「文字を読んで理解すること、目の前の物体を見て識別すること」。人間にはできて、なぜ機械にはできないのか。佐世保高専を経て九州工業大学大学院に進学され、教授となった今もなお、画像認識や脳型計算機の研究を続けられている九州工業大学 田向権先生にお話を伺いました。
留年の危機“サーティーズ”から、大学進学へ
―高専時代についてお聞かせください。
高専という存在は、中3の冬まで知らなかったんです。学校の先生から勧められて、なんとなく面白そうだなくらいの気持ちで佐世保高専に入学しました。中学校の頃までは特別なことをしなくても成績は上々だったんですが、高専に入ってからは散々でしたね(笑)。
驚いたのは周りの同級生たちの勉強量です。5限の授業が終わったと思ったら、就寝時間までずーっと寮で勉強しているんです。中学時代の私は授業が終われば遊びの時間でしたから、こんなにも勉強をするのかと心底びっくりしました。
そんな調子ですから、周りの人たちが勉強していたからといって、すぐに切り替えることはできませんでした。机に向かう同級生を尻目に、自由きままに好きなことに時間を使っており、1年生のときは成績が最低ラインでしたね(笑)。
高専は成績が悪ければ進級ができません。私が通っていた学校は当時40人ほどが入学し、卒業時には30人に減っているような状況でした。つまり、試験で30番台が続くと、進級も卒業も危うくなる。そんな私のような30番台の学生たちは「サーティーズ」と呼ばれていました(笑)。
―しかし、先生はその後、無事に卒業され進学もされていますよね(笑)。
高専のカリキュラムの面白いところは、数学や物理など一般的な高校で習う科目の他に、制御など専門的な授業があるところです。微分積分を最初に習ったとき、先生は授業よりも自身の興味がある話ばかりしていたので、私はさっぱり理解できなかったんですが、進級し「ラプラス変換」や「RLC回路」が登場したときに「これなら分かる!」と開眼しました。
それまでの基礎科目はひどかったんですが(笑)、専門科目になってからは高得点が取れるようになりました。4年生になると、ほとんど専門教科になりますから、最初のテストで学年2位になることができました。1位は1年生の頃からほぼ満点を取る同級生の女の子で、その子には最後まで勝てずじまいでしたね。
こうして振り返ってみると、サーティーズがまさかの2位に下克上です(笑)。高専では何が起きるか分かりませんから、もしも今、成績で伸び悩んでいたとしても決して諦めないでくださいね。30番台だった私だって大学院まで進めたんですから。
九州工業大学 人間知能システム工学専攻1期生として
―その後、宮崎大学を経て九工大大学院に進学されたんですね。
高専の卒業研究ではタミール文字の文字認識課題をテーマに、夜中どころか明け方まで研究をしていました。“もっと研究したい”という思いが強く、ただただ楽しかったですね(笑)。私が高専5年生の頃は、機械に文字を読ませるのは至難の業だったので、博士課程まで進んで研究を続けると決めました。
大学でも人工知能系の研究を行いましたが、4年生の夏休みにGoogleが日本でサービスを開始したんです。インターネットの普及と共に、人間が一生かかっても読めない量の文章が出回る事で、人工知能の発達に必然性を感じました。
それでも、コンピュータとはしゃべれないし、意思疎通もできない。「自然言語処理」をテーマに、言葉を扱う研究を更に行える進学先を探したんです。
自然言語処理では、奈良先端科学技術大学が有名だったんですが、九州工業大学 生命体工学研究科に、生き物の仕組みを理解してコンピュータで再現しよう!というコンセプトの大学院(脳情報専攻、現在の人間知能システム工学専攻の前身)が出来ると知り、他とは違うアプローチに惹かれて1期生として入学しました。
その後、紆余曲折を経て、九工大で教えるようになったのは、なにかご縁があったんでしょうね。現在の人間知能システム工学専攻には、情報処理やロボット・ラットの記憶・人間の脳波・数学など、様々な分野で活躍する先生がたくさんいらっしゃいます。各分野の当たり前を掛け合わせて、イノベーションを起こせる教育研究を行っているのが特徴で、高専出身者が2~3割を占めており、とても活躍してくれています。
ロボット世界大会で累計4回優勝
―先生は、ロボットコンテストにも出場されているそうですね。
「RoboCup」や「World Robot Summit」という世界大会で累計4回優勝し、2021年は準優勝でした。この大会はトヨタ自動車が提供するホームサービスロボットHSRを用いて、プログラムを組んで稼働させ、その正確性やスピードを競いあうんです。ルンバのような台車のうえにアームがついていて、内蔵カメラで物体を見分けながら、床に散らばっているモノを片付けていきます。
モノを的確に片付けるには、まず物体を正確に識別しなくてはいけません。人間が文字を見て「あ」や「い」と判別できるように、ロボットが「コップ」や「ボトル」と判断して適切な位置に持っていく必要がある。人間の脳の機能をいかにロボットで実装するかがポイントになっているんです。
