2024年、宇部高専の杉本憲司先生が主導する10年以上にわたる藻場創出のプロジェクトが、第32回地球環境大賞の農林水産大臣賞を受賞しました。今回は、杉本先生に受賞した研究の内容や、高専教員になるまでの経緯、教員としての取り組みなどを伺いました。
化学は「キングオブ理系」!? はじまりは憧れから
―大学で化学を専攻した後、環境に関する研究を行うために院へ進んだとお聞きしました。
まず大学は、工学部や理学部など理系学部全般を検討し、試験内容や就職、学部の雰囲気など、あらゆる面を考慮して広島大学工学部の化学系に進みました。大学選びに関しては、山口県の東部出身の私からすると、広島市は一番身近な大都市で、馴染みがあったというのが決め手でもありました。
専攻に関しては、物理や科学、生物が理系のメインである一方、化学は理系の中の理系、いわば「キングオブ理系」というイメージがあり、物理の方が得意科目ではあったものの、多少苦手でも化学に対する憧れから化学系を選んでいます。
大学院に進学後、専攻として環境分野を選んだのは、環境問題はこの先ずっと人類が抱え続ける問題だと思ったからです。また、広島大学には環境系で有名な岡田光正先生がいらっしゃったので、「せっかくなら先生からいろいろと学びたい」と思い、岡田先生の研究室に入りました。
―杉本先生は大学院を出てから、一度就職されています。
私はいわゆる「就職氷河期世代」と言われる世代で、当時はかなり就職が厳しい時代でした。修士課程の後にドクターまで進むことも考えたのですが、そうするともっと就職が難しくなるのではと思い、ご縁をいただいた広島県環境保健協会で働くことに決めました。
職場では、1年目から山口県の岩国基地の埋め立てによって消失する藻場の回復に関する仕事を防衛省から受け、携わっていました。10年ほど勤続し、ここでの仕事で培った知識やノウハウが、今の研究に生かされています。
―その後、高専の教員になるまでの経緯を教えてください。
広島県環境保健協会で仕事をしながら、広島大学大学院に社会人ドクターとして通っていました。働き出してから、自分の思った通りに動けずに縛られているような感覚があり、「もっと研究や社会貢献を自由に行いたい」という思いが徐々に芽生え始めたんです。そうして、研究者になるためにドクターに通うことにしました。
その後、社会人ドクターを取ったことで、1年目から携わっていた防衛省との仕事の責任者に抜選されました。当時31〜32歳ほどで、その歳で責任者になれることは通常はありません。ですが、適任者がいないということで、手を挙げたら任せていただけることになりました。責任者になることで業務をある程度コントロールできるようになり、今までよりも自由度高くプロジェクトを進めることができ、やりがいがありました。
それから少し経ち、宇部高専で働いていた同じ研究室の先輩から、教員の公募が出るのでどうかとお話をいただきました。研究者として働きたい気持ちは変わらず持っていたので、応募し、ありがたく採用していただけたという次第です。
岩国沖での藻場創出で、魚や海藻の数が増加
―第32回地球環境大賞の農林水産大臣賞を受賞した、岩国沖の藻場創出の研究に関して教えてください。
山口県岩国市の岩国沖において、2013年から鉄鋼スラグ製品を用いた藻場育成基盤の創出を行っています。藻場とは、海草や海藻が生い茂っている沿岸域の場所を指し、魚の産卵や稚魚の育成を支える重要な場です。また、水の浄化や、二酸化炭素の吸収による温暖化の抑制など、さまざまな環境への貢献にもつながっています。
私が高専に着任してすぐ、海に関する研究を行うために地元の神代漁業協同組合に聞き込みを行ったところ、「藻場が減って魚が獲れなくなっている」とのお話がありました。埋め立てによる影響や透明度の低下など、全国的に藻場が減っているという状況があったのです。
特に広島湾では、頻繁に発生する台風の影響もあり藻場が減少し、自然に中々回復しない状況にまで陥っていました。そこで、前職での経験を活かし、高専でも藻場創出の研究を進めることにしました。
まず、藻場を育成するには、海草や海藻が根付く土台が必要です。この土台にJFEスチール株式会社の鉄鋼スラグ製品「マリンストーン」を用いています。鉄鋼スラグは海中の天然石よりも重く、流されにくい特徴があります。特に、マリンストーンの表面は岩のようにでこぼこしており、海藻が根付きやすい形状であることに目をつけました。
2013年から2018年にかけて、マリンストーン約20万トンを海中に入れ、3.6ヘクタールもの藻場の土台作りを行いました。結果、砂地だったところに20〜30種類の海藻が根付き、魚の種類と個体数の増加が見られました。魚は、プロジェクト実施前は9種類14個体しか確認できなかったところ、年によっても異なりますが、藻場創出によって平均18種類44個体にまで増加しています。
また、二酸化炭素の吸収量が4年間で約80トンと算出でき、「Jブルークレジット®」(※)の取得にも成功しました。
※ジャパンブルーエコノミー技術研究組合(JBE)が創設し、2020年度より取引を開始した、沿岸や海洋生態系に特化したカーボンクレジットのこと。
―藻場創出の研究において、新たな課題はありますか?
