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技術開発職から知的財産アナリストへと転身! 一歩踏み出す勇気さえあれば、新たな景色が広がる

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東京高専の物質工学科を卒業した眞貝(しんかい)友希恵さん。現在は国内三大ペイントメーカーのひとつである関西ペイントで、知的財産アナリストとして働いています。入社当初は技術開発部だったという眞貝さんが知財部へ異動したきっかけや、学生時代の思い出、ご自身のライフワークなどについて伺いました。

合格圏外からの挑戦

―東京高専に進学を決めた理由を教えてください。

もともと理科や数学が好きで、将来は理系に進みたいと漠然と考えていました。特に「花火はなぜ色があるのだろう」など、身の周りに存在する元素や化学に興味がありました。そんなとき、自宅に通える距離にある高専に「物質工学科」があると知り、進学を意識するように。「制服がかわいい学校がいいから」と普通高校を目指す友人が多い一方で、私にとって「服装自由」という点も非常に魅力的でした。

中学生の頃は成績が芳しくなく、模擬試験では高専は明らかに合格圏外でしたが、担任の先生の励ましもあり、11月、12月に追い込んで、なんとか無事に合格を手にしました。普通高校との併願ができる点や、受験科目が社会を除く4教科であった点も、挑戦をする後押しになったと思います。

中学3年生の眞貝さんと担任の山口先生のツーショット。肩を寄せ合って
▲中学3年生の頃、担任の山口先生(右)と。とても尊敬する先生です。

―実際に高専に入学して、いかがでしたか。

ギャップだらけでしたね(笑) 高専の最上級生は5年生で、20歳を過ぎている学生もいます。15歳からしたら非常に大人に見えて、ひたすら「かっこいい」と思っていました。また、普通高校に比べると規則が少なく、頭髪が紫やピンクだったり見たこともない服装をしていたりと、今まで周りにいなかった人ばかりで、毎日が新鮮でした。

高専時代の文化祭の様子やスキー教室の写真など
▲高専時代の思い出。自主制作の卒業アルバムより

先生も個性豊かな方が多く、中学の頃とはまったく違いました。中学ではわかるまで丁寧に教えてもらえる環境が当たり前でしたが、高専は自分でついていかなければどんどん授業が先に進んでしまう。ついていくのが本当に大変でした。その一方で、私は1年生の頃からアルバイト(※1)にも励んでいました。

※1)現在は原則アルバイト禁止のようです。

―どんなアルバイトを経験しましたか。

お弁当づくりの工場や塾講師、イベントスタッフなど、夏季実習や短期のものも含めたらいろいろな種類のアルバイトを経験しました。当時はとにかく自分でお金を稼いでみたかったのです。どれも楽しかったのですが、今でも忘れられないのは最初に働いた食品工場。海外から出稼ぎに来ている方との意思疎通に苦労したり、パートの方に叱られたりと、初めての経験がたくさんありました。

当時は多くの学生がアルバイトをしながら学校生活を送っていましたが、私もその一人でした。ですが、アルバイトに没頭するあまり学業がややおろそかになってしまった時期もありました。数学の微分積分は成績順にクラスが分けられるのですが、最初はトップクラスにいたのにどんどん下のほうになってしまいましたから(笑)

さすがに、途中で学業がおろそかになってはいけないと気が付き、負担の大きいアルバイトは控えるようにしました。ただ、なにより働くことの大変さや楽しさ、様々な人と関わる中でコミュニケーション能力も向上し、人脈も広がりました。また、時間管理の難しさや責任感なども学ぶことができ、アルバイトはやってみて良かったと思っています。

―高専での出来事で印象に残っていることはありますか。

高専5年次にクラスメイトと参加した「チャレンジウォーク(※2)」です。東京高専がある東京都八王子市から神奈川県平塚市の湘南海岸まで42.195kmを歩くという過酷な道のりで、午前8時頃に出発して、到着したのは午後4時過ぎ。約7時間をひたすら歩くのは思っていたより大変ではありましたが、その間ずっと友人と話ができたのはとても有意義な時間だったと思います。

