徳山高専 土木建築工学科の温品達也先生は、月面開発における国内有数の研究者です。建設分野の知見を生かした柔軟な発想でブレイクスルーを起こし、その研究は今や世界的に注目されています。幼いころからの夢だったという宇宙開発研究に携わるまでの激動の人生に迫ります。
宇宙が心の支えとなった幼少時代
—宇宙に興味を持ったきっかけを教えてください。
私は今でこそ周りから「コミュ力の化け物」と言われることもあるタイプですが、もともとは普通の人間で、決して目立つタイプではありませんでした。小学校低学年で食中毒を起こし、発見が遅れたため身体が衰弱して車いす生活をしていたこともあります。周囲に馴染めず保健室登校も経験した幼少期でしたが、この時の私を支えてくれたのが宇宙に関する一冊の図鑑でした。
当時、裕福ではなかったはずの家になぜか分厚い図鑑があったんです。最初は宇宙の成り立ちもわからずただ眺めるだけでしたが、次第にその壮大な未知の世界に惹かれていき、ちっぽけな自分の存在を認識するとともに、悩みも吹き飛んだのを覚えています。

—その後、どのような道に進まれたのでしょうか。
中学から高校にかけては、世間的にも宇宙開発が話題になった時期でした。「いつか自分も」と未知の領域へのチャレンジに憧れて、「大学は航空宇宙工学科に行くしかない」と九州大学を目指して必死に勉強をしましたが、ハードルはなかなか高く、当時の自分の力では及びませんでした。
しかし、家庭の経済状況を考えると浪人をする選択肢はなかったので、「宇宙開発が無理なら、宇宙のようなスケールの大きなものづくりに携わる仕事を目指そう」と進路希望を変更して、広島大学の第4類(建築・環境系)に進学しました。一方で、進学はできたものの「自分は宇宙開発を目指す資格も能力もない人間だ」と、心の奥で深く諦めてしまいました。
大学進学後は、勉強に加えて2つのサークル活動、学費を自分で賄う必要があり,ハードで高時給なアルバイトと大学生らしい日々を謳歌していました。ところが、あまりにも多忙でハードな生活が続いていたので、サークル活動は2年次でやめて、学業の時間も確保できるように切り替えたのでした。
3年次にはインターンシップを経験しました。奨学金といった負債を抱えていたため、狙いはやはり大手建設会社でしたが、競争率が高く、まずは広島の埋め立て現場のインターンシップに参加することになりました。そこで現場の厳しさや業界の仕組みを知り、改めて「行くなら大手しかない」と決意します。大手への推薦は院卒が条件だと知り、学費の心配もありましたが、先行投資だと考えて大学院への進学を決意しました。
修士課程ではコンクリートの研究を進め、その後、切望していた大手建設会社に採用が決まり、建設業界での道を歩み始めました。

大手建築会社から高専の教員へ
―建設業界でのお仕事はいかがでしたか。
入社後は、特に同期に恵まれました。リーダーシップを取れるタイプの人間が多く、常に活気があり、刺激的な環境でした。この時は宇宙開発の道は諦めていたので、定年退職まで仲間たちとこの会社で勤めあげるのだと思っていました。
また、配属先は技術研究所の土木材料グループでした。一線級の技術者が集まる業界でも名高い集団で、「すごいところに来たな」というのが率直な感想でした。入社すぐから業務は忙しく、資格試験の勉強も並行していたので、睡眠時間を削って勉強する日々が続いていました。
建設会社での研究の醍醐味は、自分が開発に携わった技術を現場実装まで見届けるチャンスに恵まれている点です。しかしこれは、現場から見れば「実績のない技術を初めて現場で使う」ということ。ですから、現場はたまったものではありません。時には職長さんに嫌味を言われたり、頭を下げたりすることもありました。
もう一点、自分にとって良い経験となったのは、現場の施工管理業務を手伝う機会を得られたことです。開発と施工管理の両方を経験できることは業界においても貴重であり、今の私の突破力や実装力の根幹となっています。

