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廃炉の研究で福島の復興に携わる。すべての経験は必ずひとつに繋がると信じて

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阿南高専を卒業し、現在は東京大学大学院で原子力にまつわる研究を進めている野田篤志さん。高専や大学ではまったく異なる研究をしていた野田さんが、現在の道に進むきっかけは何だったのか。また、高専の強みはどこにあると感じるのかなど、話を伺いました。

原子力研究の土台にあるのは、過去の経験

―現在の研究について教えてください。

「ジオポリマー(コンクリートの一種)を用いた燃料デブリ大規模取り出しに係る研究」です。「燃料デブリ」とは、原子炉内の冷却機能が失われ、核燃料や構造物が溶けたあとに冷えて固まった物質を指します。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の津波により、福島第一原発(1F)1~3号機では原子炉の冷却機能が喪失しました。この結果、原子炉内の核燃料や構造物が溶け落ち、冷却後に固まり、燃料デブリが発生しました。

1Fの廃炉完遂に向けて燃料デブリ取り出しはもっとも重要な課題の1つです。その燃料デブリを、ジオポリマーという材料で被覆・一体固化して取り出す、「ジオポリマーを活用した福島第一原発燃料デブリ大規模取り出し工法」の実現に向けて、実験や解析などを進めています。

中性子ラジオグラフィ(X線の代わりに中性子を用いて、レントゲン写真のような透過像を得ること)を行っている様子。JAEA(日本原子力研究開発機構)の研究炉「JRR-3」での出張実験だったそう。この実験で、ジオポリマーの脱水固化現象を調査しています。
▲中性子ラジオグラフィ(X線の代わりに中性子を用いて、レントゲン写真のような透過像を得ること)を行っている様子。JAEA(日本原子力研究開発機構)の研究炉「JRR-3」での出張実験でした。この実験で、ジオポリマーの脱水固化現象を調査しています。

―その研究に取り組んだきっかけは何だったのでしょうか。

高専時代の恩師・一森勇人先生(当時:阿南高専 創造技術工学科 化学コース 准教授)の影響です。高専には原子力関連の基礎知識をもつ実践的技術者の育成を目的としたプログラムがあり、一森先生もその一員でした。当時、私が将来のことを考えていたときに「原子力人材育成プログラムの東京ツアーに参加してみたらどうか」と声をかけてくださったのです。

一森先生が講師を務める地域の科学教室に助手として参加された野田さん。写真は、エレキテルをつくり、野田さんが生贄として数千ボルトの高電圧(静電気)に感電させられた直後
▲一森先生(左)が講師を務める地域の科学教室に助手として参加された野田さん。写真は、エレキテルをつくり、野田さんが生贄として数千ボルトの高電圧(静電気)に感電させられた直後

東京にも行けるし、原子力関係の就活フェアや工場見学にも顔を出せるのは面白そうだと思って参加したのが、原子力に興味を持つきっかけでした。ただ、将来はこの道に進んでみるのもいいなと思っていたものの、当時はまだ専門的に学べる場所が少なく、実際に研究を始めたのは大学院に入ってからです。

―阿南高専に進学した理由は何でしたか。

中学2年生の頃に、友人に誘われたからです。それまでは普通高校に行くことを考えていたので、高専は選択肢に入っていませんでした。そもそも理系科目が苦手で、英語や社会が好きだったので、高校も文系に特化した学校を考えていたほどです。

中学生の頃の野田さん。体育祭終わりにクラスのメンバーと
▲中学生の頃の野田さん。体育祭終わりに

一方で、早く実家を出て自立したい気持ちもありました。決して両親との関係が悪かったからではなく、視野を広げたかったのです。つまり、高専進学の一番の決め手は「寮があったこと」でした(笑)

また、車が好きだったので、機械コースなら性に合っているかもしれないとも思いました。入学後は周りの優秀さに面食らいましたが、もともと手を動かすことが好きだったので、実習が楽しかった思い出があります。

―高専卒業後、豊橋技術科学大学に進学したのはなぜですか。

大学進学を意識したのは、高専4年の頃です。地域で開かれたビジネスコンテストに出場したところ、学生起業家を始め、たくさんの人に出会い「世の中には色々面白そうなことをやっている人たちがいるのか」と刺激を受けました。「もっといろいろな分野の人と交流をしてみたい」と思ったのが、大学進学の理由です。

野田さんが豊橋技科大で所属していた国際交流クラブのチラシ。
▲野田さん(上から2列目右)が豊橋技科大で所属していた国際交流クラブのチラシ。いい友人に出会えて、豊橋技科大への進学は大正解だったそうです。

高専に入学した当初は「卒業したら絶対に就職しよう」と思っていたので、両親も突然の方針転換には驚いたようです。大学ではアクリル樹脂の力学的特性を研究しました。このときは、まだ原子力の研究にたどり着いていません。

ラグビー部にも所属されていた野田さん。ご友人と映っています
▲ラグビー部にも所属されていた野田さん。ラグビー部と国際交流クラブの2足のわらじだったそうです。

原子力研究は幅広い

―その後、東京大学の大学院に進んだ理由を教えてください。

原子力について興味を持っていたのに、すぐにその道に進まなかったのは、「機械や材料の分野を学ぶのも、結果として研究に役立つ」という考えが根底にあったからです。ただ、大学3年次にふと自分自身を振り返ったときに「最終的に原子力の道に進むなら、今からでも原子力を勉強するべきだろう」と思い立ち、そこから院進学を考え始めました。