チャレンジウォークの写真。友人の江本さんと一緒に
▲チャレンジウォークの写真。友人の江本さん(1枚目左)と

完歩したその日から1週間ほど筋肉痛に苦しみましたが、ゴールに向かってひたすら歩み続けて到達できたという達成感から、自信も得られました。5回完歩するとスーパーウォーカーの称号がいただけるということで、高専卒業後も4年間参加し続け、5年目にその称号をいただくことができました。

※2)現在は学校行事の1つとして主に在校生が参加。(卒業生、その他高専に縁のある方々も参加できるようですが、開催されるかどうかも含めて詳しくは東京高専にご確認ください)

当時のチャレンジウォークの写真。完走賞の記念撮影
▲当時のチャレンジウォークの写真。完走賞をいただきました

産休・育休を経て、未経験の分野へ

―卒業後、千葉大学に編入したのはなぜですか。

入学当時は高い就職率を誇る高専を卒業したら、当然就職するものだと考えていました。卒業が近づくにつれ、大学に行くか、就職をすべきか正直悩んでいました。そんなときに農工大に進学した卒業生が研究室に遊びに来てくださり、大学での研究のやりがいや楽しさを話す姿に感銘を受けました。その経験から「私も大学に進みたい」という気持ちが芽生え、編入先を探しました。

千葉大学を選んだのは、生まれ故郷でもあり祖父母が千葉に住んでいたことや、千葉大学の研究室に事前に見学に行った際、その研究室の研究内容や雰囲気に惹かれたからです。3年次に編入後は、編入生は1年次からいる学生と比べると足りていない単位もあったため、講義数が多く、大変なこともありました。でも、4年次になって一人暮らしを始め、希望の研究室に配属されてからは研究に没頭できて毎日刺激的でした。

一方、当時は「自分の強みは何なのか」「何がしたいのか」「何になりたいのか」といった問いに対する明確な答えが見つからず、かなり迷走していました。就職活動をしてはみたものの、むしろ院に進学した先輩たちの活躍を目の当たりにし、自分の未熟さを痛感。就職したいという気持ちがなかなか湧き上がってきませんでした。

そこで、もう少し時間をかけて自分のやりたいことを見つけるため、また研究をたった1年で終えてしまうのももったいないと感じて、大学院への進学を決意しました。

大学卒業時の眞貝さん。研究室の女性陣と一緒に教室にて
▲大学卒業時の眞貝さん(左端)、研究室の女性陣と

―大学、大学院ではどんな研究をされましたか。

新規有機化合物の合成と金属光沢薄膜形成について研究しました。有機化合物だけで金属特有の光沢を出せるという点がとても面白く、何より日常生活では取り扱うことのない化学薬品や危険物を、ドラフトと呼ばれる環境下でフラスコや蒸留装置などを使い実験することがとても楽しかったです。

合成した有機化合物は色が強く、実験中に爪が真っ赤に染まることもありました。さらに出来がった化合物をカラムという装置で不純物と合成した化合物とを分離し純度の高いものにし、NMR(核磁気共鳴装置)など高度な分析装置で解析したり、化合物の色の特性を評価したりしました。のちに企業との共同研究の成果物として、特許に掲載され、深く感銘を受けました。

当時、私がいた研究室はテーマを自分で選ぶのではなく、教授が提示したテーマについて深く学びながら、先輩や先生方の指導のもと研究に取り組む形でした。興味深い研究テーマに取り組む日々は、楽しかったのですが、どちらかというと後輩指導の経験ができたことのほうが自分の成果としては大きいと感じています。彼らが成長していく姿を見るのが何よりの喜びでした。

