
高専時代は電気工学を専攻し、民間企業での勤務を経て、現在は釧路高専で情報インフラやネットワーク管理などを担う小清水誠先生。高専での専門とは全く異なる情報通信分野へ飛び込んだ経緯や、高専機構CSIRTでの活動など、さまざまなお話を伺いました。
高専で芽生えた、自ら学ぶ技術者の姿勢
―高専へ進学したきっかけを教えてください。
出身は北海道の砂川市で、当時は校区外の旭川高専のことをあまり知りませんでした。そんなとき、中学校の担任の先生に「高専という学校がある」と勧められ、そんなものがあるのか、と興味を持ちました。旭川高専は地元の高校と併願できたため、挑戦してみることにしました。
もともと文系科目はあまり得意ではなく、数学や理科が得意だったため、先生は理系の道を勧めてくれたのだと思います。結果として高専に合格でき、入学を決めました。
―高専ではどのような勉強をされていましたか。
専攻は電気工学科で、いわゆる「電気」と呼ばれる分野を学びました。電磁気や回路、強電・弱電の両方に触れる内容でした。
現在は情報系の業務に携わっていますが、実は高専時代に本格的な情報技術を学んだ経験はほとんどありません。当時はコンピューターが今ほど普及しておらず、情報系の授業も多くありませんでした。プログラミング言語も、授業でFORTRANやCOBOLを少しかじった程度です。
―高専生活で印象に残っていることを教えてください。
高専時代を振り返ると、学業だけでなく「自分で学び、自分で考える力」を身につけられたことが大きな財産です。社会に出ると、誰も手取り足取り教えてはくれません。そのための基礎を、高専時代に築くことができました。
―高専時代に打ち込んだことはありますか。
高専3年生のときに、スノーボードに夢中になりました。当時はまだ日本でスノーボードがそれほど普及しておらず、始める人も少ない時代でした。旭川駅前の西武デパートでスノーボードを見つけ、「面白そうだな」と思ったのがきっかけです。
もともとスキーは小学生の頃に上級資格を取得するほど熱中していましたが、一通りやりきった感覚がありました。そこで、新しい挑戦としてスノーボードに魅力を感じ、のめり込んでいきました。

進学と転職を経て、高専で働くという選択を
―高専卒業後は室蘭工業大学に編入され、その後民間企業に就職されています。
高専を卒業した後は、室蘭工業大学に3年次編入しました。その頃はまだ専攻科がなく、就職か大学進学の二択でした。当時は「高専卒は専門学校卒と同じように見なされる」といった話もあり、それならば大学に進もうと決めました。大学に進学する高専生は今よりも少なかった印象です。
大学に入って驚いたのは、単位制の自由さです。高専では時間割が決まっていましたが、大学では自分で履修計画を立て、必要な単位を取得しなければなりません。この環境で、より主体的に学ぶ力が鍛えられたと感じています。
大学では主に半導体や電子デバイスについて学びました。しかし、当時はちょうどバブル崩壊の影響で、半導体業界が大きく変わり始めていたんです。それまではROMに使われる半導体チップが大量に生産されていましたが、価格が下がり、社会情勢の変化により半導体産業に勢いが出始めました
そのため、半導体関連の就職先は非常に少なく、なかなか厳しい状況でした。最終的に採用していただいた放送関連の民間企業に就職したという流れです。
―民間企業ではどのような業務を担当されていたのですか。
就職先では、電柱に配線を引いたり、専用チューナーを設置したりといった現場作業を担当していました。主に、機器の設置や故障対応、配線工事などが業務です。数年勤めましたが、体力的に非常にハードで体を壊してしまったこともあり、転職を決意しました。
―国家公務員試験を受験し、釧路高専に着任されるまでの経緯を教えてください。
転職を考える中で、国家公務員(二種)の採用試験を受験しました。電気・電子・情報分野が一括りになった試験で、情報分野は自信がなかったため、電気電子分野の内容を中心に対策し、なんとか合格することができました。
北海道で開催された採用説明会では、各省庁や機関がブースを出しており、仕事内容を紹介していました。その中で、たまたま高専のブースで話を聞き「ここなら働くイメージが具体的に湧く」と感じたのが、高専への就職のきっかけです。
大学勤務も検討しましたが、募集タイミングが合わなかったこともあり、最終的に釧路高専への着任を決めました。自分が高専出身だったことや、説明会での担当者の雰囲気が良かったことも後押しとなったと思います。
当時は社会全体で「情報化」が推進されており、採用も情報系が中心でした。研修制度が整っている公務員であれば、一から学べるだろうという期待もあり、ほとんど知識のなかった情報系での採用を受け入れることにしました。
―着任後、どのように情報分野を学んでいったのでしょうか。
着任当初はまったくと言っていいほど情報分野の知識がありませんでした。そこで「学生と一緒に勉強しよう」というスタンスで演習室に通い、自らも授業を受けるような姿勢で学び始めました。教える立場である以上、学生よりも深く理解しておく必要があります。そのため、最初の3年間はとにかく勉強の日々でした。
配属された情報処理センターでは、演習室に設置された端末やサーバーの管理、授業サポートなどを担当しました。最初は苦労も多かったですが、基礎からコツコツ学び続けたことで、徐々に力をつけていくことができました。

