進学者のキャリア現役大学・大学院生

「お先にどうぞ」をどう伝える? 自動運転車と人のコミュニケーションの研究、そして「人」に着目した研究で、命を救いたい

SHARE

この記事のタイトルとURLをコピーしました
公開日
取材日
「お先にどうぞ」をどう伝える? 自動運転車と人のコミュニケーションの研究、そして「人」に着目した研究で、命を救いたいのサムネイル画像

幼少期からモノづくりに興味を持ち、地元を離れて大島商船高専へ進学した佐伯英日路さん。実体験から疑問や課題に感じたことを研究するというスタンスで、今は九州大学大学院の博士後期課程で研究を続けています。そんな佐伯さんに、高専時代の出来事や研究への思いを伺いました。

祖父の影響もあり、幼少期からモノづくりに興味を示す

―高専へ進学したきっかけを教えてください。

きっかけは、通っていた公文の先生でした。その先生の息子さんは大島商船高専に、娘さんは久留米高専に通われていました。私は小学生の頃から夏休みには地域のロボコンに参加していて、学校の授業の中でも理数系が得意——そんな私の姿を見て、高専が合っていると思われたのだと思います。

―小さい時からロボコンに参加されていたんですね。

幼少期から、祖父の家に行った時には、祖父と一緒に高専ロボコンを見ることが多く、それから母の勧めで小学生向けのロボコンに参加するようにもなりました。私の工学好きな面は、祖父から影響を受けたものだと思います。

幼少期からモノの技術に関する興味があり、幼稚園の時には懐中電灯を分解して、もう一度組み立てるような子どもだったと聞いています。最初はモノを分解するばかりだったようですが、「分解だけじゃなくて、たまには戻してみろ」と母に言われ、頭を使って戻すという工程まで行うようになりました。それから、モノづくりに目覚めていきました。

小学生の時に参加していたのは、福岡市で開催されていた、自作した火星探査機の性能を競う火星ローバーコンテストです。参加するにあたり、工学的な技術を教えてくれる人が周りにいなかったので、自分で本やネットで調べていました。ただ、小学校高学年になると、予算や技術不足を感じるようになり、いつしか、より高度なロボットづくりに挑戦したいという思いが芽生え、高専への進学を決めました。

ロボットを手に持つ、幼少期の佐伯様
▲幼少期の佐伯さん

―そのほかに高専進学を決めた要因はありますか?

地元から出られる点も大きなポイントでした。私が小学生の頃からロボコンに参加していたことや、モノづくりに興味があったことなどを、同級生やその親御さん、親戚などから受け入れられずに生きづらさを感じていました。そのような中で、県外で寮生活ができる大島商船高専に進むことで、今の環境から解放されるのではと期待していた部分があります。

いざ高専に進むと、一般的な高校の感覚で高専に来ている人も多かったという点ではギャップがあり、かなり苦労しました。ただ、中には自分のようにロボットやモノづくりが好きで進学してきた人たちがいて、理解し合える友人や後輩にも恵まれました。また、ロボット研究部顧問の岡野内悟先生や技術職員、保健室の看護師などの教職員の方々の手厚いサポートのおかげで、全力でロボコンに取り組むことができました。

外で歯車のついた模型を囲んで写真に写るロボコン部の方々と岡野内先生
▲高専生の頃の佐伯さんとロボコン部のチームメイトと岡野内先生。中央にある作品はニコニコ超会議賞を受賞しました

―地元を出て、大島商船高専のある山口県・屋代島での寮生活はどのようなものでしたか?

寮生活は、私の生活マインド形成において重要な要素だったと思います。まず、近くには駅も遊び場もありません。また、入学当初はエアコンと冷蔵庫がなく、電気も夜10時〜12時には切れてしまいます。もちろん、低学年は二人部屋ですし、同じ屋根の下に幅広い年齢の学生が暮らしていました。

どうにか工夫してできるだけ快適に過ごそうと、例えば夏場の猛暑は扇風機の前に氷を入れた袋をぶら下げて、より冷たい風があたるようにしていました。このように、生活必需品がない中で、どうやって工夫して楽しく過ごすか模索するようになったのは、大きな考え方の変化です。

寮生活は苦労するイメージがありますが、住めば都で可愛がってくれる先輩方も居ましたし、商船祭(文化祭)やその他イベント事では、早朝から深夜まで同級生と一緒にものづくりすることはとても楽しかったです。商船祭ではDJをさせて貰ったのは一生の思い出です。

