幼い頃は看護師を目指していたものの、ひょんなことから東京理科大に進学された、鈴鹿高専の黒飛紀美先生。大学時代は人工血管の研究をされていました。鈴鹿高専で働くことになったきっかけは「ドラえもん」という黒飛先生に、学生時代の話や教育への思いについてお伺いしました。
前例のない研究に、楽しさを感じた
―黒飛先生は、どのような幼少時代を過ごしましたか。
私には2つ上の兄がいるのですが、いつも兄と一緒に遊んでいました。家に戦隊モノのおもちゃがあって、ボタンを押すとパンチが飛び出すような仕組みだったのですが、それを使って遊んでいた記憶があります。
あとは、近所の子どもたちと一緒に公園で缶蹴りをしたり、学校帰りには友達と駄菓子屋さんに寄ったりして、とにかく遊ぶことが大好きでした(笑)
また、父がレントゲン技師でしたので、ずっと看護師に憧れていました。でも、中3で高校を受験する際に、父に相談したら「同じ勉強量なのだから看護師より医師を目指してみるのはどうか」とアドバイスをもらったので、医学部を目指すことにしたんです。
―東京理科大に進まれた理由を教えてください。
実は、高校を卒業したあと、医学部をいくつか受験したのですが三浪してしまい(笑)、「医学部は無理かもしれないから滑り止めを1つ選びなさい」と父に言われてしまいました。
それで、医学部以外を考えていなかった私は、赤本で適当に開いたページに載っていた、東京理科大学の応用物理学科を受験し、結果としてこの大学に進むことに決めたんです(笑) 応用物理学科では生物物理を学べると知り、「生物が好きだからいいかな」くらいの気持ちでした。
フィーリングで選んだ大学でしたが、実際は入学して良かったと思っています。私の周りには真面目な先生が多くて、卒業後の転職でもお世話になったことがあったんですよ。
―大学では、どのような研究をされていたんですか。
人工血管に関する研究に携わっていました。この研究は理化学研究所で行った研究です。応用物理学科の卒業生で、このテーマを立ち上げた先生は当時ソニーで働かれていたのですが、理研に移って来られていて、大変お世話になりましたね。
大学3年生になると、生物物理は大学の2部(夜間)でしか講義をしておらず、生物物理が学べない状況であることに直面していました。そんな中、卒研の配属先のテーマに人工血管が新しく加わり、藁をもすがる思いで応募し、生物系の研究室に移ることができたんです。
そこでの研究は、コラーゲンにイオンビーム照射すると血小板が活性化しにくい表面ができる性質を利用して、小口径人工血管に応用するものでした。私の役目は人工血管の開発の中でも、最適なイオンビーム照射条件をさらに絞り込むこと、そして、何が原因でこれらの人工材料が血液適合性を持つかを突きとめることでした。
犬の動脈を使って実験することが多かったのですが、ときには自分の血液を抜いて血小板を取り出し、つくった材料の表面にポタっと垂らすこともありましたね。最適な条件だと血小板が丸いまま残るので、なぜそうなるのか、粘着性のタンパク質の吸着量をみたり、コラーゲンのアミノ酸組成分析をしたりしました。
また、この研究は私の代から始まった卒研だったので、先輩方のサンプルは何もなかったんです。だからこそ、新しいことや初めて知ることが多くて、毎日が新鮮でしたね。もともと生物の内容が好きだったこともあって、この研究にのめり込み、同じテーマで博士課程まで進みました。
大学卒業後も、生体に関する研究に携わる
-大学卒業後、どのような進路を選ばれたんですか。
本当は、修士課程が終わったら就職しようと思っていました。でも、私が修士を修了するタイミングがちょうど不景気で、エントリーシートを送っても返事が来ない企業がいくつもあったんですよ。学校推薦もあったんですけど今一つピンと来なくて……。そこで博士課程に進むことにし、修了後は、理化学研究所の協力研究員として、人工血管の研究を続けていました。
その後は基礎特別研究員というポジションに応募して、最終面接まで進んでいました。しかし、当時別テーマで共同研究をしていた物質・材料研究機構から移籍の話をいただいたんです。理化学研究所の面接をお断りして、物質・材料研究機構に移籍することに決めました。
―その後はソニーにも移られたそうですね。
物質・材料研究機構に誘ってくださった室長が、東京医科歯科大学の教授に栄転したんです。それは喜ばしいことだったのですが、私も一緒に異動することができなかったんですよ(笑)
あと任期が1年ちょっとあったと思うのですが、そんなときに次のポスドクの話が浮上しました。そこで静岡大学に移り、誘電泳動という方法で顕微鏡をずーっと見ながら実験をしました。そこでは、学生さんや技術補助員さんと楽しく研究をしていましたが、ソニー株式会社への移籍の話が出たので、移ることにしたんです。
ソニーでは、任期付きの研究員として「DNAチップ」「小型PCR装置の開発」という遺伝子に関する研究に携わることになりました。
DNAチップというのは、基板上に遺伝子の片割れの一部が付けてあって、検体(鼻ぬぐいといったもの)の中に、相補的にくっつける配列があると、基板上の遺伝子の片割れとハイブリダイズ(DNAやRNAの分子が相補的に複合体を形成すること)して二重らせんになります。
その二重らせんに入り込んで蛍光する物質を一緒に溶液に入れておくと、検体の中に検出したい遺伝子があった場合、基盤が光るんです。