どこの研究室に行こうかと調べていたときに見つけたのが燃料デブリ大規模取り出し工法の研究でして、その研究の中心的存在が、現在の指導教員である鈴木俊一先生(工学系研究科 上席研究員)です。鈴木先生の「廃炉と復興は両輪」という言葉を聞き「学ぶならここしかない」と、進学を決めました。

―実際に原子力の研究の道に進んでみて、いかがですか。

常に新しい情報をキャッチアップしていくことは、大変でもあり面白くもありというところですね。ただ、原子力の研究はさまざまな分野の知識が学べ、生かせる場所でもあります。特に廃炉に関してはロボット、電気、機械、土木、化学……本当に幅が広いんです。

高専でも大学でも、原子力に直接関係する研究はしていませんが、結果、その土台があったからこそ今に繋がっているのだと実感しています。また、研究を始めてからというもの、平均すると2カ月に1回程度の割合で福島にも足を運ぶようになりました。そのたびに、鈴木先生の「廃炉と復興は両輪」の言葉の重みを噛み締めています。

福島県大熊町にて、野田さんのご友人が運営している「おおくまキウイ再生クラブ」にて
▲福島県大熊町にて、野田さん(3列目左から4人目)の友人が運営している「おおくまキウイ再生クラブ」に参加。地元の人、移住された人、戻られた人、遊びに来た人(野田さん)、いろいろな人が集まる不思議な場所だなーと感じられたそうです。

例えば、復興に尽力されている方が廃炉について詳しいかというと必ずしもそうではなく、反対に、廃炉に取り組んでらっしゃる技術屋さんが地元の事情に詳しいかというと必ずしもそうではありません。ただ、廃炉と復興どちらも日本の未来のためには欠かせないこと。だからこそ、地元の事情を知る人と技術的な知識を持つ人が手を取り合って進めていくことが大切だと思っています。

新潟県長岡市の高校で出前授業を行った野田さん。スクリーンを指しています
▲高校の非常勤講師をしている友人に招待され、新潟県長岡市の高校で出前授業を行った野田さん。「日本のエネルギー問題」「原子力の基礎知識」の2本立てでの授業でした。

高専は選択肢を豊富に持てる場所

―高専に進学して良かったと感じることはありますか。

早くから手を動かす経験が積めたことでしょうか。「こんな研究をしたい」と思っても、実際に落とし込むのは想像以上に大変です。でも、実習の機会が多かったおかげで「とりあえずやってみよう」という精神が身につき、試行錯誤できています。こうした“勘”を養えるのは、高専ならではだと思います。

また、あまり干渉されることがなく、自由に学べたのも良かったと感じます。先生方も普通高校にはいらっしゃらなそうなユニークな方が多かったので、とても刺激的な環境でした。

高専生の頃、事業アイデア・プランコンテスト「とくしま創生アワード2019」に卒業研究のテーマを持って参加された野田さん。審査員賞(サポーター個人賞)を受賞したそう
▲高専生の頃、事業アイデア・プランコンテスト「とくしま創生アワード2019」に卒業研究のテーマを持って参加された野田さん(前列左から3人目)。審査員賞(サポーター個人賞)を受賞しました。

―今後の進路や目標を教えてください。

4月からは原子炉関連設備の総合プラントメーカーに就職が決まっています。博士課程や研究者に進む道もありますが、「そろそろ社会に出てみたい」と思ったことが、一般企業に就職を決めた一番の理由です。現在の研究は就職先との共同研究なので、就職後ももちろん関われます。

私は、良く言えば柔軟性を持って臨機応変に生きている自覚があるので、あまりロングスパンの目標を立てたことがありません。でも、やはり、「燃料デブリの大規模取り出しの実現」は常に頭の片隅にありますね。

―現役の高専生にメッセージをお願いします。

ロングスパンの目標を立てたことがないように、私はわりと直感に従って動くタイプです。ただ、単にノリだけで過ごしているのではなく、常に「どっちにいっても大丈夫だろう」といくつかのオプションを持つようにしています。院の受験では東大以外の大学院も受けましたし、高専も「推薦が駄目だったときは一般入試もある」と思い、まずは推薦からチャレンジしました。

あらかじめいろいろな道を用意しておくと、何かあっても焦らずに対処できると思います。例えば勉強は道(可能性)を広げる確実なものの一つと思います。高い就職率だけでなく、進学の道もある高専は、失敗したときの保険となる道がたくさんあるので、自分のやりたいことにチャレンジするにはもってこいの場所だと思います。

野田さんと同じく豊橋技科大から東大院に進学されたご友人と、フェスにて
▲「音楽は生きがい!」とお話しされていた野田さん(右)。東京に来てからクラブやフェスに行く頻度が増えたそうです。写真は野田さんと同じく豊橋技科大から東大院に進学された友人と。

また、せっかく高専という自由な雰囲気の環境にいるのですから、進学だ就職だと焦って考える必要はないと思います。原子力の研究にさまざまな分野が関わっているように、道は必ずどこかで繋がっています。理系科目が苦手で英語が好きな私ですが、おかげで大学院入試では苦手な数学に集中して時間を割くことができました。「英語が好きで良かった!」と、感じた瞬間でした。

そして、あちこちの分野に顔を出しながらも、こうして今があります。これまでの経験は何一つ無駄にならないはずなので、今はまず、自分の気持ちに従って生きて、ゆっくりと将来を考えてみてはどうでしょうか。

野田 篤志
Atsushi Noda

  • 東京大学 大学院工学系研究科 原子力国際専攻

野田 篤志氏の写真

2020年 阿南工業高等専門学校 創造技術工学科 機械コース 卒業
2022年 豊橋技術科学大学 工学部 機械工学課程 卒業
2024年 東京大学 大学院工学系研究科 原子力国際専攻 修士課程 修了(予定)

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