情報セキュリティの最前線で、全国の高専の基盤を支える
―現在の仕事内容について教えてください。
現在は、釧路高専でネットワークやサーバーの管理を中心に、いわば「何でも屋さん」としてさまざまな情報インフラを支えています。演習室の管理も担当しており、教員や学生が快適に使える環境づくりに取り組んでいます。
日々の仕事の中では、当たり前にインフラが使えることが当然と思われる一方で、裏方の苦労が目に見えにくい部分もあり、もどかしさを感じることもあります。それでも、トラブルなく運用できること自体が何より大切だと考えています。
最近では、Linuxサーバーの切り替え作業が大きな山場となりました。古いサーバーのサポートが終了し、数多くの機器を一斉に更新しなければならない中で、トラブルなく移行できたときは大きな達成感がありました。
―高専機構CSIRTでの活動についても教えてください。
高専機構CSIRT(シーサート)は、全国の国立高専を対象に、セキュリティインシデントへの対応やセキュリティ啓発活動などを行うチームです。メンバーは15人ほどと、少数精鋭で活動しています。
私が関わるようになったのは、高専機構CSIRTの設立前に機構本部のサポートを頼まれたことがきっかけです。本部では、教職員の給与明細のWeb化や備品発注の電子化、認証システムの整備など、基盤となる仕組みづくりに携わりました。
本部で仕事をする中で「私は釧路高専では情報系に詳しい方だ」と思っていましたが、全国にはもっと技術力の高い若手職員がたくさんいることを知り、自分の未熟さを痛感しました。
そこで、高専機構CSIRTが設立された際には、「ぜひ参加したい」と自ら志願し、2年目から本格的にメンバーに加わりました。実践的にセキュリティ技術について学べる点や、優秀な技術者に囲まれて成長できる環境は自分にとって大きな魅力です。
―高専機構CSIRTの活動のやりがいや面白さはどんなところにありますか。
サーバーの脆弱性や設定ミスを突かれるリスクは大きく、活動を通じて脆弱なサーバーが次々と改善されていったことは大きな成果だと感じています。
最近では、単なる技術的な問題だけでなく、ヒューマンエラーによるインシデントへの対応も増えました。どうしても人が入れ替わるたびに一定のリスクは生まれてしまうため、ルールや意識啓発の重要性を改めて実感しています。
個人的には、攻撃手法を解析する過程に大きな面白さを感じています。昔はメールに添付されたマルウェアを解析したり、プログラムコードを解読したり、ログから攻撃経路を探ったりしていました。現在では、VPNの脆弱性を突く高度な攻撃もあり、日々の進化に驚かされます。
―情報セキュリティの分野に対して、どのような想いを持って取り組んでいますか。
もともと「面白い」という純粋な興味が原動力です。たとえば攻撃手法を再現するために、自ら環境を整えて検証することもあります。その探究心を、少しでも学生に伝えられたらとは思いますが、今の立場では学生と密に関わる機会が少なく、なかなか難しい面もあります。
セキュリティは日々進化を続けており、AIが攻撃手法にも利用される時代です。人間だけでは太刀打ちできない局面も増えてくるでしょう。それでも、知識と探究心を持って備えることが、これからの技術者にとってますます重要になると感じています。
―教育現場におけるセキュリティ意識の向上について、大切だと思うことはありますか。
一番のトラブルの原因でもあり、最大の課題は「忙しさ」です。教員も事務職員も、ITツールやコミュニケーションチャネルが増えたことで、常に大量の情報に追われる環境にあります。忙しすぎると、確認作業やセキュリティ意識がどうしても後回しになってしまうのです。
釧路高専ではセキュリティに関する確認事項を策定し、その中に「余裕を持って仕事をしよう」という項目も入れ込みました。慌ただしさに流されず、ひと呼吸置いて確認する。この小さな積み重ねが、セキュリティ事故の防止につながると信じています。
―最後に、高専生や高専を目指す中学生へ、メッセージをお願いします。

私は高専生の頃から、明確な夢や目標があったわけではありません。そのときどきで最善と思える選択を繰り返してきた結果、今があります。
ただ、ひとつ思うのは、15歳という若さで進路を選ぶのは本当に難しいということです。高専に進むということは、早い段階で理系の道を選ぶことでもあります。その選択がどんな意味を持つのか、できるだけ真剣に考えてほしいと思います。理系・文系、研究職・技術職、社会に出たときの姿——中学時代からできる限り視野を広げて考えることが大切です。
高専生の皆さんは非常に優秀だと日々感じています。未来の日本を支える素晴らしい技術者として、社会でのご活躍を応援しています。
小清水 誠氏
Makoto Koshimizu
- 釧路工業高等専門学校 教育研究支援センター(情報処理センター担当) 副技術長・技術専門員
高専機構 情報戦略推進本部 情報セキュリティ部門
高専機構 本部事務局 情報企画課(併任) 技術専門員

1993年3月 旭川工業高等専門学校 電気工学科 卒業
1995年3月 室蘭工業大学 工学部 電気電子工学科 卒業
1999年4月 釧路工業高等専門学校 教育研究支援センター 技術職員
2019年4月 国立高等専門学校機構 本部事務局 情報企画課 専門職員
2021年4月 釧路工業高等専門学校 教育研究支援センター 技術専門職員
2022年4月より現職
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