進学者のキャリアその他

無線LAN機器の開発者から個人投資家に! 寄附を通して日本の科学技術の発展に貢献したい

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豊田高専の情報工学科を卒業され、総合大学、パソコン周辺機器メーカーに進んだ後、専業の個人投資家になられた大原さん。母校の大学に寄附を行い、紺綬褒章を受章されました。大原さんの学生生活や会社・投資で大事にしていること、寄附をする思いなどをお伺いしています。

無線LAN機器の普及に携わる

―大原さんは豊田高専の情報工学科出身です。進学された経緯を教えてください。

高専に入学した90年頃は、プログラミングやパソコンといった名前がテレビ越しに聞こえ始めた頃でした。僕は新しく出てきたものにちょっと興味を持つ人間でしたので、実家がある豊橋の近くでプログラミングの勉強ができる豊田高専に進学。といっても、高専に入るまでプログラミングに熱中していたわけではありません。

入学後は当たり前ではありますが、授業でプログラミングを最初から教えていただきました。難しい部分もありつつ、意外と理解できたと思います。あと、数学や物理も慣れてしまえばある程度理解できるようになりました。苦痛はなかったですね。

ただ、決してテストで成績が良かったわけではないですし、研究に熱心だった高専生ではなかったと思います。卒業研究のテーマも覚えていません……。

―大原さんは高専卒業後、大学に進学されています。

4年生の頃に絶対行きたいと思うようになり、編入試験に向けて冬ぐらいから赤本や青本などといった問題集をひたすら解いて本格的に勉強しました。高専はどうしても5年間を狭い場所で過ごすので、視野を広げるために総合大学に行きたいと考えていましたね。大学でさらに深く研究したいというよりも、大学生活をしてみたいという願望が大きかったです。

結果、大学生活を振り返ってみると、キャンパスは広かったですし、男女比率もほぼ半々でしたし、理系・文系どちらの学生もいましたし、本当に視野が広がったと思います。バスケットボールサークルに入って、楽しく過ごしていました。一人暮らしを始めたのも良かったですね。

しかし、学科に関しては情報工学から離れます。編入した大学の情報工学系の学科は入試倍率が約10倍と高すぎたので、数学や物理が学べる学科に編入したのです。卒業研究も量子力学に関するテーマでした。

―数学や物理も好きな分野だったのでしょうか。

そうですね、論理的に解けるところが好きです。化学は化学式を“覚える”という印象が強くて面白味をあまり感じなかったのですが、数学や物理は論理的なので、そこを理解することが楽しかったのかもしれません。

―大学卒業後は、パソコン周辺機器メーカーに就職されています。ここで高専での情報工学・プログラミングに戻った印象を受けますが、いかがですか。

当時はインターネット黎明期で、僕はやはりパソコンといった新しいことに興味がありましたので、そのようなことに携われる会社に応募し、運よく採用されました。

―主にどういった仕事をされたのでしょうか。

希望したネットワーク事業部で、無線LANの機器開発に携わりました。

入社当初は有線LANのハブといった接続機器を開発していたんですけど、1年目の終わり頃にネットワーク事業部で「無線LANをやるぞ!」となり、僕もチームに運よく入ることになったんです。

しかし、無線自体をちゃんと知っている人は全然おらず、1人しか経験者がいませんでした。しかも、その1人もかつてアマチュア無線を開発していたくらいです。無線LANを構成するチップセットも、現在はワンチップですけど、当時は5~6個つなぎ合わせて開発していました。結果、確か2002年頃、僕のいた会社が日本で最初に一般向けの安い無線LAN製品を出すことができましたね。

―その仕事は、やりがいのある楽しいものでしたか。

無線も結局数学や物理の話なので、論理式があるんですよ。ですので、やっぱり楽しいですよね。

投資家として持っている唯一のルール

―無線LANというやりがいのある事業に携わっていましたが、2013年3月に退職され、その翌月から個人投資家として活動されています。この経緯を教えてください。

僕は2005年から兼業の投資家として活動していました。始めた頃の元手は200万円くらいでしたね。それで、2013年に大台まで到達したので、会社を辞めて専業で投資家を始めました。いきなり専業で始めたわけではありません(笑)

