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海外留学で高まった教育への熱。高専生なら世界を舞台に挑戦し、「1+1=100」にできる!

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福井工業高等専門学校を卒業後、大学・大学院進学を経て、現在は母校の教壇に立つ山本幸男先生。在外研究員としてドイツを訪れた時に気づいた世界や、学生に伝えたい思いを伺いました。

ものづくりの街、鯖江市に生まれて

―高専に進学したきっかけを教えてください。

地元である福井県鯖江市は眼鏡の世界的産地として有名で、街全体がものづくりにあふれています。父も地元の木製漆器の塗装職人だったので、生まれ育った環境からものづくりとは何かの縁で結ばれていたのかもしれません。

モノクロ写真。カブのようなバイクのハンドルを握り、カメラに目線を送る。幼少期の山本先生
▲叔父のバイクでドヤ顔をする、幼少期の山本先生

高専を知ったのは中学校3年生のときです。遊びに行った福井高専の学園祭で、アマチュア無線の公開実験を目にしました。国際電話やインターネットが主流でなかった時代、海外と音声通信をしている姿がとてもかっこよくて感動したのを覚えています。完全にカタチから入りました(笑)

―高専での学生生活についてお聞かせください。

高専では、アマチュア無線が学べる電気工学科(現・電気電子工学科)に進みました。しかしながら、自分が興味のあるテーマとそれを学ぶ環境にギャップを感じて、結果的に消去法のようなかたちで半導体に関する材料系の研究テーマを選んだんです。この時には、まさか数十年先も材料系の研究を続けているなんて思ってもみませんでしたね。

卒業間際でようやく方向性が固まったので、このまま社会に出ることには不安を感じて、進学することにしました。候補に上がったのは、新潟県の長岡技術科学大学と愛知県の豊橋技術科学大学。地元に降り積もる豪雪に毎年うんざりしていた私は、雪が少なそうな豊橋を選びました。

―大学では材料系の研究を継続されたのでしょうか。

はい。同じ材料系の研究のなかでも、合金の超伝導に関する研究室に所属していました。きっかけは、当時、物理を教えてくれていた一人の先生です。ある時、テストの採点結果に不満があり研究室へ直談判に行ったことがありました。喧嘩腰でクレームをつけた私に、先生はニコニコしながら自身の研究テーマの話を始めたんです。

そこで、超伝導ってなんだかおもしろそうだということを知りました。ちょうど80年代の始め、セラミックで超伝導が発見されていた時期です。卒業まで興味あるテーマで研究を続け、恩師との素晴らしい出会いにも恵まれました。

高専にいたからこそ、経験できたこと

―マスター修了後に高専教員へ。どのような経緯があったのでしょう。

大学院での卒業を控えていた学生最後の夏休み、久しぶりに福井高専を訪れました。高専時代の恩師と卒業後の進路を話すなかで、教員にならないかと誘いを受けたんです。既にメーカーへ就職しようと思っていましたが、地元に帰ってきてほしいという家族からの要望もあり、母校の教壇に立つことになりました。

体育館にて、賞状を手にした学生や、首からメダルを掛けた学生らと集合写真
▲卓球部の顧問を30年間務められている山本先生

―教員生活はどのような日々でしたか。

最初は、予想以上に大変でした。今のように先輩教員の授業を見学して学ぶような機会も与えられない時代で、いきなり教壇に立ち、右も左もわからないままの教員生活がスタートしました。

ただ、学生との距離が縮まるのは早かったですね。オートバイが好きで、毎日愛車で通勤していたのですが、学生にもバイク好きが多くて。気付いたら、授業以上に共通の話題になっていました。あれから教員を続けて今年で38年。高専にいたからこそ、経験できたことがたくさんあったなと思います。

黒に黄色のアクセントが印象的なバイクとともに。
▲バイクで通勤していた山本先生とR100GS

―具体的にはどのようなことでしょう。

40歳の時に、在外研究員として約1年間、ドイツに行った経験は特に印象的に覚えています。材料系の研究で世界的に有名な研究室に行けることが決まって、すぐに書店でドイツ語のCD付きの本を2冊買いました。パラパラと目を通して、あとは出たとこ勝負。日中、研究室で使う言語は基本的に英語だったので、結果的にドイツ語を使ったのは「ビールをちょうだい」とか「会計をよろしく」といった日常会話程度でしたね(笑)

同時期に博士論文を書いていたので大変な1年ではあったのですが、休日はヨーロッパを横断して、友人からは「この1年で10年分の海外旅行をしたな」と、からかわれるくらい楽しみました。帰国後、こんなにエキサイティングな経験を後輩たちにも味わってほしいと思い始めてからは、教育への熱がさらに高まったように思います。

2012年には国際交流の担当になり、タイの国立大学「プリンス・オブ・ソンクラ大学」の工学部と福井高専初の提携を結びました。学生にはチャンスがあればぜひ海外に行ってほしいですね。相手のことがわかる人は、自分のこともよくわかっています。これは、狭い世界にいるだけでは学べません。ぜひ広い世界へ飛び出してほしいと思います。

タイの学校の大きな館銘板とともに。
▲プリンス・オブ・ソンクラ大学に訪問した山本先生

1+1が100になる

―現在の研究内容や、力を入れている活動についてお聞かせください。

現在は、薄膜太陽電池の材料開発に関する研究をしています。簡単に言うと、電池の材料のレシピをつくるようなもので、複数の元素を組み合わせた半導体の作製および評価を進めているところです。

また、学生と一緒に生産現場や研究現場のDX化として、生産効率の向上を目指したデジタル改革を進めています。ものづくりの街・鯖江市に少しでも貢献できるよう今後も活動を加速させていきます。

学会の会場にて、指導学生とともに。
▲応用物理学会にて、学生とともに(2017年)

―最後に学生へのメッセージをお願いします。

高専生には、ぜひ在学中に海外留学を経験してほしいです。語学を身に付けるだけであれば国内でも十分な環境が整っていますが、そこに本当に勉強したいテーマが加わると、1+1が100になって、留学の意義がうんと大きくなります。

ラオスや台湾の学校の館銘板とともに。
▲ラオス国立大学(左)や台北科学技術大学にも訪問

確かに、海外に行って100%いいことばかりかと言われれば、そうではありません。しかし、いいことも悪いことも含めて必ず刺激的な体験ができます。ぜひ勇気を持ってチャレンジしてください!

山本 幸男
Yukio Yamamoto

  • 福井工業高等専門学校 電気電子工学科 教授

山本 幸男氏の写真

1981年3月 福井工業高等専門学校 電気工学科 卒業
1983年3月 豊橋技術科学大学 卒業
1985年3月 豊橋技術科学大学 大学院 修士 卒業
1985年4月 福井工業高等専門学校 電気工学科 助手
1991年4月 福井工業高等専門学校 電気工学科 講師
2001年4月 福井工業高等専門学校 電気工学科 助教授
2005年4月 福井工業高等専門学校 電気電子工学科 助教授
2007年4月 福井工業高等専門学校 電気電子工学科 准教授
2009年   豊橋技術科学大学 論文博士取得
2012年4月より現職

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