卒業生のキャリア起業

道はひとつじゃない。悩みながら学んだ土木技術を生かして、港湾構造物の設計者に

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明石高専を卒業後、神戸大学・大学院を経て就職され、港湾設計のキャリアを積み、現在は個人事業「小田構造設計」および「合同会社コトカデザイン」の代表として活躍する小田隼也さん。就職、独立、そして新たな事業への挑戦。その選択の背景に迫ります。

部活も遊びも研究も全力で

―明石高専に進学したきっかけを教えてください。

兄が高専に通っていたので、自然と選択肢に入りました。親からも勧められて、特に深く考えずに進学を決断。自分の学力だと明石北高校の理数科か明石高専に挑戦できたのですが、親の勧めもあったので明石高専を選んだと記憶しています。

中学生の段階で「将来これがやりたい!」と明確に決めている人は少ないと思います。自分もその一人で、何か特定の分野に興味があったから高専に進んだというわけではありませんでした。ただ、実際に高専に入ってみると、普通の高校とは違い、1年生の時から専門的な勉強ができるのは面白いなと思いました。

―高専時代の思い出を教えてください。

ほとんどが部活の記憶です。小学校から続けていたバレーボールを高専でも続け、最初は純粋に楽しんでいました。

しかし、途中から高校生チーム(1~3年生)と高専チーム(1~5年生)の両方でキャプテンをつとめることになり、責任の重さに悩むこともありました。特に、練習メニューを自分で立案し、先生と相談しながらチームづくりを進めたことは大きなプレッシャーでした。自分が決めたメニューだからこそ「絶対に手を抜けない」と感じ、勝手に自分を追い込みすぎていた部分もあったと思います。

高専では年齢差が大きい環境も特徴的でした。1年生の時は5年生の先輩との距離感に気を使い大変でしたが、次第に高専ならではの縦のつながりに慣れ、学年の垣根を超えたチームワークの良さを感じられるようになりました。

部活漬けの生活の中で唯一の息抜きの時間だったのは、部活休みの木曜日にしていたファーストフード店でのアルバイトです。本当はもっと働きたかったんですけどね。5年生の夏に部活を引退してからは、それまでの反動で遊んだり、バイトをしたりしました。

―高専卒業後、神戸大学・大学院に進学した理由を教えてください。

正直に言えば「遊びたかった」からです(笑) 高専時代は部活ばかりで、旅行やサークル活動、バイトなど、いわゆる「学生らしい」生活をほとんど経験できませんでした。それで、大学ではその分を取り戻したいと思いました。

実際、大学ではバイトやサークル活動を通して自由な時間を満喫しましたね。特に、大学で出会った仲間と過ごした時間は、高専時代とはまた違う貴重な経験でした。

▲大学時代のインド旅行にて

一方で、学問の面では正直あまり勉強せず、「知識や技術を身につけるだけなら、高専からそのまま就職したほうが良かったのでは?」と思うこともありました。実際に社会に出てみると、高専卒で就職した人たちは専門知識が深く、とても優秀だと感じましたし、大学・大学院の4年間を社会で働いて過ごしていたら大きな差がついていたかもしれないとも思います。

それでも、大学・大学院での4年間は「人生経験としての価値」がありました。学問だけでなく、人との出会いや視野を広げる時間として大きな意味を持っていました。特に、妻と出会えたことは、自分にとって何よりの転機であり財産です。結果的には、大学に進学して良かったと思っています。

▲大学時代のインド旅行にて

―高専・大学・大学院での研究について教えてください。

高専時代は、「地震時の飛び石現象のメカニズム」について研究しました。正直、詳しいことは覚えていませんが、飛び石現象に着目して地震が構造物に及ぼす影響を評価する研究だったと記憶しています。本当は地震の発生メカニズムを研究したかったのですが、高専にはそうした研究室がなく、耐震設計をテーマとする研究になったのです。高専の研究は5年生の1年間だけで短かったですが、耐震設計への理解が深まったと思います。

大学時代は、港湾施設である桟橋の耐震設計について研究しました。地震発生時に桟橋の杭が損傷すると、構造全体の「固有周期」(揺れの特性)が変化することに注目し、その性質を利用することで「発災後に桟橋の被災程度を判定できる手法」を考案しました。

大学院時代は、さらにその研究を発展させ、「地盤変形の影響を考慮した桟橋の耐震性能簡易評価手法」に関する研究に取り組みました。従来の設計手法は非常に計算負荷が大きく、実務での活用が難しかったため、計算を簡略化しつつ正確性を維持できる評価手法を模索しました。

大学・大学院では専門性の高い研究を進める一方で、自由な学生生活も楽しんでいたので、研究は正直「義務感」で取り組んでいた部分もありましたが、このテーマは後のキャリアに直結するものとなります。

組織を飛び出し、自分の道を歩む

―就職後、どのような仕事をされていましたか?