―大台に到達されたということは、投資をする中で何かしらの論理やコツを掴んだということでしょうか。

恐らく掴んだのだと思います。考えることは基本的に好きでしたから、なぜこのようなミスをするのだろうかと、よく思考を巡らせていました。

例えば、ミスをしたのが「すごく忙しくて睡眠時間が足りてなかったから」だとすると、忙しさの原因を追究しないといけません。しかし、ケアレスミスでしたら、「ある一定の確率で発生するものだから、しょうがない」となります。ケアレスミス対策で指先確認を毎回していたら、逆に効率が落ちてしまいます。

ミスを防ぐにしても、ある程度のトレードオフがあると思うんですよ。そのミスを減らすことで効率が10%アップするのか、100%アップするのかによって、ミスを防ぐ価値が変わってくると思います。そういうことを僕は割と考えています。

―大原さんは母校の大学に寄附をされて紺綬褒章を受章されています。その際、『学生に期待することは「見る前に飛べ」の精神です』とコメントされていましたが、それにも通じる話でしょうか。

そうですね。僕は、70%の見切り発車で30%は走りながら考えるぐらいじゃないと、世の中のスピードについていけないと思っています。「見る前に飛べ」の言葉には、まず最低限のリスクだけ把握して行動してほしいという気持ちを込めました。論理的解釈に時間をかけて100%を目指しても、どうせ何か問題が起こるので、走りながらPDCAを回した方が良いと思っています。

例えば会社員として会議資料をつくるとしたら、僕は8時間で7割の完成度を目指していました。100%の完成度を目指して48時間を使うことはありません。100%を目指しても、必ずと言っていいほど会議で上司に新たな検討事項を言われるわけですから。ですので、8時間で7割の完成度にして、あとの3割は頭の中になんとなく想定問答を入れておくぐらいでした。やはりスピーディーさは重要ですよね。

―そんな中でも、大原さんがミスをしないために行った工夫を教えてください。

会社員のときは確かに7割の完成度で会議資料をつくっていましたが、世の中に出す製品に関しては、当然ながら最終的に100%を目指していました。

それでも製品に不具合が出てしまうケースがあるので、なぜそのような不具合が起きたのかを検証し、製品チェックの評価項目になかったからならば、今回のケースを追加していました。そのようなブラッシュアップは常に行っていましたね。

あと、新入社員向けのマニュアル資料はかなりつくり込みました。自分の頭の中だけにある細かい設計知識などを分かりやすく文字で表現し、だれでもアクセスできるところに保管。ノウハウが必要な仕事ですので、マニュアルには重要な役割があるのです。

―投資家としてミスを起こさない工夫もありますか。

はい、僕は1つだけルールをつくっています。それは「マイナスが2,000万円になったら、半分損切り(※)をする」です。

※損失を抱えている状態で持っている株式などを売却することで、損失を確定させること。

これまでの経験上、大きな投資ミスの原因は絶対に「損切りが遅れているから」です。それで1億円負けてメンタルが落ち込んだこともあります。

1億円負けるといっても、「朝起きたら、いきなりマイナス1億円になっていました!」なんてことはほぼなくて、だいたい日を追うごとにどんどんマイナスが大きくなっていくんです。そして、どんどんメンタルが弱り、考える範囲が狭くなり、取るべき手段が取れなくなるので、結局マイナスが大きくなる……。良いことなんてありません。

ただ、そういったときに損切りをすると、最終的に取り返すことができるのは経験上知っています。ということは、もっとマイナスが小さいときに半分でもいいから損切りしておけば楽に立ち回れるはずだと考え、そのようなルールをつくりました。

自分が正しいと思っていてもマイナスが増えるということは、自分の認識に誤りがあるってことなんです。認めたくないですが、そこは感情を無視して強制的に半分損切りしています。