研究室旅行のぶどう狩りにて。研究室仲間と一緒にぶどうを掲げている様子
▲大学院時代の眞貝さん(右端)。研究室旅行のぶどう狩りにて

―「関西ペイント」に就職した決め手を教えてください。

博士課程へ進んで研究を続けるよりも、いよいよ企業で働いてみたいと思い、就活に励みました。

そんなときに東京高専から関西ペイントに就職した方の話を聞く機会に恵まれたのです。色を扱うという点においては私がずっと興味のあった「元素」の学びが生かせると思いましたし、何より開発センターは「チャレンジウォーク」のゴール地点だった平塚市にあったので、縁を感じました。また、大学にリクルーターとして来てくださった卒業生の先輩社員や採用面接等で社員の方々にお会いしたとき、皆温かい雰囲気で、とても惹かれました。

チャレンジウォークのチェックポイントと道しるべ
▲チャレンジウォークのチェックポイントと道しるべ

入社後1年目は、教育実習研修で自動車部品や樹脂の合成に関する業務を経験しました。その後、缶の内外面の塗料に関する技術開発と渉外を担当する部署に配属。配属当初は、合成工場に隣接するオフィスで、工場の方や研究所、営業の方などから指導を受けながら、塗料の原料調達や配合、特性測定、塗膜作製、取引先との共同試験など、多岐にわたる業務を経験しました。九州にあるお客様の製造工場への出張もあり、毎日が刺激的で充実していました。

入社後の写真。技術系同期新人成果報告会後、講堂にて全員で記念撮影
▲入社後の写真。技術系同期新人成果報告会後、講堂にて

入社後3年目は一人目を出産のため産休・育休を取得。翌年の5月に復帰したのですが、復帰の際に知財部から異動の話をいただきました。現在は取得した知的財産アナリストの資格を活かして、企業価値を最大化するための支援を行っています。簡単に言うならば、特許情報を始めとする膨大な情報を分析し、依頼元のビジネスに貢献する新たな洞察を得るサポートです。

42.195kmの道のりが教えてくれたもの

―技術開発系の部署から知財部への異動に、不安や戸惑いはありませんでしたか。

ありませんでした。知財部はさまざまな部署と関われる可能性がある点と、自分にとってのチャレンジングな分野である点に魅力を感じたからです。もちろん、初めての子育てと同時に初めての分野を経験するわけですから、不安がゼロだったわけではありません。でも、それよりも「やってみたい」という気持ちが勝りました。

一般的に、研究や技術開発職は花形、知財部は裏方のサポート役というイメージを抱かれやすいと思います。確かに知財部の仕事はひたすら技術資料や特許情報を読み込むことや、出願手続きなど事務的なこともたくさんあります。しかし、私は、知財部が単なるサポート役ではなく、企業の競争力を支える重要な役割を担う「攻め」の仕事だと考えています。

「知財」は、企業の無形資産であり、新たな価値創造の源泉です。この知財にかかわる情報を可視化したり、丁寧に分析したりすることで、企業の強みや弱みを客観的に把握し、新たな事業機会を発見することにつながります。私は、知財情報を戦略的に活用することで、企業の成長に貢献したいと考えています。

また、私は技術開発職の経験を通じて、会社の制度や主力製品に関する深い知識を習得しました。この経験は、知財業務において、技術的な内容を正確に理解し、適切な権利化戦略を立案する上で、大きな強みとなっています。

―今後の目標を教えてください。

アナリストのコンテンツと企業経営アドバイザーの資格を取得し、より専門性の高いコンサルティングができるようになりたいと考えています。ゆくゆくは、自らの経験を活かして後輩育成にも携わり、組織全体の知財力向上に貢献できるような存在になりたいです。

特に知財部は、特許出願や権利化を行うだけでなく、自社の技術の強みを活かした新規事業の提案など、より積極的な役割を担うようになってきています。私はこの流れを加速させ、知財が企業の成長を牽引する存在となることを目指します。

プライベートでは、フルマラソンを3時間15分以内(※3)で完走するという目標に向かって、トレーニングに励んでいます。単に走るだけでなく、食事管理や睡眠時間をしっかりとるなど、総合的な健康管理にも力を入れることで、より長く健康でいられる体づくりを目指しています。60歳になっても4時間以内に完走できること(還暦サブフォー(※4))を目標に楽しくランニングを続けたいです。

