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高専時代に味わった「感動」を次は自分が伝える番に! 画像解析を通して、人の役に立つ喜びを知る

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プログラミングを用いて人の動作・運動における画像解析の研究を行っている舞鶴高専の森健太郎先生。高専時代はなかなかやりたいことを見つけられなかったものの、片山先生の研究室に入ったことで研究の楽しさに目覚めたという森先生に、学生時代のお話や現在の研究内容について伺いました。

やりたいことがなかった高専時代。研究を続ける中で知った楽しさ

―森先生は舞鶴高専出身とのことですが、進学を決めたきっかけを教えてください。

当時は好きなことややりたいことがあったわけでもなく、お恥ずかしい話ですが、就職率が高いからという軽い気持ちで高専への進学を決めました。学科も、小さい頃からゲームが好きでしたし、「プログラミングを書けたらおもしろそうだな」と、それくらいの感覚で電気情報工学科を選んだ記憶があります。

幼少期の森先生。小学校の卒業式にて。
▲幼少期の森先生。小学校の卒業式にて。

―ただ、今では研究の道に進んでいらっしゃいますね。高専に入学してから心境の変化があったのでしょうか。

当時、私の周りには熱意があり、高いモチベーションをもって授業や研究に取り組む学生が多くいました。自分とは真逆の、レベルの高い学生に囲まれながら大変な思いをして勉強をしていたのですが、気持ちに変化が生まれたのは、4年次の研究室配属からです。

専攻科時代、台湾で国際学会に参加したときの一枚(左端は片山先生)。
▲専攻科時代、台湾で国際学会に参加したときの一枚(左端は片山先生)。

私は舞鶴高専の教員を勤められていた片山先生の研究室に入りました。すると、そこでプログラミングを使った画像解析の研究に取り組むうちに、「研究が楽しい」と感じるようになったんです。一生懸命研究を行って、新しい成果が得られた時や、プログラムがうまく動いた時の達成感は、何にも代えがたいものでした。また、その内容を学会で発表し、人の役に立つことが証明される瞬間に楽しさを感じたのだと思います。

専攻科入試(本科5年生)のときの写真(左から、北九州高専 情報システムコースの吉元先生、舞鶴高専 技術職員の蔭山さん、森先生)。
▲専攻科入試(本科5年生)のときの写真(左から、北九州高専 情報システムコースの吉元先生、舞鶴高専 技術職員の蔭山さん、森先生)。

それからは研究に一生懸命取り組むようになり、研究を続けるために専攻科への進学を決めました。結局、専攻科を終えても研究がしたかったので、大学院に進み、博士課程まで進んだという流れです。

―高専で学ぶうちに、自分のやりたいことが明確になってきたのですね。

そうですね。ちなみに、小学生の時から理科や数学といった理系科目は好きで、得意科目でもあったんです。単に暗記するだけでなく、基本的な計算ルールから自分で発展させて、応用して問題を解ける点におもしろさを感じていました。プログラミングも数学と同じように基礎を覚えて応用していく作業です。当時はやりたいこともないままに高専に入学しましたが、幼少期に好きだったことが今につながっている気もしますね。

専攻科時代の森先生。海外インターシップ先である台湾の夜市にて。
▲専攻科時代の森先生。海外インターシップ先である台湾の夜市にて。

―高専生時代は主にどのようなことに取り組んでいましたか。

主にプログラミングを使った画像解析を行っていました。例えば、インターフォンに搭載する不審者通知システムの開発です。具体的には、不審者と思われる人が家の周りを歩いていた場合、カメラを通した映像から異常を検知して、メールで通知するようなシステムです。

本科5年生の時の卒業研究で作成していたインターフォンシステム。
▲本科5年生の時の卒業研究で作成していたインターフォンシステム。

専攻科の時は、視覚障害者が安全に横断歩道を渡れるようなプログラムの研究を行いました。スマートフォンのカメラを信号に向けることで、青なのか赤なのか、色を判断してくれるシステムです。ただ、当時は人工知能の技術がまだ発展しておらず、信号が何色かを判断するだけにとどまり、社会実装までは厳しいレベルだったというのが実情です。