最近は食害に困っています。海中の生物が藻を食べ荒らしてしまうんです。主にアイゴという魚と、ウニの一種であるガンガゼによる被害です。これらの生物によって藻場が減ってしまっているので、被害をいかに抑えて藻場を育成するのかが今後の課題です。
ただ、広い海の中で人間が制御できるのは、せいぜい波の強さや流れを変えることくらいで、水質や生物のコントロールは非常に難しいものです。食物連鎖の数量のつり合いの関係を考えると、植物が減ると、それを食べる生物も減り、長期的には数は元に戻ります。そのため、基本的にはアイゴやガンガゼが減るのを待つしかありません。
ただ、食害生物の生態はしっかり把握しておく必要があります。そこで、ガンガゼを3,000リットルの大型水槽に入れ、植物に対してどのような影響を与えているのかの観察を始めました。また、藻場の土台が鉄鋼スラグ製品か天然石であるかの違いによって、食害生物の行動が異なる可能性も考え、大型水槽内に鉄鋼スラグ製品と天然石の藻場を作り、観察しています。
また、これは最近の個人的な悩みなのですが、全国の高専で似たような研究をしている人が非常に少なく、研究の仲間がなかなかできないことは1つの課題だなと思っています。まず、水産にフォーカスした学科は高専にはほぼありません。また、高専というのは機械や電気に強みのある学校が多く、私の専門である物質工学科は全国の高専の3分の1にしかないんです。
今後のことを考えると、一緒に研究ができる仲間を増やしていきたい、ネットワークを広げていきたい、という思いがあります。他の地域の化学系や生物系の先生方と連携して、それぞれの知見や助言を活かして各地域の沿岸域の問題を解決できるような仕組みを作れたらと思います。
今回の受賞は、この取り組みが知られるきっかけになったと感じています。今まで論文は出しているものの、論文だけでは必ずしも有名になるとは限りません。受賞によって取材は増えましたし、注目されることで興味を持ってくれる人が増えてくれたら嬉しいですね。
殻を破り、世界に羽ばたける研究者に
―高専での他の研究や取り組みを教えてください。
企業と連携した研究活動に力を入れています。主には環境や生態系に関する研究として、毎年3~4社程度と共同研究を行っています。メインは、鉄鋼スラグ製品の評価や開発です。
特に今年からは、企業の鉄鋼スラグ製品が、環境省の環境技術実証事業(ETV)(※)の認証を取れるよう、企業への助言を行っています。
※環境技術の効果を客観的に示し、環境技術の普及や環境保全の発展を目的とした事業のこと。
また、環境省の令和6年度環境研究総合推進費のうち最も金額が大きいプロジェクトに採択され、研究メンバーの一人として、沿岸環境・生態系の統合的管理ができるデジタルツインプラットフォームの構築を目指しています。リアルタイムで取得した環境に関するデータを、仮想空間に反映することで、沿岸域での環境や生態の変化をデジタル上で把握できるようなプラットフォームです。
構築の目的としては、海の仮想空間を作ることで、魚の種類や個体数の増減を把握できるのが1つ。また、藻場を作ると魚が増えることは理論上間違いないのですが、なにせ海の中のことなので、なかなか一般の方には伝わりにくい現状があります。そのため、仮想空間を見ていただくことで、海中における変化を市民の方々に理解していただくのがもう1つの目的です。
このプロジェクトは今年度からスタートしているので、成果が出るのはまだ先なのですが、5年後の完成を目指して、取り組みを進めています。
―高専での教育で力を入れていることはありますか。
2017年度に在外研究としてアメリカのノースカロライナ州立大学で1年間過ごしたことをきっかけに、学生への英語教育に力を入れています。アメリカでの研究は、やはり英語の壁を感じることが多々ありました。現地の研究者たちと、知見に差はなくても、言語の問題で対等のディスカッションができないことにもどかしさを感じていました。
そこで、私の研究室では化学や研究に関する会話を英語でできるよう、毎年、マレーシアやシンガポールなどの大学生を、3ヶ月間研究室で受け入れています。研究室の学生たちは、最初はGoogle翻訳に頼って留学生と会話をするのですが、2〜3ヶ月後には翻訳機を使わなくても「お昼ご飯はどうするか」「今日は何時に帰るか」といった簡単な日常会話であればできるようになっています。留学生に来てもらうこの3ヶ月というのは、本校の学生にとっても良い経験になっていると感じています。
―最後に、高専生へのメッセージをお願いします。
高専生は真面目で大人しく、少し内気なところがある学生が多いので、より外に対してアピールできるようになってほしいなと思います。高専生は自分が思っているよりも優秀で、できる人が多い印象です。大学や大学院に進んでも、その中でトップクラスになれる実力を持っている学生が多くいます。
この高専という狭い世界にとらわれず、自信を持っていろんなことに取り組んで、外に羽ばたいていってほしいですね。その中に、大学院まで進学し、研究者になる学生が現れたら、その時はぜひ一緒に研究ができたら嬉しいです。
杉本 憲司氏
Kenji Sugimoto
- 宇部工業高等専門学校 物質工学科 教授
1995年3月 山口県立柳井高等学校 卒業
1999年3月 広島大学 工学部 第三類(化学系) 卒業
2001年3月 広島大学大学院 工学研究科 移動現象工学専攻 修士課程 修了
2007年3月 広島大学大学院 工学研究科 物質化学システム専攻 博士後期課程 修了
2001年4月 財団法人広島県環境保健協会
2012年4月 宇部工業高等専門学校 物質工学科 講師
2016年1月 同 准教授
2017年3月〜2018年3月 ノースカロライナ州立大学 ウィルミントン校 海洋科学センター 在外研究員
2019年4月より現職
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