豊田高専の環境都市工学科で教鞭をとる松本嘉孝先生。大学で出会った研究がきっかけで水質管理に興味をもち、現在では自治体や企業と連携してさまざまな研究を手掛けています。そんな先生のモットーは「あるがままに生きる」。その秘訣を、伺いました。
大学を休学してオーストラリアへ
―現在の研究テーマを教えてください。
自治体や企業と連携して、地域課題の解決に向けた取り組みを進めています。例えば、豊田市上下水道局とは中山間地域の消毒副生成物低減化に向けて企業と共同研究しているほか、現在は、有機物が河川などに流出するタイミングや流出する量などを調査しています。
大雨が降った際、水道原水である河川水の濁り具合が上昇するように、天候は水質に大きな影響を与えます。そこで、こうした状況が発生したときのデータを収集し一般化することで、シミュレーションモデルを作成しようと考えました。将来的にはこれをAIに学習させ、天候の状況から水質変化を予測するシステムを構築したいと考えています。実現すれば、浄水場における薬品注入などの自動化を図ることも可能です。
このほかには、超音波を用いた水底底泥厚測定システムの開発や希少生物の生態環境調査など、多岐にわたって手掛けています。すべての研究に共通しているのは「水質管理」です。未来永劫、水を使い続けるためにどうしていくべきかを自然環境から考えるのが、私の永遠のテーマだと思っています。
―自然環境に興味が湧いたのはいつからですか。
社会全体が環境問題を考えるのは、今でこそ当たり前になっていますが、私が幼かった頃はそれほど取り沙汰されていませんでした。ところが1994年には「環境基本計画」が策定されたように、1990年代あたりから急速に地球環境についてクローズアップされるようになりました。私が中学を卒業し、将来を考えるようになったのとちょうど同じ時期です。
環境化学が専門の北野大氏の講演会で刺激を受けたこともあり、高校生になる頃には漠然と「環境について勉強してみたい」と思うように。ところが、当時の日本には「環境」と名のつく学科を持つ大学が少なかったのです。その中で、自宅から最も近い大学ということで山梨大学の工学部 土木環境工学科への進学を決めました。
ところが、蓋をあけてみたらメインは「土木環境工学」ではなく完全に「土木工学」。環境を意識した講義はほとんどなく、あっという間に意気消沈しました。勉強自体は嫌いではありませんでしたが、それでも描いていた理想とはかけ離れた学びに何度も「やめてしまおうか」と考えたものです。
―それでもやめずに続けられた理由は何ですか。
実は、大学2年の頃に休学して1年ほどオーストラリアに行きました。大学の掲示板で日本語教師のボランティアを募集していることを知り「これだ!」と。海外への憧れは以前からありましたし、一度、大学から離れてみたかったのです。
オーストラリアで過ごしたこの時間が、私を引き戻してくれました。勉強から距離を置き、自分を見つめる時間ができたことで、「自分がいる場所に一所懸命に向き合うことが大切なんだ」と気付いたのです。
そして帰国後、森林に降った雨と水の流れを研究する先生に出会い、「自然」と「水」の分野に一気にのめりこみました。工学は数式にあてはめて考えていくことで結論を導きますが、自然は決して思い通りにはなりません。でも、研究を続けていると、思わぬところで結果が見えてくることがある。その瞬間、「もしかしたら、まだ誰も知らない自然の法則一端に触れられたかも」と感じ、どうしようもなくうれしくなるのです。
言うなれば、見えないものが見えてくる感覚。目に映るものがすべてではないからこそ、見えていない自然の摂理を解き明かしたくなる。これは、今も自分が研究を続けるモチベーションのひとつでもあります。
「今」に全力で取り組む、あるがままに生きる
―修士課程、博士課程と進んだのは、研究を続けたかったからでしょうか。
それもあります。また、高校の頃から先生に「理系の道に進むなら修士はとっていたほうが良い」と言われていたので、修士をとることは大学入学前から決めていました。と言っても、研究をずっと続けようとは思っていなくて、修士課程を修了したら就職するつもりでした。そのため、難易度が高いとされる技術士補の資格も取得したのです。
ところが、その合格パーティーに参加した際に、とある企業の方から「企業では分業化が進んでいる」といった話を耳にしました。私は、0から10までを自分で責任を持って解決できることにやりがいを感じていたのですが、企業に行ったらそれができるとは限らない。自分が進めていた研究を、途中で他の人に渡さなければいけないこともある。その事実を突きつけられ、改めて自分の進路を考えました。今でこそ分業化は大切だとわかるのですが、当時は「そんなやり方は耐えられない」と思ったのです(笑)
そして、「一貫して物事の解決に関われる研究職を目指そう」と思い、博士課程まで進むことを決めました。研究発表で海外に行けることも経験からわかっていたので、自分にはそれが合っている、と。
―その後、高専の教員になったきっかけは何でしたか。
博士3年次に、いくつもの大学や研究機関に履歴書を送りました。当時は就職難で、とにかく必死。その中で採用していただけたのが豊田高専だったのです。後に、技術士補の資格をもっていたことや、海外で日本語教師をした経験があったことが採用の決め手になったと知りました。
