高専教員教員

まわりを見渡して決心した「教員」への道。4年生の担任として「少しずつ、想像をめぐらせてみて」

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佐世保高専の機械工学科出身で、現在は母校で講師として勤めていらっしゃる西山健太朗先生。高専への進学から先生になるまでの進路の選び方や考え方、専門とする「ソフト溶液プロセス」の研究について、お話を伺いました。

勉強、部活、寮生活と充実した高専生活

—どのような子ども時代を過ごされたのでしょうか?

長崎県の北西部にある平戸(ひらど)という街の出身です。海に囲まれた場所ですが、近くには山もあり、小さい頃は自然の中で悠々と遊んで過ごしました。実家が農家だったこともあり、自然はすごく身近に感じていましたね。

小・中学校では、理科が特に好きだったと意識していたわけではありません。進学先として高専を選んだのは、今考えれば本当につたない理由なのですが……「とにかく朝はゆっくり寝たい」というのが始まりでした(笑)

高専教員になられたころの西山先生
▲高専教員になられたころの西山先生

というのも、高校受験の選択肢としては公立の進学校が第1候補だったのですが、自宅からバスに乗って1時間くらいかかるんです。そこに通っていた兄と姉は、朝補習を受けるために毎朝6時半のバスに乗って出かけていく——「それは耐えられない!」と思っていました。

そうしたなか、中学校に佐世保高専から先生がいらっしゃって、進路説明会が開催されたのですが、「寮から歩いて5分」「朝補習もない!」と聞いて「ここだ!」と思いました(笑) また、専門的な内容が学べて、就職率が高いことは知っていましたし、学生のレベルが高いと聞いていたのも佐世保高専を選んだ理由です。

—高専での生活はいかがでしたか?

低学年のうちは覚えるべきことが多く、高学年になるとその内容を応用して問題を解くような感じだったと思います。ですので、数学、化学、物理の基礎ができていないと、後で大変なことになるんです。今でもそう思うので、学生たちにもしっかりと伝えています。

部活動は、中学から野球を続けていたので、高専でも入部しました。今とはちがって毎日練習があり、土日もほとんどの時間を野球に費やしていましたね。けっこう真面目に練習するチームで、まずまずの戦績を残せていたので、かなり濃密な時間だったと言えます。

高専教員になられたころの西山先生。【第17回 塑性加工国際会議Metal Forming 2018】にて
▲高専教員になられたころの西山先生。【第17回 塑性加工国際会議Metal Forming 2018】にて

まわりの友人は落ち着いたタイプが多かったので、みんなで仲良く過ごせましたし、良い仲間に恵まれました。成績も価値観も似たような友だちが集まるので、うまくやっていけたのだと思います。ちなみに、コロナ禍で頻度は減りましたが、親しい同級生たちとは今でも年に1度は集まって食事をする仲です。

「どんな仕事に就きたいか?」から考えよう

—高専卒業後の進路は、どのようにして決めたのでしょうか?

自分の中に進学するという選択肢はなく、4年生の冬の時点までは就職しようと思っていました。気になる分野があったり、勉強がすごく好きだったりしたわけでもなかったので、試験を受ける会社まで自分で決めていたほどです。

そんなとき、報告がてら父に連絡をしたら「進学してもいいぞ」と言われまして(笑) まさかそんな道が提示されるとは思っていなかったので私も驚きましたが、その言葉を受けて進学について真剣に考えてみることにしました。

進学するとしても、その数年後にはいずれにしろ就職が待っています。「この先自分はどんな仕事をしたらいいんだろう?」と考えたときに、まずは自分に近い存在である家族がどんな人で、どんな生き方をしているのかを見つめてみました。すると、実家のほか、周囲も農家や自営業が多く、「自分も将来は一般的な会社員ではなさそうだな」と思いましたね。

一方、「ある程度の自由度が担保され、モノを相手にするより人を相手にする仕事のほうが飽きなくていい」とも考えていました。その結果、たどり着いたのが「教員」という道だったんです。友人との会話は好きでしたし、学生は毎年必然的に入れ替わるので、年を重ねていっても楽しく仕事ができそうだと感じました。

体育祭にて、担任クラスの学生と記念撮影
▲体育祭にて、担任クラスの学生と記念撮影

ただ、この時点で高専4年生だったので、一般的な教職課程に進むとなると、大学に編入してさらにもう2年過ごす必要があります。それだと高専での経験が何だかもったいない気がしたので、せっかくならドクターまで進学してから高専の先生になろうと考えました。

—そこで豊橋技科大を選んだ理由は何だったのでしょうか?