また、商船学科の友人と釣りに行き、釣ったイワシでつみれ鍋をつくって寮で食べたのも、島生活ならではの良い思い出です。

暗い体育館内でDJをする佐伯様
▲商船祭でDJを行う佐伯さん

車いすユーザーの父や身近な高齢者のために、モビリティ開発を

―高専本科卒業後は、専攻科へ進学されています。

大島商船高専の卒業生の進路は就職が約7割と、全国の国立高専の平均より高いです。ただ、インターンシップに参加して、一生同じ地で同じ仕事をするのは自分のやりたいことなのかと違和感を抱きました。当たり前のように同級生が就活する中で、周りに同調して就職して良いのだろうかと、引っかかったんです。

また、ロボコンでチームリーダーとしてみんなを全国大会に連れていくことができなかったのも心残りでした。就職への違和感と、もっと技術的に自分を高めたいという思いから、専攻科への進学を選択したのです。

その後、専攻科では浅川貴史先生のご指導の下、2019年度の高専ワイヤレステックコンテスト「WiCON」(無線機器・システムを用いて、地域の課題解決やビジネス創出につながるアイデアを競うコンテスト)に打ち込み、最優秀賞(総務大臣賞)をいただきました。高専本科時代のロボコンでの経験が糧になっていますし、受賞は少なからず今でも自信につながっています。また、この時にもモノづくりが好きな友人に大変に助けられました。

船の上で黄色いベストとヘルメットを装着し、作業をしている様子
▲専攻科生の頃の佐伯さん。WiCONでは「Wi-SUN機器と船舶基地局による離島のための災害時通信網の確立」で最優秀賞(総務大臣賞)を受賞。写真はその取り組みの様子

―専攻科での印象的な出来事を教えてください。

専攻科1年生の時に初めて学会発表をさせていただきました。この時に、研究者の方々が自分のアイデアや新規性に対してお互いにリスペクトし、面白い議論を繰り広げている場を目撃し、衝撃を受けたんです。

私は自分の考えや好きなことを否定され、苦しい思いをした経験がありました。しかし学会では、個性的な考えを受け止めてもらえ、意見までもらえる。これは素晴らしい機会であると思い、今でも毎年最低2回は発表を行っています。

ヘッドフォンをつけ、パソコンとモニターを見る佐伯様
▲コロナ禍ではオンラインで発表しました。このときは人生3回目の学会発表でした

―高専での研究内容を教えてください。

簡単に言うと、高齢者のための安心・安全な移動手段をつくる研究です。大島商船高専の周辺では、100歳を超える高齢者が大変そうに歩いてスーパーに向かう光景をよく目にしていました。

また、私が小学2〜3年生の頃から父は車いすに乗っており、私も車から車いすを降ろす作業や車いす自体の整備を行ってきました。そんな中、高齢者や車いすユーザー自身に、さらに、介助を行う人にとっても、より利便性の高いものができないかと考えていた所、浅川先生から提案いただいたのがこの研究でした。そして、それが研究を始めたきっかけです。

例えば、歩道や踏切、公共施設には段差が多く、乗り物ごと転倒・転落してしまうリスクがあります。そこで、ある一定の深さや幅の段差であれば、緊急停止が可能なシステムを作成しました。今は大学院で始めた研究に時間を割いているのでこの研究はストップしていますが、大学院を出たタイミングでまた再開したいと思っています。最終的に、父にも使ってもらえるようなモビリティをつくるのが夢です。

低い木製の段の上で、車いすに座る男性
▲高専生の頃に取り組んだ、車いすの実験の様子

―大学院へ進学したきっかけは何だったのでしょうか。

高専時代のロボコンでの経験が大きいです。ロボットを操作するコントローラを作成する際に、操作する人によってスイッチの物理的な位置や操作内容の割り当てなどが異なるため、一人ひとりに合わせたオーダーメイドのような形になっていました。この、人によって使いやすさが違う点が面白く、使いやすいインターフェースについて研究できる研究室を探しました。

並んだ5つのベージュ色のコントローラー
▲ロボコンで使用したコントローラたち(一部、後輩によって改造済み)

すると、高専時代に読んだ、高齢者の運転に関する論文を書かれた先生の名前が記載された研究室を見つけたんです。自身の高専での研究と興味が一致した研究室が見つかり「ここに行くしかない」と進学を意識するようになりました。進学を悩んでいたところに、当時大島商船の教員だった松村遼先生に背中を押していただき、現在に至ります。