専攻科2年生の時、山口県徳山市での学会での様子。
▲専攻科2年生の時、山口県徳山市での学会にて。

―高専を卒業してからの進路はどのように決めましたか。

兵庫県立大学大学院に進学しました。恩師である片山先生の大学時代の先輩にあたる先生が兵庫県立大学のシミュレーション学研究科にいらっしゃったことで、研究室を見学させてもらったのがきっかけです。当時はビッグデータが注目され始めており、そのような中でシミュレーションやコンピュータに関する勉強ができることが決め手になりました。

シミュレーション学研究科の棟は、当時のスーパーコンピュータ「京」を置いていた理化学研究所の真横にあり、研究所の施設見学やインターンシップへの参加ができました。そのような機会を得られたのも進学先として選んだ大きな理由です。

大学院時代の森先生。地元の友人たちとケービングをする様子。
▲大学院時代の森先生。地元の友人たちとケービング。

大学院時代は、不妊症や心不全をテーマに医療分野での画像解析を中心に行い、それ以外にも作業効率の悪い身体運動の特徴を画像で解析するなど、さまざまな研究を行っていました。

―大学院で学んだ後、高専の教員になったきっかけを教えてください。

私自身、軽い気持ちで高専に入学したものの、研究を進めるうちに達成感や人の役に立つ喜びを知り、大学院まで研究を続けたという経緯があります。そのため、次は私が研究で得られたような感動を学生たちに伝えられたら良いなとずっと思っていました。

大学院生の頃、国際学会で中国へ。食事中の写真。
▲大学院生の頃、国際学会で中国へ。食事中のお写真。

そのような時に、学会で舞鶴高専時代の担任の先生にお会いして、就職先として高専の教員を考えていることをお話ししました。その後、ちょうど舞鶴高専で教員の公募が出たタイミングで先生から連絡をいただき、採用試験を受けて今に至ります。タイミングが良かった、というのが大きいですね。

画像解析の技術を、不妊症などの医療分野へ応用したい

―現在の研究内容を詳しく教えていただけますか。

広く言うと、人の動作や身体の動きに関わる動画や生体信号を解析する研究をしています。大学院時代から力を入れていた医療分野での画像解析によって、医療画像や医療データ、生体信号などから病気の解析を行えるようなシステムをつくっています。病気の診断は医師一人ひとりの技術や経験に基づいて判断するのが一般的ですが、そこにコンピュータによる解析を取り入れることで、医師の診断をサポートすることが目的です。

中でも代表的なのは、不妊症の解析です。女性の不妊症の原因は、これまでなんとなくは明らかになっているものの、身体による個人差があることから、明確な判断をしづらいという現状があります。女性の子宮が妊娠のために行う運動は目視で確認することが難しいため、画像解析を用いて運動を解析し、データを集め、統計的に不妊症を診断できるようにする、といった研究をしています。

大学院生の時に行った、イタリアでの学会発表の様子。
▲大学院生の時に行った、イタリアでの学会発表の様子。

また、舞鶴高専の卒業生が勤める企業から研究依頼を受けることも多く、例えば監視カメラの映像解析を行い、事故を未然に防ぐシステムの開発も行っています。歩きスマホをしている人を見つけて、中でも特に危ない人を検知するような仕組みです。ゆくゆくは検知した人にアラートを出せるようにし、歩きスマホでの事故を防止できるシステムへの改良を目指しています。

―特に医療分野に力を入れているとのことですが、きっかけは何だったのでしょう。

研究を続けていくうちに、「人の役に立つ」というのが喜びを感じるポイントであり、自分にとって重要な点だと気づきました。今まで培ってきた画像解析技術を医療技術として応用することで、今まで以上に人の役に立てるという点が非常に魅力的です。

最近は社会的なニーズから、ディープラーニングやAIなどの人工知能関連の研究を中心に行っています。また、医療分野での研究は、医師との繋がりがなければ実現しないケースが多いため、人脈を広げていくことも課題です。いずれは舞鶴で研究の基盤をつくれたらと思っています。