—そこから、高専教員になられたきっかけを教えてください。
社会人3年目のある日、「身近な親族が亡くなった」と急に連絡を受けました。「家族が大変な時期に、このまま実家を離れて暮らしていていいのか」と自問自答するようになった私は、会社への影響(迷惑)が小さいうちに転職すべきだと考え、近い将来地元に戻ることを考えはじめます。とはいえ、ここまで積み上げてきた技術者としてのキャリアを断念することに大きな迷いもありました。
実家に近い徳山高専のコンクリート系教員の募集があったのはそんな時期、2016年の夏でした。これまでのキャリアを生かす道がまだある——まさに天命だと思ったことを覚えています。

—高専での仕事はいかがでしたか。
着任早々、コンクリート構造やプレストレストコンクリート、先端材料、測量実習など多数の担当科目があり、並行して学位研究も進めていたので、授業の準備や研究で忙しい日々を過ごすのが数年間続きました。
業務が軌道に乗ってきた頃、アクティブラーニングの要素を授業に転換しはじめました。積極的に推進されていたのですが、当時はまだ珍しかったと思います。一方通行の講義スタイルから離れ、グループ学習などで自ら考えながら学ぶ機会を増やしたことで、学生たちの理解力も上がっていきました。
また、授業の合間、学生の集中力が切れそうな頃を見計らって5分ほど話していた“小噺”が大変好評でした。自身の年収の変遷をグラフで表したり、家の買い方を話してみたり。社会に出て役立つことを、実体験を交えて具体的に共有していったのです。それが学生にとっては新鮮だったようで、最後まで誰も寝ない授業を続けることができました。
授業以外では、ソフトテニス部の顧問を務めています。実は小学4年生からテニスをしていて、高校ではインターハイを目指すほど熱中していた競技でした。高校最後の試合で惜敗したことで、自分の中ではネガティブな感情が残っていたのですが、「学生を応援する立場なら」と再び足を踏み入れることができました。
しかも、着任した年にインターハイ出場という好成績を残すことができました。私自身では実現できなかった夢を学生たちに叶えてもらったのだと、胸が熱くなりました。
日進月歩! 月面開発の最前線を担う研究の魅力
—幼い頃からの夢だった宇宙開発の研究。徳山高専に着任後、月面基地開発に関する研究をはじめられた経緯を教えてください。
高専着任1年目の2017年。着任後すぐに、ライフワークとして研究したいテーマを考えたところ、最初に思い浮かんだのはやはり「宇宙開発」でした。会社員時代は会社のための研究しかできませんでしたが、高専では自分が興味のある研究を突き詰めることができます。
その頃、国際宇宙ステーションの引退が発表され、月への注目度が高まり始めていました。月には地面があり、人の滞在を含めると、建築の技術の必要性は高まると予測できます。私の専門は「コンクリート」という建築分野ではあるものの、月面開発という大きな潮流に必ず合流できると予感していました。
着任1年目の秋、研究室配属を控えた高専4年生に対して研究紹介を行う機会があり、宇宙開発の研究のスタートを、情熱と共に宣言しました。すると、興味を持つ学生たちが手を挙げてくれて、研究の第一歩を踏み出すことができました。
その後、2019年にNASAを主導としたアルテミス計画が発表されました。月面への有人着陸や長期滞在をともなう持続的な月探査を目的としたもので、建築分野が月面開発に携わるという予感は、確信へと変わりました。