例えば、癌の特効薬は遺伝子配列の違いによって副作用が異なることがあります。ですので、特効薬を投薬する前に、自分がどんな遺伝子の型を持っているのか検査する必要があります。TAリピート部分(チミン(T)とアデニン(A)の繰り返し配列)が6回続いているのか、7回続いているのか、その回数でも副作用に違いがでるので、難しい研究でしたがそれらを判定することができました。この研究は特許を取得するまで進めることができましたね。
大学・研究所・企業を渡り歩いて驚いた「高専の設備」
―それから教員の道に進まれたんですね。
リーマンショックを代表とする世界金融危機の影響で1年更新の研究員はリストラの対象になり、ソニーを退職することになりました。2011年です。6月に退職予定だったのですが、ちょうどその年の3月に東日本大震災が起きて、全く就活が進まず、困り果てた私は、大学時代にお世話になっていた恩師に相談したんです。
すると、「山口にある姉妹大学の一般基礎のポジションが空いている。3年くらいやって次考えたら?」と言われました。正直、「自分が教える立場に立つ」とは思っていなかったのですが、「やってみたら?」と言われたので、挑戦することにしたんです。
任されたのは数学と物理の授業。最初は自分が大学で受けたような授業の方法(板書でポイントを伝えていくスタイル)で学生に授業をしていたのですが、なかなか成果は上がりませんでした。そこで、自分の教育スタイルを見直したところ、学生が黒板をノートに書き写していくことに必死で、授業に付いていけていないことに気づいたんです。
そこから、「フィッシュボーンノート術」を参考にワークシートをつくるようになりました。それからは学生に「わかりやすい」と言われるようになって、やりがいを感じましたね。
-鈴鹿高専に進まれた理由を教えてください。
科研費のために、researchmap(※)を書いたんですよ。それを鈴鹿高専の関係者が見てくださったらしく、人材を募集していることを知ったんです。ただ、私は最近の研究実績がなく、高専を受けてみるかどうかは迷っていました。
(※)研究者が業績を管理・発信できるようにすることを目的とした、データベース型の研究者総覧のこと。研究成果として、論文、講演・口頭発表、書籍、産業財産権、Works(作品等)、社会貢献活動などの業績を管理し、発信することができる。
そんなとき、6月にあった「ツール・ド・しものせき」で、全身「ドラえもん」の格好をしたライダーと知り合ったんです(笑) その方が鈴鹿から来られていることを知り、タイミングが重なったのでかなり驚きました。7月には面談があって、それで「鈴鹿に呼ばれている」と感じ、たまたま合格しましたので鈴鹿高専に移籍することを決めたんです(笑)
―実際に高専で働いてみて、どうでしたか。
最初は、多感な時期の学生と接するのが難しいのではないかと思っていたんです。でも、実際に接してみると、素直で頑張り屋な学生が多いと感じましたね。移籍した時は2020年、遠隔授業からのスタートでした。授業にも研究にも一生懸命取り組んでいる学生が多くて、教えていて楽しいです。
高専でもワークシートを使い、なるべく伝わりやすい言葉を使って、理解力を深めるよう工夫しています。また、学生の主体性を磨くために、なるべく自分の頭で考えてもらう環境をつくるようにしていますね。
研究に関しては、電場に応答する微粒子を製作しています。微小領域の攪拌に使うのが目的です。来年度からは今までやってきた細胞培養の実験装置も立ち上げる予定で、これまでと近いことができると思っています。結構自由にテーマの選択ができるので、自由にやらせてもらっていますよ。
―小中学生や現役の高専生にメッセージをお願いします。
私は高専出身ではないので、初めて鈴鹿高専に来たときは普通高校との環境の違いに驚きました。特に驚いたのが、設備の充実度です。大学であるような装置がたくさんあって、このような環境で早い段階から学べる学生には、かなりの力がつくと感じています。
また、高専は組織力もすごいんですよ。先生に対する教育研修もしっかりしているので、質の高い授業ができるんですよね。卒研も1年半という長い期間を使って、じっくりすることができます。大学だと1年間しかできないところもあるので、研究に興味がある人にはぴったりだと思いますね。
高専に進学することに、不安を感じている中学生も多いかもしれません。でも、高専ではロボコンや他の学科とのつながりもあり、いろいろな体験ができる恵まれた環境なんです。だから、「普通高校ではできない体験がしたい」と思っている冒険好きな学生には、高専という選択肢は合っていると思いますよ!
黒飛 紀美氏
Kimi Kurotobi
- 鈴鹿工業高等専門学校 材料工学科 准教授
1990年3月 東邦大学付属東邦高校 卒業
1997年3月 東京理科大学 理学部 応用物理学科 卒業
1999年3月 東京理科大学 理学研究科 物理学専攻 修士課程 修了
2002年3月 東京理科大学 理学研究科 物理学専攻 博士課程 修了
2002年4月 理化学研究所 表面解析室 協力研究員
2002年11月 物質・材料研究機構 生体材料研究センター 特別研究員
2005年4月 静岡大学 工学部 イノベーション共同研究センター 特別研究員
2006年3月 ソニー株式会社 ライフサイエンス研究部 研究員
2011年9月 山口東京理科大学 一般基礎 講師
2016年4月 山陽小野田市立山口東京理科大学 共通教育センター 講師 (市立化のため)
2020年4月より現職
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