※3)フルマラソン3時間15分以内はTOKYOマラソン2025の女子準エリート枠の応募基準。
※4)アールビーズ『ランナーズ』(2023年7月号)によると、「還暦サブフォー」の達成率は男性15%、女性7%。

2024年2月、第56回青梅マラソン30キロの部にて。サングラスをかけて走る眞貝さん
▲2024年2月、第56回青梅マラソン30キロの部

実は、昔は体も弱く、気管支喘息や片頭痛にも悩まされてきました。また、もともとは超が付くインドア派で漫画やゲーム好きです。それが、夫から、走った距離などを計測できるデジタル時計をプレゼントされたことをきっかけに走り始めたところ、生活習慣が改善されて体調も劇的に良くなり、一気に「走ること」にハマっていきました。

最初は2km走るだけでもやっとでしたが、走った距離がグラフ化されるのが目に見えて楽しくなり、練習を積み重ねていくうちにどんどんできるようになっていきました。続けることでできるようになっていくという達成感から得られる喜びは、高専で経験した「チャレンジウォーク」が築いたものだと思っています。

ホワイトリボンランのチャリティーTシャツを着て走る眞貝さん
▲2024年3月、名古屋ウィメンズマラソンにて、ホワイトリボンランのチャリティーTシャツを着て

―高専生へメッセージをお願いします。

高専で過ごした5年間は、社会に出てからも活かされています。新しいプロジェクトが始まるときには、高専で学んだ計画を立てる能力や、プレゼンテーションスキルなどが役立っていますし、多様なバックグラウンドを持つ人たちと協力して仕事を進める場面では、高専で培ったコミュニケーション能力が活きています。高専での経験は、私にとってかけがえのないものです。学んだこと、経験したことは、間違いなく今の私の礎となっています。

大切なのは「とにかくやってみる」ということ。気持ちは後からついてきます。思っているだけ、やる気を待っているだけ、ではなく、まずは1つ行動に移してみてください。エントリーしてみたり、ゴールを決めてみたり、具体的に何か行動を1つ起こす。失敗は怖いかもしれませんが、まずはそれに向かって一歩を踏みだす。行動をおこしてみなければ、失敗する機会も成功する機会も得られません。

何より、失敗してもいいんです。どんなに小さなことでも「ちょっとやってみようかな」と思ったら、それがチャンス。勇気を持って一歩を踏み出してみてください。未来のあなたは、今のあなたの行動で決まります。今が人生で一番若い皆さん、ぜひ色々なことに挑戦して、充実した日々を送ってください。

第9回水戸黄門漫遊マラソンの写真。完走のメダルやレースの様子など
▲2024年10月、第9回水戸黄門漫遊マラソンにて自己ベスト更新中。家族の支えのおかげです

また、「頑張ることは、無理をすることではない」ということを心に留めておいてください。大切なのは、無理なくコツコツと準備を続けること。今はできなくても、繰り返すうちに少しずつできるようになります。粘り強くあきらめずに取り組みつづけることこそが、本当の「頑張る」ということだと私は思っています。人と比べず、今の自分を受け入れながら、次の一歩を踏み出して、楽しみながら頑張っていきましょう!

眞貝 友希恵
Yukie Shinkai

  • 関西ペイント株式会社 開発・調達部門 技術企画本部 技術知財戦略部 開発戦略グループ

眞貝 友希恵氏の写真

1998年3月 東京都八王子市立椚田中学校 卒業
2003年3月 東京工業高等専門学校 物質工学科 卒業
2005年3月 千葉大学 工学部 共生応用化学科 卒業
2007年3月 千葉大学大学院 工学研究院 自然科学研究科(現 融合理工学府 先進理化学専攻 共生応用化学コース) 修士課程 修了
2007年4月 関西ペイント株式会社 入社 教育実習
2008年4月 関西ペイント株式会社 工業塗料本部 第1技術部
2010年5月 関西ペイント株式会社 R&D本部 知的財産室
2024年4月より現職

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