―こういった活動を通して達成したい目標は何でしょうか。
私の研究室の目標は未来の脳型計算機をつくることです。今の時点ではスマートフォンとかノートPCがほとんどで、自分たちがアプリケーションをダウンロードして誰かがつくったプログラムを動かしていますよね。パソコン自体が自分で考えて何かアクションを起こしたり、仕事をすることはありません。
それを生き物のように、片付けなどのタスクを自発的に解消できるようにしたいんです。CPUには学習機能はないので、それができるハードウェア・ソフトウェアをつくりたいですね。同時に、脳の仕組みを調べて数式やアルゴリズムをつくって人工知能の研究を進めたいと思っています。
“21世紀最後のフロンティア”に挑む
―先生が研究やゼミの活動を通して、学生たちに教えたいことをお聞かせください。
私の研究室の理念は「半導体・ICT・ロボット産業を牽引する“脳型計算機”の開発を目指し、研究室教育を通し産業をリードする優秀人材を育成すること」です。
学生たちは卒業後にさまざまな進路に進みます。上司の言うことをこなせるだけの人材で良ければ単一の能力でも十分ですが、新しい商品や世の中にないものを開拓していく場合には複数の専門性を融合させなくてはいけません。
よく使われる言葉で言うならイノベーションですね。ある分野では当たり前で人工知能の分野でも当たり前。その当たり前と当たり前を掛け合わせるとまったく世の中にないものを生み出せます。イノベーションを起こすためにはそういった能力が求められます。
私が所属する九州工業大学の生命体工学研究科は、従来の工学部とは違い、生き物の仕組みを理解してコンピュータで再現するというコンセプトの大学院です。脳は今でも分かっていないことが多く、21世紀最後のフロンティアと言われています。宇宙や深海と同じくらい分かっていない領域なんです。その謎の多い領域を研究し、生き物の脳がどうなっているかを調べ、技術に転用することが大きなテーマに置かれています。
―今後の目標はなんですか?
短期的な目標はHSRの大会で勝ち続けることですが、長期的な目標は脳型計算機の実現です。すべての機械が知能を宿している。そんな世界になったらどんな社会が実現できるでしょう? 人間が労働から解放されるという予測もありますが、私はロボットが家族のようになっていくんじゃないかと思うんです。
たとえば今は、誰もがスマホを一人一台持っていますよね。スマホを壊したら残念には思うけどすぐに買い換えます。でも、かわいがっている猫がいたとして足をケガしたから買い換える、なんてことはないわけです。そこには何の違いがあるんでしょう? きっと、猫や犬など、動物が持っている脳型の知能が重要な価値を占めているはずです。
脳型計算機が実現すれば、近い将来一家に一台、ロボットが家族と同じように、世代を超えて思い出や文化を受け継いでいけるような世界がやってくるんじゃないか、と。そんな未来を想像するとワクワクしませんか? 私は高専に入ってから自分が興味があることややってみたいことを見つけました。進路に迷っている学生のみなさんにもこのワクワクをベースに進路を考えてもらえたらいいなと思います。
田向 権氏
Hakaru Tamukoh
- 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 人間知能システム工学 教授
1999年 佐世保工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
2001年 宮崎大学 工学部 情報工学科 卒業
2003年 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 脳情報専攻 博士前期課程 修了 修士(工学)
2006年 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 脳情報専攻 博士後期課程 修了 博士(工学)
2003年8月~2007年3月 株式会社ブラテック 取締役
2006年4月~2007年9月 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 脳情報専攻
21世紀COEプログラム “生物とロボットが織りなす脳情報工学の世界” 博士研究員
2007年10月~2013年1月 東京農工大学 工学府 電気電子工学科 助教
2013年2月~2014年3月 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 脳情報専攻 准教授
2014年4月~2021年3月 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 人間知能システム工学専攻(改組による名称変更) 准教授
2021年4月~現在 九州工業大学大学院 生命体工学研究科 人間知能システム工学専攻 教授
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