熊本電波高専(現:熊本高専 熊本キャンパス)の電子制御工学科を卒業した三島亮さんは現在、熊本にある美容室のオーナーです。社会人経験を経て美容の世界へ飛び込んだ異色の経歴を持つ三島さんに、高専での学びやその後の人生についてお話を伺いました。
友人の髪をセットするのが好きだった
—美容に興味を持ったのはいつ頃ですか。
中学生の頃は坊主頭が当たり前の時代で、そんななか、ヘアスタイルに興味を持ちました。幸い、私の通っていた中学校は髪型が自由で、友人たちのヘアセットをするのがすごく好きだったんです。
思えば小学生の頃、母がおしゃれを楽しむ様子を見て興味を持ったのが最初だったかもしれません。友人たちと話しながら髪をセットすると、その前後の変化もおもしろかったし、友人たちが喜んでくれるのもうれしかったですね。
勉強も結構していて、特に数学が好きでした。機械系が特別好きだったわけではありませんが、今の仕事で言えば、ヘアカラーは化学、経営には数学の素養が必要です。数学が好きだったことが、今の自分につながっているとも言えます。
—熊本高専に進学された理由を教えてください。
まずは数学が好きだったこと。それから、国立の学校で学費が比較的安かったことも理由のひとつでした。また、自転車で通学できるほど実家から近かったので、通学費がかからないことが大きかったですね。それを理由にお小遣いの金額を上げてもらう交渉が成立し、意気揚々と高専に進学しました。
授業の難易度はそれまでよりぐんと上がり、より専門的な内容を学ぶようになりました。自由な校風で、クラスにもいろんな学生がいましたが、みんな仲良しでした。友人たちから学ぶこともたくさんありましたね。
私はどちらかと言うと、公式をたくさん覚えて試験に挑むタイプ。でも、友人のなかには一つの公式を応用して点数を取っていくタイプもいました。その姿を見て、「解き方はいろいろでも、答えは同じなんだ」と学ぶことができました。また同時に、自分にない発想力に憧れる気持ちも抱いていたのを覚えています。

―美容師になりたいと本格的に考えるようになったのはいつ頃でしたか。
本当は3年生で高専を辞めて美容室に就職したかったのですが、両親からの勧めもあり、ひとまずは5年間学んで卒業することに。卒業後は、まずは社会に出る道を選びました。当時は「休みの多さ」や「初任給の高さ」で職種を選ぶのが一般的で、例にもれず私も大手企業へ就職しました。
当時勤めていたのは大手メーカーのサービス部門。ラジカセやウォークマンなどの修理をしていました。その後、熊本に戻って、企業で半導体検査装置の製造に3年間従事。安定した面白い仕事ではありましたが、この頃から少しずつ価値観が変わりはじめました。
転機になったのは、20歳から始めたサーフィンでの出会いと経験でした。自然の中で、年齢や職業の違う仲間たちと話すなかで、「週に1回好きなことをするより、毎日好きなことをしたい」と思うようになったのです。大工や美容師など「職人」として働く人の話を聞くうちにものづくりに憧れるようになり、学生の頃に抱いていた「美容師になりたい」という気持ちが再燃しました。
人生について考えてみると、1日のほとんどが仕事をしている時間です。だったら自分の好きなことを仕事にしたい。そんな思いで美容の世界へ飛び込みました。24歳の時でした。
24歳で美容師に。30歳で独立
―開業までの道のりを教えてください。
通常、美容師の道に入るなら18歳だと思いますが、私は社会人を経ていたので周囲より遅れてのスタートでした。就職先を探すために片っ端から美容室に電話をしても、年齢を聞くと断られる。そうしてご縁があって受け入れてもらえた1軒が、最初の修行先になりました。
美容室は、全部で3店舗経験しました。最初の店舗で基本的な技術を学び、次に働いたリーズナブルな店舗では、技術をより深めようと「1,000人切り」を目標に掲げて、ひたすら練習していました。その目標は半年で達成したのですが、その後も勤め続けました。
当時の競争相手は、店舗の向かいにあったデザイナーズサロンです。「あの店を追い越してやる!」と、そのサロンの電気が消えるまで負けじと居残り練習していたのが懐かしいですね。毎日反復練習を重ね、高専時代の尊敬する友人が口にしていた「継続は力なり」という言葉を胸に、数年間ひたすら努力を続けました。
また、通信教育で美容の勉強もはじめました。半年に1回ある1週間のスクーリング以外は自宅で自習。高専時代に身に付けていた勉強の習慣が、ここで大きく役立ちました。
最後の店舗では顧客づくりを学び、2年間勤めた後に独立。「独立開業したい」と強く思っていたわけではないのですが、最初に勤めた店舗が移転されて、「テナント募集中」の紙が貼られているのを見つけたんです。備品も残ったままでした。
すると、偶然大家さんと顔を合わせたんです。大家さんは、私がお店で夜遅くまで練習している姿をよく見ていたようで、「あなたみたいな人にこの場所を借りてほしい」と言ってくださいました。
私自身、このタイミングで独立するとは思っていなかったのですが、大家さんのひと言に背中を押された気がしまして。この時、私は30歳。思い切って独立開業を決めたのです。