豊橋技科大は大学院まで進学することを前提にしたカリキュラムなので、ドクターまでの道筋が見えやすかったのが1番の理由です。高専からの推薦であれば、当時の試験は書類選考だけで、面接はなし。入学料の免除も受けられたので、経済的な面でも助かりました。

豊橋技科大は、一言で表現すれば、全国の高専生の“濃い部分”を集めたような場所です。地域の偏りなく、全国の高専からさまざまな人が集まっているので、県外出身の友人がたくさんできるのも魅力だと思います。

安全で低コスト。「ソフト溶液プロセス」の研究

—佐世保高専の教員になられるまでの経緯を教えてください。

高専4年生の頃には「高専の先生になる!」と心に決めていたので、当時の先生方をぐるりと見まわして、自分がドクターを卒業できる頃に定年を迎えられる先生がいらっしゃらないか、実はこっそりと目星を付けていました。先生に直接聞いたわけではなく、まったくの個人的見解だったのですが(笑)

結果、運よくポストに空きが出て、母校に戻って来ることになりました。佐世保にこだわっていたわけではなく、就職できるなら全国どこの高専でも良いと思っていましたが、母校に先生として戻るとなると、最初はそわそわした変な感覚でしたね。当時教わった先生方もまだ大半は残っておられるので、学生時代の自分を思い出すこともよくあります。

—研究内容について教えてください。

大学から「ソフト溶液プロセス」について研究を始めました。野球部の先輩から評判を聞いて、扉をたたいたのがきっかけです。「ソフト溶液プロセス」とは、環境に配慮した方法によって酸化物半導体などを作製可能な手法です。化学反応や電気化学反応を使い、液体の中でモノの表面に固体物質を付ける際に用いられます。「酸化物半導体」と表現すると難しく聞こえますが、スマホの画面などにも使われている、生活に身近な素材でもあります。

ソフト溶液プロセスを行っている実験室
▲ソフト溶液プロセスを行っている実験室

また、装飾品などに使用される金属光沢のあるプラスチックやイヤホンジャックの端子、LED電球内部の反射板などを作製する、いわゆる「めっき」も研究対象の1つです。

実はこういった研究で使うのは主に水でして、危険な薬品や高温になる機械などはほとんど使用しません。安全で開発コストが低く、水を分解して水素を発生させる酸化物半導体も作製できるため、将来性があることもこの研究テーマの魅力でした。

ソフト溶液プロセスの実験セルの拡大写真
▲ソフト溶液プロセスの実験セルの拡大写真

教員になってからは「めっき」をメインの研究対象としていましたが、去年から佐世保高専が半導体に関する教育を打ち出しはじめていることもあり、今後は半導体に関する研究に一層注力していく予定です。安全でコストをかけず、社会に対しても低コストで提供できる技術を開発したいと考えています。

—最後に、現役高専生やこれから高専を目指す中学生へメッセージをお願いします。

高専は、昔と変わらず個性的な学生が多い印象です。在学生に対しては、個性を生かして尖ったエンジニアになってほしいと思っています。また、中学生に対しては、将来についてしっかりとした指針を持った方が、毎日楽しい高専生活を送れると思うので、工学に興味があるなら、ぜひ高専を選択肢に入れてほしいですね。

今は4年生の担任を受け持っているので、就職や進学に向けて大事な時期です。学生が気を抜かないように、日々声を掛けながら気を配っています。いずれは就職する道が待っているので、進学する学生でも早い時期から自分が就きたい仕事について考えてみることが大事です。少しずつ、想像をめぐらせてみてください。

西山 健太朗
Kentaro Nishiyama

  • 佐世保工業高等専門学校 機械工学科 講師

西山 健太朗氏の写真

2010年 佐世保工業高等専門学校 機械工学科 卒業
2012年 豊橋技術科学大学 工学部 卒業
2014年 豊橋技術科学大学大学院 工学研究科 機械工学専攻 修士課程 修了
2017年 豊橋技術科学大学大学院 工学研究科 機械工学専攻 博士課程 修了
2018年より現職

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