―高専での経験は、投資家として今に生きていると思いますか。

論理的に考えることは影響を受けているのかなと思います。高専で学んでいたプログラミングも論理的なものでしたし、僕のベースの根幹にあると思います。

損切りの話のときに“感情を無視して”と言った通り、感情そのものは論理的なものではありません。しかし、それを分解して考えようとすることは「論理的な考え方」と言えますよね。感情という論理的ではないものを論理的に理解しようとしている——それはつまり、自分という人間を理解しようとしているのと同じ感じです。

安心して「ギャンブル」ができる環境

―投資の一方で、寄附はいつごろから始めたのでしょうか。

専業投資家になってからです。地震などの災害があった地域への寄附から始め、その後、住んでいる場所の近くにある養護施設などに寄附していました。母校の大学への寄附は、コロナ禍のときに学生の大変さを感じて行いましたね。何かしら貢献したいという気持ちでした。

―大学への寄附によって、どのようなことを期待されますか。

日本の科学技術の発展に貢献できればと考えています。

現状は日本よりアメリカや中国の方が科学技術の面でリードしていると思います。ノーベル賞を受賞されている日本の方もいらっしゃいますが、ノーベル賞は過去の業績が評価される賞ですから、今後どうなるんだろうと思っているんです。

―その疑念は、どのようなことに起因するものだと考えていますか。

お金を使うルールが厳しくなったからだと思います。大学ではないですが、僕が働き始めた当初は社内ルールもそんなに厳しくなくて、「こういうことをやりたいです」と上司に相談すると「いくらなの?」「これぐらいです」「じゃあ、やりなよ」ぐらいの感じでした。そういう自由な環境でこそ、良い発想が生まれると思っています。要は、無駄な時間も時には必要ということです。

無駄なことをすることで、無駄じゃないことが生まれたことは過去にもあったと思っています。しかし、今って無駄なことをやらせてくれなくなっていますよね。何のために研究予算を使うかの配分が厳しくなり、その成果が求められる。それは予算が減ってきているからだと思いますが、「それって可能性を狭めてないですか」と思ってしまいます。

―仕事の部分で100%を目指す/目指さないのお話がありましたが、研究に関してはどのように考えていますか。

研究って一体何が100%なのか分かりにくいですよね。ある意味、研究者はギャンブラーに近いと思っています。そこに正解があるか分からないですけど、可能性にかけて勝負している感じです。研究者にしか見えていない理論(仮説)があって、そこに向かって研究していることを他の方が評価するのは恐らく難しいと思うんです。

しかも、「賭け」に対して結果を報告しないと次の研究費がもらえない可能性だってあります。だからこそ、寄附を活用していただきたいです。僕が今さら研究しても何もできないですけど、優秀な方でしたら何か革新的な理論や技術が生まれる可能性がありますからね。

―最後に、高専ではアントレプレナーシップ教育・スタートアップ教育が近年積極的に行われています。個人投資家として、スタートアップを目指す高専生に一言いただけますでしょうか。

スタートアップや起業はすごく勇気のいることですし、なかなか一歩を踏み出せない場合も多々あると思います。だからこそ、僕はそれでも一歩踏み出す人をすごく応援したいですし、それこそ考えすぎて一歩踏み出せないくらいだったら、とりあえず考えずに一歩踏み出した方が成果が出るのかなと思っています。本当に勇気を出して起業して成功したのなら、僕はすごくかっこいいなと思いますね。

大原さんの作業場。「まずは行動してみましょう」とのことです
▲大原さんの作業場。「まずは行動してみましょう」とのことです

―大原さんも専業として投資家を始めたとき、そのような勇気を出して一歩を踏み出したのでしょうか。

僕はなかなか辞表を出せなかったです(笑) 上司に「退職します」と伝えるのに2週間くらいかかりました。

辞めた後も1カ月くらいプレッシャーを抱えていましたね。でも、うまくいっちゃうと意外と忘れてしまいますよ。まず兼業から始めていたのも良かったのだと思います。

大原
Ohara

  • 個人投資家

大原氏の写真

1995年3月 豊田工業高等専門学校 情報工学科 卒業
1998年3月 総合大学 卒業
1998年4月 パソコン周辺機器メーカー 入社
2013年4月 個人投資家、現在に至る

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