるのですが、当然今までその場暮らしだった「遊牧民的気質」をもつモンゴルの人に長期計画は難しく、計画を立てられるような人材の育成も含めて、都市計画のプランの作成を行っています。
―高専でのその他の研究や活動について教えてください。
今年でモンゴルの高専が開校し10周年を迎えました(※)。私は、初期からモンゴルの先生たちの研修を含め、モンゴルの高専の環境整備に携わっています。
※2014年9月に、国立モンゴル科学技術大学付属高専、モンゴル工業技術大学付属高専、新モンゴル高専の3校が開校。日本独自の教育システムである「日本式高専システム」をモンゴルの地域性に合わせて導入しており、高専機構では教員派遣などの支援を実施している。モンゴルの高専への支援については、コチラの記事でも紹介しています。
その他の活動としては、地域の環境整備に幅広く携わっています。高専に着任してすぐ、街づくりに関して高専と地域とのつながりが薄いことに気づき、もっと地域と関わって課題を解決していく必要があると感じたのが最初でした。その後、地域での活動として、商店街や中心市街地の再生に携わり、今でも地方創生の好事例として、ありがたいことにいろんな場所で取り上げていただいています。
他にも、学生と共に空き家再生やコワーキングスペースの立ち上げも行いました。空き家はリノベーションし、実際に学生が住んでいます。シェアハウスにして、事業化にも至りました。
コワーキングスペースの運営には年間30万円ほどかかるので、お金の担保のために私が代表として、まちづくりを持続的に進めるための法人の立ち上げを現在進めています。本当にいろいろと携わっているので、地域の人からは、私が「学校の先生なのか、研究者なのか、実務者なのか、実業家なのか、何の人かわからない」とよく言われています。
挑戦と失敗を繰り返し、現場に強いエンジニアに
―高専での教育で力を入れていることは何ですか。
多くの街づくりプロジェクトに関わらせていただく中で、「技術(知識)を使う技術」を持つ「実践的技術者」の育成に力を入れています。具体的には、学んだことを実践に活かせるような場をつくって、学生に挑戦してもらっています。
今まで「日本人は、知識はたくさんあるけど、実際にそれを使えないよね」と外国の方から言われたことが何度かあります。確かに、日本では技術を教わっても、その技術の使い方を教わらないケースが多いです。
そこで、遊具作りや空き家のリノベーションなどを学生に一から設計・計画させ、壁や床を剥がす実際の作業も全てやってもらうようにしました。少ない予算の中で、どのように良いものを生み出すのか、という問題に向き合ってもらっています。
また、グローバルな視点で活躍できるエンジニアの育成にも力を入れていく予定です。今、インターネットやAIの技術が急速に発達する中、私たちができることは何なのかをしっかり考えていく必要があります。日本は人口も減っていますし、建物をつくるチャンスも減っていくでしょう。そのため、特に私たちの分野は、グローバルにどこででも仕事ができるようなスキルや、臨機応変に対応できる力を身につけないといけません。
ただ、言葉で伝えても学生はピンとこないと思うので、実感するような場をつくってあげたいと思っています。研究室では学生を海外調査に同行させることがありますが、研究室の垣根を超えて、より多くの学生に経験・体験を積む場を提供したいです。
―先生がサッカー部の代表顧問になってから、全国大会に出場されたそうですね!
私自身、高校時代にサッカーに打ち込んでいたこともあり、2016年から代表顧問になり、その年度に31年ぶりの全国大会出場を果たしました。以来、何度も全国大会に出場し、全国3位や準優勝と好成績を残しています。
2015年度の地区大会で敗退した後のミーティングで、学生たちが「勝つチームをつくりたいです」と言うので、やる気があるなら付き合おう、と練習試合を組み、練習にも付き合い、チームづくりを始めました。結果、彼らはしっかりと全国大会出場を決め、やはり高専生は、やらないだけでやればできるのだと、改めて思いましたね。一度全国大会に進むと、学生たちの成功体験にもなり、さらに後輩たちがその姿を見て育ち、と良い循環が生まれています。
ただ、最近、部活動に所属しない学生が増えてきているのは寂しい限りですね。優れたエンジニアになるためにも、学生時代に「何かをやりこんだ経験」は重要だと考えています。難しいと感じたらすぐに諦めてしまう人が多い時代なので、最後までやり抜くことができる人が、今後輝いていくのではと思っています。
―高専生に今後どのようなことを期待していますか。
学生というブランドを活かして、学内にとどまらず地域で何かを成す学生が増えていってほしいなと思います。今は、学外に積極的に出ていくような学生はまだまだ少ない印象です。やはり、失敗を恐れていますし、一度の失敗で挫けてしまう人が多い。ですが、失敗できるのは学生ならではの強みですので、ぜひいろんなことに挑戦してほしいと思います。
よく、「どうやったら成功しますか?」と聞かれるのですが、答えは一つで「成功するまでやり続ける」です。成功したときには、失敗が笑いのネタや良い思い出になります。私自身、今までの失敗は基本的には「良いネタができたな」としか思っていません。
高専生は優秀なので、彼らが社会を変えていく可能性は高いと思っています。ですので、学生のうちに行動し、経験し、失敗を繰り返して、実践的で現場に強いエンジニアになれるように、日々を積み重ねてほしいなと思います。
杉本 弘文氏
Hirofumi Sugimoto
- 都城工業高等専門学校 建築学科 准教授
2000年3月 群馬県立桐生工業高校 建築学科 卒業
2004年3月 日本大学 生産工学部 建築工学科 卒業
2006年3月 日本大学大学院 生産工学研究科 建築工学専攻 博士前期課程 修了
2009年3月 日本大学大学院 生産工学研究科 建築工学専攻 博士後期課程 修了
2009年4月~2010年3月 日本大学 生産工学部 ポスト・ドクター研究員
2010年4月〜2012年3月 株式会社綜建築研究所(嘱託)
2011年4月〜2012年3月 日本大学 研究員(生産工学部 創生デザイン学科 川岸研究室)
2012年4月 都城工業高等専門学校 建築学科 助教
2014年4月 同 講師
2016年4月より現職
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