エンジニアとユーザーをつなぐ架け橋に

―現在の大学院での研究内容を教えてください。

「自動車と人間」というキーワードの研究を行っています。自動運転レベル3における権限移譲問題や、自動車のHMI(ヒューマンマシンインタフェース)、企業との共同研究、VRなど様々な研究を行っていますが、メインテーマは自動運転車とドライバーのコミュニケーションに関する研究を行っています。

自動車の運転中に、ドライバー同士で「お先にどうぞ」とコミュニケーションを取り、道を譲ったり譲ってもらったりすることがあると思います。しかし、自動運転車は、人間同士のようなコミュニケーションをとることができません。

そこで、eHMI(外向きヒューマンマシンインターフェース)を用いて、自動運転車が「お先にどうぞ」といった意思を人間に提示する際、どのような情報が必要で、どこまで表示するのか、ドライバーにどのような影響があるのかなどを、ドライビングシミュレータを用いた実験心理学的アプローチで研究しています。

3つの画面を見ながら、ハンドルを握る男性
▲ドライビングシミュレータ(佐伯さん設計制作)を用いた実験の様子

情報の提示の方法としては、ナンバープレートのようにディスプレイで文字を表示する方法、ワイパー付近にLEDを並べて動的に光らせるパターンなど、いくつか考えられています。このようなデザイン部分に関する研究ももちろん必要ですが、私が取り組んでいるのは、円滑な交通を実現するためにはどのような情報が必要であるのか、といった部分がメインです。

研究を始めたきっかけは、大学へ車で通学する際に、ドライバーに道を譲ってもらう機会が多く、今後自動運転車が普及した際に譲ってもらう機能がなければ、円滑な交通環境とは言えないのではと感じたことでした。また、自動運転や先進安全運転支援装置が急速に普及し始めたのは良いのですが、かえって賢いシステムからの情報提示が人間の運転を邪魔してしまう「おせっかい」な状況が生じてしまっているのを体験したというのもきっかけの1つです。

私の研究スタンスとして、問題や不便を実際に体験し、当事者目線で考え、課題を解決する、というのを意識しています。これは高専生の時に恩師の浅川先生に教えてもらったスタンスで、ずっと変わらず持っているものです。

車の中で、2つの青いライトが光っている様子
▲高専時代に学んだ技術で試作したeHMI

―研究における課題や障壁などはありますか。

情報提示がおせっかいになってはいけないと感じています。しかし、提示された「情報」をおせっかいに感じるかどうかは、国や地域、人によって異なるものです。都市と田舎の交通状況は全く違いますし、大学院生とトラックドライバーではコミュニケーションの仕方も異なります。

この「人によって異なる」状況の中で、どのようなコミュニケーションが有用であるかを解明・提案することが難しいです。さらに、「おせっかい」という心理的な尺度を持ったものを、いかに測るのかという心理学的な側面と、情報提示という情報工学的の側面のミキシングに対して、難しさを感じています。

また、人を対象とする研究なので実験参加者を集めるのに苦労しています。たまたま、ロボコン部や研究室の同期や後輩が福岡に就職して、いつも実験に付き合ってくれているので、本当に助かっています。高専在学時には大学で実験に参加してもらうなんて事は全く予想もしていませんでしたが……不思議な縁です。

赤い服を着てトラクターに乗る男性
▲家業である農業の様子。大学院生以降は実家からの通学となり、手伝えるようになりました。トラクターや管理機の操作の難しさや危険性を知ることで、研究の着⽬点の発⾒にも役に⽴っているそうです

―博士課程修了後の進路をどのように考えていらっしゃいますか。

まだまだ、現在の自分自身に満足していません。もっと自分さえも想定してない未来を切り拓きたいと思っています。研究者は音楽家や文筆家、TVプロデューサーや芸人と同じように、独自性・創作性を常に求められる「ものづくり」を生業とする生き物です。自分自身のものづくりを死守するためにも、どうにかアカデミックな環境に残りたいと思っています。そして、エンジニアとユーザーの架け橋になる研究者になりたいと思っています。

現在のものづくりは、商業的に成り立つ形で考えると、どうしても広いユーザー層を想定します。しかし、そのせいで、作り手が想定した受け取り手がそのモノを選ぶとは限らず、受け取り手によって利便性が低いものになったり、見た目を理由に心理的抵抗が生じてしまったりします。