大学院卒業後、建設コンサルタント会社に就職し、桟橋や岸壁、防波堤といった港湾施設の設計を担当しました。大学で学んだ知識を生かせる仕事をしたかったので、自然な流れだったと思います。

大学院生の頃は「自分の研究は、社会で本当に役に立つのかな?」と思いながら実験や解析に励んでいましたが、実際に港湾設計に携わって初めて、この研究の重要性を実感しました。研究で培った地盤や構造の知識は、実務の中で大きな武器となり、自分のキャリアを支えています。

一方で、仕事を続ける中で、「組織に縛られる働き方」に違和感を持つようになりましたね。会社の利益を追求するために手持ち業務が増え、よい設計をしようと思えば思うほど自由な時間と健康が犠牲になると感じました。特に建設コンサルタントは、昔から労働時間が長い業界として知られていましたが、やる気のある人ほど時間外でも働いてしまう構造がありました。

―独立を決意した理由を教えてください。

「組織に縛られる働き方」への違和感から、独立して自分の裁量で働いたほうがよい設計ができるのではないかという思いが次第に強くなっていったからです。そして、港湾設計に関する研究や実務を10年続けたタイミングで、「もう組織に縛られるのはやめよう」と決め、2023年末に退職し、個人事業「小田構造設計」を立ち上げました。

現在は、建設コンサルタント会社から港湾施設の設計に関する業務や、設計に必要なツール開発などの業務委託を受けています。自分の判断で受ける業務を選べるため、あえて時間に余裕を持たせることで、一つ一つの業務を丁寧によりよいものにしていくことができます。

▲仕事の打ち合わせ中の小田さん

さらに、「自分らしい暮らし」の実現をサポートしたいと考え、2024年に「合同会社コトカデザイン」を設立しました。妻が建築設計事務所に勤めており、将来的には独立を考えていたこと、自分自身が資金計画や不動産に関する知識を有していたことから、協力することで良い事業ができると考えたことがきっかけです。

コトカデザインでは、「FP相談(ファイナンシャルプランニング)→ 不動産仲介 →住宅設計」までをワンストップで提供する事業を目指しています。「住まい」には多くの選択肢がありますが、固定観念にとらわれている人も多いと感じています。住まいにどれほどお金をかけるのがその人にとって最適なのか。賃貸か持家か、戸建てかマンションか、新築か中古か。資金計画や不動産、住宅設計全ての面から「自分らしい暮らし」の実現をサポートしたいと考えています。

また、2023年に中古マンションを購入しフルリノベーションを行いました。中古マンションには制約が多く、取り壊せない壁があったり、水回りの移動ができないなどといったケースもあります。設計者の観点から不動産を選べばそのような失敗を防げるというのも、ワンストップで手掛ける安心感だと思います。

▲ご自宅のリノベーション前の様子
▲リノベーション後の様子

―今後の目標について教えてください。

港湾設計については、これからも専門家としてスキルを磨き続けたいと考えています。また、現在は個人で業務委託を受けていますが、一人でできることには限界があると実感しています。そのため、今後は他の専門家と協力しながら、より高品質な設計を目指していきたいです。専門分野の垣根を超えた連携により、港湾設計の総合的な視点を深めたいと思っています。

コトカデザインについては、「大きく稼ぐこと」よりも、「安定して楽しく働くこと」を大切にしています。事業を大きく拡大することは考えておらず、妻と二人三脚で、少人数だからこそできる温かみのあるサービスを提供していきたいです。特に、お客様に寄り添った住宅設計や資金相談を通して、「この人たちに頼んで良かった」と思ってもらえる仕事を続けたいと考えています。

▲仕事中の小田さん

数年後には「自宅兼事務所」を建てることが目標です。これまでの経験を生かして、自分たちが設計した理想の空間で、快適に働きながら暮らすライフスタイルを実現したいと考えています。

―高専生にメッセージをお願いします。

正直、高専に入った時は「ここで良かったのかな」と思っていました。中学生の段階で将来の進路を決めるのは難しいし、「高専に行ったらこの道しかない」と考えてしまいがちです。確かに、高専で学ぶ知識や技術は、社会に出たときの強みになります。ただ、それに縛られず、「自分が本当にやりたいこと」を見つけていくことも大切です。

▲最近、10年ぶりに再開したバレーボールの活動

私自身、最初は「これから先、土木の仕事をずっとやるのか……」と悩みましたが、結果的にはそれが自分の武器になりました。高専の学びは専門的で、そのままの進路に進む人が多いですが、決してそれが唯一の道ではありません。実際、私の同級生にも、高専卒で声優になった人や、スポーツ関係の仕事に就いた人がいます。

「専門を極めるもよし、別の道に進むもよし」——どんな道を選んでも、後からいくらでも軌道修正できます。高専で学んだことは、どんな道に進んでも生きるはず。だから、あまり深刻に考えすぎずに、今できることをしっかり頑張ってください!

小田 隼也
Toshiya Oda

  • 合同会社コトカデザイン・小田構造設計 代表

小田 隼也氏の写真

2013年3月 明石工業高等専門学校 都市システム工学科 卒業
2015年3月 神戸大学 工学部 市民工学科 卒業
2017年3月 神戸大学大学院 工学研究科 市民工学専攻 博士前期課程 修了
2017年4月 建設コンサルタント会社
2024年1月 小田構造設計 開業
2024年4月 合同会社コトカデザイン設立、同代表就任(現職)

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