地震とコロナで変わった美容の価値
―独立後は順調でしたか。
おかげさまで順調に成長を続け、今は5人ほどのチームでお店を運営しています。大きな転機となったのは、2016年の熊本地震でした。熊本市内にあった店舗は営業できる状況ではありませんでしたが、幸いお湯が出たので、ボランティアで避難所の方々のシャンプーをさせていただきました。自分が動くことで、誰かが少しでも前向きになれるなら、それが自分の救いにもなると思っていたからです。
被災時であっても、仕事だけを見ると、私はいつも通り洗髪をしているだけ。それでも、来てくださった方々が口々に「ありがとう」と感謝してくださり、笑顔になって帰っていく。その時、「美容」に人を元気づける力があることを心から実感しました。それまで私は、美容師という仕事は贅沢な仕事だと思っていましたが、地震を経験して考えがまったく変わったのです。

その後、コロナ禍でも同様の経験をしました。外出制限があるなかでも、白髪染めなど必要なメニューを求めて来店されるお客さまがいらっしゃる。「きれいでいること」は「食べること」と同じくらい、人が生きていくうえで大切なんだと考えるようになりました。
―現在の業務について教えてください。
スタイリストとして毎日お客さまの笑顔と幸せを目指して、きれいのお手伝いをしています。その傍ら、経理や財務、集客、教育、評価、計画など経営の仕事にも多くの時間を使っています。
経営についてきちんと学んだのは、ごく最近のことです。以前は自分が現場に立って数字を上げることばかり考えていましたが、それではお店が成長しません。スタッフを育て、経営のために時間を使うよう意識を変えました。従業員を増やすことが社会貢献につながる。そう考えるようになったのは、3年ほど前からです。
現在は企業理念を掲げ、その理念に共感してくれる人を採用しています。理念は「美容を通してお客さまの笑顔と幸せをつくる」。その実現のための7つの行動指針も掲げています。判断に迷ったときは「それは笑顔と幸せにつながるか?」を基準に考えて判断します。

今後は5カ年3店舗計画を掲げており、2027年には2店舗目を出店予定。2026年には、別事業としてアイラッシュの店舗も出店する計画です。美容のトレンドでありニーズが高いこともありますし、今はお客さまの目元、つまり「まゆ毛」や「まつ毛」を美しくするアイリストを目指す若い方が、美容師志望の方より多いんですよ。
―最後に、現役高専生へのメッセージをお願いします。
失敗を恐れずにチャレンジしてほしいと思います。うまくいくことも大事ですが、失敗からしか学べないことがあります。年齢を重ねることで、その失敗に価値が出てくることもあります。
そして、人との出会いを大切にしてほしい。高専時代も社会人になってからも、私は人とのつながりに何度も救われてきました。AIが発達して人と関わる機会が減っている今こそ、リアルな関係の中で見えてくるものがあります。どんな出会いも自分次第で学びに変えられる——そう信じています。
高専を卒業して半導体関係の仕事を経験し、全く違う美容の世界に進みましたが、これまで無駄になることは何一つなかったと思います。決して真面目な学生とは言えませんが、数学などの理系科目を高専で鍛えてもらったおかげで、論理的な思考も身に付きました。
仕事の本質は「人に喜んでもらうこと」。どの仕事もそれは変わりません。高専卒だとBtoBの仕事が多く、エンドユーザーの笑顔が見える仕事は少ないかもしれませんが、私よりも遥かに多くの人を喜ばせることができる仕事にみなさんなら就くことができるでしょう。自分を信じて、利他の心で頑張ってください。
三島 亮氏
Akira Mishima
- 株式会社BTC styles「BEHIND THE CURTAIN」代表

1995年 熊本電波工業高等専門学校 電子制御工学科 卒業
1995年 ソニーサービス株式会社(現:ソニーカスタマーサービス株式会社)、日本電子材料株式会社
1998年 美容室勤務、九州美容専門学校 通信科 入学
2004年 Earth peace-hair 開業
2014年 屋号をBEHIND THE CURTAIN に変え拡張移転
2021年 株式会社BTC styles 法人化、屋号同上
熊本高等専門学校の記事
アクセス数ランキング

- 電子制御工学科から美容師に。高専での学びや社会人経験が、現在の仕事につながっている
- 株式会社BTC styles「BEHIND THE CURTAIN」代表
三島 亮 氏

- 「行動力」は高専で育まれた── “自分ごと”としてまちに向き合う磐田市長の姿勢
- 静岡県 磐田市長
草地 博昭 氏


- 陸上部での憧れが前へ進む力になった。高専7年間で磨いた自走力が、ひとつの受賞に結実するまで
- ソフトバンク株式会社 エンジニア
矢田 ほのか 氏
-300x300.jpg)
- 高専OG初の校長! 15年掛かって戻ることができた、第一線の道でやり遂げたいこと
- 鹿児島工業高等専門学校 校長
上田 悦子 氏


- クライアントに「青春」を! 鉄道で日本と世界をつなぐ起業家・TOBIさんの熱き人生
- 株式会社飛永技術士事務所 代表取締役社長兼CEO
飛永 和真 氏



-300x300.png)