資格は教員になるためにとったわけでもなければ、海外もキャリアのために行ったわけではありません。まさか、こんな形で自分の経験が活かされるとは思いもしませんでした。振り返ってみれば、高専の教員になろうと思ったのも、逃げるように行った海外で人に教える楽しさを知ったから。どこで何がつながるかわからないからこそ、「今」自分がやりたいと思ったことを貫いてきた人生は間違っていなかったのだと思います。
―高専で働いてみて、いかがですか。
正直に言うと、最初のうちはしんどかったです。自分のやりたい研究が思うようにできず、ジレンマを抱えていました。大学に顔を出したとき、先生方に「辛い」と愚痴をこぼしたこともあります。そんな私を見て「うちにくるか」と声をかけてくださった方もいましたが、ある一人の先生から「でも、学生はかわいいだろう」と言われたのです。
確かに、学生はかわいい。少しずつ成長していく姿を見るのは、何とも言えない喜びがあります。そのときに、自分の研究しか考えていなかったことを痛感しました。教員として私がすべきは、何よりも学生にフォーカスすることだと気付いたのです。それからは辛いと思ったことはありません。むしろ、この環境で好きな研究ができることに感謝しています。
―気持ちの切り替えをするコツはありますか。
開き直って認めることですね。高専教員は、一日の中で人格を変えないといけない場面が多々あります。15歳の学生を相手にした1時間後に20歳過ぎの学生へ講義をすることなんて日常茶飯事。さらに教員同士のミーティングを終えたら企業との打ち合わせ、部活動の指導……と、それぞれの場面に合った身の振り方を考える必要があるのです。
ここだけ聞くと大変なように思いますが「大変なんです」と言っていたところで何かが変わるわけではありません。だったら「大変なものなんだ」と認めてしまうのです。そして、どうやってスイッチを切り替えたら楽しめるだろうかと考える。だから、私の中ではもはや大変という概念は消えています。それに、大切な仲間のためなら頑張りたいと思うのは、自然なことですしね。
あとは、自分が心地よい環境をつくることも大切だと思います。疲れたら休むし、眠かったら寝る。自分の感情に素直に生き、自身を大事にできている人のほうが、相手を思いやる行動がとれるのではないでしょうか。自然を相手に研究していると、「自然は、なんてあるがままの姿なのだろうか」と、よく思います。私たちも同じく「あるがまま」に生きていいんですよ。
熱らず、驕らず、昂らず、謙虚に生きる
―現在、ご自身の研究以外で力を入れていることを教えてください。
牡蠣殻を利用したタイルの製造やそれを用いたサウナの建設などの共同研究を、鳥羽商船高専の学生と合同で進めています。また、自治体と地元企業とともに、市で廃棄されるマンホールの蓋を新たな製品へアップサイクルする取り組みも学生たちと進めているところです。学科間や学校間で連携できたり、地元企業と密に関われたりするのは高専の大きな強みだと思います。アカデミックだけではなく、しっかりと実践できる場に恵まれているのは、本当にありがたいことですね。
こうした教育活動以外には、海外教育機関との共同研究や、「KOSEN Global Camp」といった国際交流に関する分野にも取り組んでいます。例えば今夏はフィンランドのサマースクールで、現地の学生たちに向けて水道に関する授業を実施しました。現地と行っても、参加するのはフィンランド人だけではなく、ドイツ人やアメリカ人もいます。海外では「他国で単位を取得する」ことをマストにしている大学が多いのです。
日本はとても良い国ですし、私も大好きですが、一方で教育制度については遅れていると感じます。ぜひ高専の学生たちも多様な文化や時代背景に触れ、学びを深めていってほしいと願っています。英語に苦手意識がある学生もいるかもしれませんが、私も決して得意だったわけではありません。英語塾で小さな頃から勉強をした経験もない。でも、筋トレのように毎日やっていたら、やがて実を結ぶのは確かです。
そもそも、多様な文化が行き交う場所で重要なのは、スピーキング力よりも自分の意見をしっかり伝えられるかどうか。少しでも興味があるなら、臆せずに飛び込んでいくべきです。
―高専生にメッセージをお願いします。
「無知の知」を忘れずにいてください。熱らず、驕らず、昂らず、謙虚に生きる姿勢を持ってください。これは、私が常に意識していることでもあります。知った気になった瞬間、研究は進まなくなる。知らないことを知るからこそ、研究を突き詰めるのは楽しいのです。
あとは、昔子供の頃によくTVで見ていた、赤塚不二夫先生の「天才バカボン」のバカボンのパパがよく言っていた、「これでいいのだ!」という気構えで行くと、なんとかなりますよ。悩んだり苦しくなったら、あの「パパ」の顔を思い出すと、肩の力が軽くなります。
松本 嘉孝氏
Yoshitaka Matsumoto
- 豊田工業高等専門学校 環境都市工学科 教授
1995年3月 岐阜県立多治見北高等学校 卒業
2000年3月 山梨大学 工学部 土木環境工学科 卒業
2002年3月 山梨大学大学院 博士前期過程 工学研究科 土木環境工学専攻 修了
2005年3月 山梨大学大学院 博士後期過程 工学研究科 社会・情報システム工学 単位修得退学
2005年4月 豊田工業高等専門学校 環境都市工学科 助手
2007年4月 同 助教
2008年12月 同 講師
2010年4月 同 准教授
2012年4月 豊橋技術科学大学大学院 工学研究科 建築・都市システム学系 准教授
2013年4月 豊田工業高等専門学校 環境都市工学科 准教授
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