現状、この受け取り手側の意見は、なかなかうまくフィードバックされていません。せっかく開発した機能をユーザーが活用できるようにするためには、ヒューマンインターフェースの研究が重要であり、いずれは高齢者側のニーズも汲み取り、相互にフィードバックを行っていけるような、両者をつなぐ研究者になれればと思います。

最終的な目標は、私の研究で人命を救うことです。自動車に関する研究から得られた人間の特性や癖みたいなものを利用して、世の中にある「使いづらい」「思ったように操作できない」をなくし、事故を減らしていきたいと心から思っています。

高専でモビリティの研究をしている最中に、踏切で電動車いすが身動きを取れなくなり、高齢者の方が電車に轢かれて亡くなった事件が発生しました。これは、まさしく当時私が取り組んでいた研究で、私の研究が間に合っていればこの高齢者の方を救えたかもしれない、と当時は本気で罪悪感を抱いたんです。

なおかつ、父が車いすユーザーなので、もしかしたらこの高齢者の方は父だったかも、という当事者意識も感じました。この時の経験から、人命を救いたいという目標ができ、ずっとその目標に向かって研究に取り組んでいます。

―最後に、高専生へのメッセージをお願いします。

私は、本科時代はクラス50人中42位くらいの席次で、完全な劣等生でした。今でも決して優秀な人間ではありませんが、周囲の方々のおかげで、ここまで生きてこられました。

中でも両親と妹、前述の恩師以外に、特に感謝している人物が2人いて、1人は現在の指導教員である志堂寺和則先生です。長年の研究者としてのご経験から研究者としての考え方、研究手法を教わりました。先生のおかげで大変有意義な大学院生生活を送れていると思います。

4枚の表彰状を前に、志堂寺先生と写真に写る佐伯様
▲志堂寺先生と賞状

もう1人が高専時代の友人です。もともと商船学科に在籍していて今は就職しています。学生と社会人という事もあって、色々と私と考えや感性が違う所も多いのですが、その友人の高専在学時からの「現実を受け止め、可能な限りで最大限努力し、全力で強く生きる姿」を心から尊敬しています。そんな友人と高専在学中から現在までお互いに励まし合う事ができたからこそ、頑張って生きることができました。

高専時代から研究を続ける中で、このような素晴らしい方々に出会えたことは、私にとって大きな財産です。

また、高専生が大学や大学院に進学すると、研究室によっては貴重な研究の戦力になる可能性があります。私の場合は、ドライビングシミュレータを作成する時に、実験実習の溶接や仕上げ加工、ロボ部で学んだマイコンに関する知識などが非常に役に立ちました。
今後何が役に立つかわかりませんが、他人が体験したことのないことを体験した経験がある、つまり「高専卒」というのは大きな武器です。

とにかく「今生きている世の中に違和感を感じる・生きづらいと感じる」という方は、高専や大学や大学院に進学して研究やものづくりを続けてみてください。きっと、その違和感や生きづらさ自体があなたの個性と評価される未来が待っているはずです。

佐伯 英日路
Hidehiro Saeki

  • 九州大学大学院 統合新領域学府 オートモーティブサイエンス専攻 人間科学分野 博士後期課程2年

佐伯 英日路氏の写真

2019年3月 大島商船高等専門学校 電子機械工学科 卒業
2021年3月 大島商船高等専門学校 専攻科 電子・情報システム工学専攻 修了
2023年3月 九州大学大学院 統合新領域学府 オートモーティブサイエンス専攻 人間科学分野 修士課程 修了
2023年4月より九州大学大学院 統合新領域学府 オートモーティブサイエンス専攻 人間科学分野 博士後期課程

SHARE

この記事のタイトルとURLをコピーしました

大島商船高等専門学校の記事

「一般的とは何か、普通とは何か」。経験から語る、「多角的に物事を見る」ことの大切さとは。
中山先生
自分と音声の「認識」について学ぶ——高専生のころに研究室をめぐって出会った音声認識の研究
前畑先生
「海と船」のある生活が当たり前——もうすぐ引退する練習船「3代目大島丸」への、複雑な思い

アクセス数ランキング

最新の記事

無線LAN機器の開発者から個人投資家に! 寄附を通して日本の科学技術の発展に貢献したい
きっかけは、高専時代の恩師の言葉。「チャンスの神様の前髪」を掴んで、グローバルに活躍!
高専時代の研究をまとめた記事が話題に! ワンボードコンピュータとの運命の出会いから、現在のIT社会を支える