大学院時代、旅行先の水木しげるロードにて当時の友人たちと。
▲大学院時代、旅行先の水木しげるロードにて。

―今まで研究を行うにあたって、苦労したことや大変だったことはありますか。

苦労や大変さというのはずっと感じています。特に大学院時代から、医療分野をはじめ「人の身体の動き」に焦点を当てて画像解析を行っていたので、医師の方々や企業と共同で研究をさせていただくケースが多くありました。「共同研究であるからにはしっかりと成果を出さなければ」とプレッシャーを感じ、常に身を削る思いで取り組んでいたと思います。

おまけに私は医療に関しては素人で、研究の結果が正しいのかどうか判断できないので、結果の共有や内容のすり合わせを医師と何度も行い、ひとつひとつ慎重に進めていました。ずっとプレッシャーを感じてはいましたが、同じく研究を頑張っている周りの友人の姿は大きなモチベーションになっていましたね。

あと、普段はなかなか遠くに行く機会がないので、学会発表で遠征できることが楽しく、気分転換にもなっていました。大学院時代、学会で宮崎県に行った時に食べたチキン南蛮がおいしくておいしくて……(笑) 今も記憶に残っています。学会の折に地域のおいしいものを食べられるというのは1つの楽しみでもあり、モチベーションにもなっていますね。

学会遠征先で森先生が魅了された、宮崎県にある「味のおぐら」のチキン南蛮。
▲学会遠征先で森先生が魅了された、宮崎県にある「味のおぐら」のチキン南蛮。

「普通ではない」ことが高専の魅力

―高専の教員として、どのような指導を心がけていますか。

特に研究室での指導は丁寧に行うように心がけています。例えば研究内容の相談だけでなく、コンテストや学会で提出する書類の文章の添削なども受けています。あとは私自身、学会での発表が研究に興味を持ったきっかけの1つだったので、学生にも学会やコンテストへの参加は積極的に促しています。

また、プロコン部の顧問として、コンテストへ申請する書類の文章の書き方は細かく指導しています。理系ということもあり、文章を書けなくても問題ないと思っている高専生も一定数いるのですが、私は高専生時代に先生から文章の書き方を手厚く教えていただき、それ以来書類や論文などの文章を書きやすくなったと感じています。大学とは違い、基本的なことまで丁寧に教えてもらえるのは、高専ならではの魅力だと思います。

プロコンの会場の様子。
▲森先生がプログラミングコンテストへ引率したときに撮影した会場の様子。

―今高専に通われている方や高専への進学を考えている方へ、高専の卒業生としてメッセージをいただけますか。

今高専に通っている学生の中には、昔の私のようにやりたいこともなく、「なんで高専に来たんだろう」と悩んでいる人もいると思います。また、これから特に夢や目標もないまま高専へ進学していいのかと迷っている人もいるでしょう。しかし、高専でしかできない頑張り方、高専でしか味わえない経験や環境があるのは事実です。

卒業式の様子。高専付近で学生と森先生が一緒に写っている。
▲卒業式にて、研究室の学生と。

高専の魅力は「普通ではないところ」だと思います。5年間という期間もそうですし、勉強内容もそうです。私は専攻科も含めて7年間高専にいましたが、普通科高校から大学へ進学した場合とはまったく違った学生生活になったと感じています。若いうちから研究を始めて研究室に入り浸れるなんてことは高専以外では経験できませんし、私はそこに楽しさを感じていました。

やりたいことや好きなことがない人も、専門的に何かに取り組んでいくうちにひらけていく道がきっとあると思います。もちろんその中でつらい思いをすることもあるかもしれませんが、それ以上に新しい発見もあるはずです。ぜひ今できることを頑張って続けてほしいと思います。

森 健太郎
Kentaro Mori

  • 舞鶴工業高等専門学校 電気情報工学科 講師

森 健太郎氏の写真

2014年 舞鶴工業高等専門学校 電気情報工学科 卒業
2016年 舞鶴工業高等専門学校 専攻科 電気・制御システム工学専攻 修了
2018年 兵庫県立大学大学院 シミュレーション学研究科 博士前期課程 修了
2021年 兵庫県立大学大学院 シミュレーション学研究科 博士後期課程 修了
2020年4月 舞鶴工業高等専門学校 電気情報工学科 助教
2023年4月より現職

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