―これまでの研究内容について詳しく教えてください。
人間が長期的に滞在して月探査を行うには、探査や研究の拠点となる建物が必要です。しかし、その物資を地球から月面へ送るとなると費用は2億円/kgと想定されており、まったく現実的ではないとされています。そのため、月面に多量に存在する月面の砂(レゴリス)を建材原料として使用することが有望視されているのです。
その建材を開発するということは、多量の建築資材を開発検討中に扱えることが条件となりますが、日本の月砂模擬材(レゴリスシミュラント)を購入するには、10kgあたり10万円程度の費用がかかります。そうなると、私たち研究室にとっては高額なため、レゴリスシミュラントを自作することを、一人の学生の卒業研究に設定しました。
調査を重ねて2種類の富士砂を入手。化学組成を蛍光X線分析法(XRF)により選定したところ、アポロ計画で確認された月レゴリスの化学組成とほぼ合致し、JAXAで主に使用されるレゴリスシミュラントとも相違ない結果となりました。
—その後、どんな研究に取り組んでいるのでしょうか。
次の段階として、月面建材開発においては、月砂を何らかの方法で固化することが必要となります。試行錯誤した結果、私たちは水を使用せずレゴリスを固化する道を選び、これを開発コンセプトに掲げています。
多くの人は幼いころに泥だんごをつくったことがありますよね。水を使って砂を固めるのが常識とされているので、「水を使わないなんて不可能だ」という専門家の意見もたくさんありました。しかし、不可能の中にこそ可能性があると感じ、研究を進めるに至りました。
「土木建築工学科」という環境の強みを生かして、月面建材の必要強度について研究をスタートしました。2年かけて計算を終えた結果、必要強度は想定より低いものであることがわかったのです。「必要強度が小さくてもいい」ということは月面開発にとって大きな発見となりました。
そして、「いかにして月砂を固めるか」という問いについては、薬剤タブレットの製造技術を応用し、加圧により固化させる技術を試行しました。これにコンクリート型枠振動機を持ち出し、型枠に詰めたレゴリスを振動・加圧したところ、当時世界最大サイズのレゴリスブロックをつくることに成功しました。これにより研究は大きく飛躍し、「宇科連(宇宙科学技術連合講演会)」と呼ばれるメジャーな舞台で発表する機会も得ることができました。
2024年には初めて国際宇宙会議(IAC)という、宇宙開発で最も規模が大きな学会に参加しました。その後、三菱重工やJAXAとの共同開発が実現。この年、少なくとも国内では初めて、レゴリスブロックの量産と月面インフラ(着陸パッド)の試験施工を成し遂げることができました。

―成功の秘訣は何だったのでしょうか。
月面開発においては、建築分野の技術者が少ないとされています。そのため、「土」に関しては素人ですが、柔軟な発想ができる点が強みになったのだと思います。また、徳山高専は異なる分野の先生方との距離が近く、気軽に交流することができます。情熱をもって共に研究してくれる学生たちの存在も、私にとってはなくてはならない存在です。
前例がないケースばかりなので大変さもありますが、言い換えれば、すべてが「初」になるということ。これほどワクワクできることはありません。仲間やライバルがこれからどんどん増えて、月面開発の業界が盛り上がってほしいと願っています。
ちなみに、私の将来の夢はもちろん月出張です。その体力づくりのために、トライアスロンで身体を鍛えています。プライベートでも月面地図を手元に月を望遠鏡で見ながら、基地をつくる場所を考えるほど月に夢中な毎日です。好きなことを仕事にできるなんて、こんな贅沢なことはありません。

―高専生やこれから受験する中学生にメッセージをお願いします。
高専では、学生と教員の距離が近く、5年間を共にする仲間もできます。他学科との連携も取りやすいため、特徴的な研究をしやすい環境だと感じています。少子化でしたいことを選べる現代でもあり、高専に進学すれば、将来の選択肢はたくさん開けると思います。興味のある分野をとことん突き詰められる環境も魅力です。
私のように、一度は諦めた道が仕事になる可能性だってあるほどです。夢に到達する道は決して一本ではないことも忘れないでほしいと思います。また、ルールやレギュレーションそのものよりも、本質を見て考え抜く力がこれからの将来きっと重要になるでしょう。そうした先にこそ柔軟な発想や発見があり、世界でのブレイクスルーが生まれるはずです。一歩踏み出す勇気を持って挑戦する、そんな学生たちを心から応援しています。
温品 達也氏
Tatsuya Nukushina
- 徳山工業高等専門学校 土木建築工学科 准教授

2004年3月 山口県立徳山高等学校 卒業
2008年3月 広島大学 工学部 第四類 社会基盤工学課程 卒業
2010年3月 広島大学大学院 工学研究科 博士課程前期 社会環境システム専攻修了 修士(工学)
2010年4月 鹿島建設株式会社 入社、技術研究所 土木材料グループ 研究員
2017年4月 徳山工業高等専門学校 土木建築工学科 助教
2021年 博士(工学):東京大学大学院 工学研究科 社会基盤学
2021年4月より現職
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