大学を卒業後、アメリカへと留学された八戸工業高等専門学校 総合科学教育科の横田実世先生。産官学のキャリアを経て、高専教員となった横田先生が学生時代に知った研究のおもしろさ、そして学生たちに伝えたい熱い思いを伺いました。
人類学を学ぶため、アメリカへ
―高校卒業後に海外への進学を決めたきっかけを教えてください。
高校・大学までは京都に住んでいたんです。でも、そのころから漠然と「自分は日本に合っていないのでは?」という気がしていました。日本って、人に敷かれたレールの上を歩いて、ちょっとでも脱線するとアウトだったりするところがあるじゃないですか。「失敗したときに、受け皿がない社会だな」と、なんとなく感じていました。
大学編入・大学院進学について考えていた時に、ある文化人類学教授の方の講義を聞く機会があったんです。その先生に、「海外に行って学んでみたら?」って言われて、「じゃあ、そうしようかな」という感じで決めました(笑) もしその先生に出会わなかったら、アメリカには行かなかったかもしれませんね。
―テネシー大学ではどのようなことを学ばれたのでしょうか。
「自然人類学」を専攻しました。日本の人類学は主に「文化人類学・民俗学」という文系が主流ですが、アメリカの人類学は、文化だけじゃなく「自然人類学」という理系の人類学もあるんです。例えば進化論とか、「人はどこから来たんだろう?」などを研究する学問です。
その自然人類学の中でも興味があったのは、「法人類学」という、骨を見て個人の身元を特定したりする分野です。アメリカでは、殺人事件などで死体の損傷が激しい場合、法人類学者がまず骨を見て、人間かどうかとか、性別や年齢などを判断するんですね。
その時の大学院の先生は、州で指定された法人類学者だったので、骨が発見されると、警察から連絡を受けて現場に呼ばれることがあり、私も一緒について行くことがありました。
テネシー大学には「死体農場」と呼ばれる、野原のような場所に遺体を置いたり埋めたりして、死体の変化を観察し、研究する施設があります。アメリカでも「倫理に反するんじゃないか?」っていう声があったのですが、当時の先生が、「いや、研究のためにつくるんだ。研究を通して亡くなった人たちの声を聞くんだ。」とおっしゃって。当時でも、かなり前衛的な研究をしている大学だったと思います。
―大学院卒業後は研究員を志されたのですね。
当時、自然人類学は卒業してもなかなか就職先がない分野でした。サンフランシスコで、客員講師の仕事を2年ほどすることになったのですが、頭でっかちの理論を教えているだけで、医学でいう「臨床」ができていないなと感じていたんです。それで、研究職に就こうと思い、アメリカやドイツのいろんな研究所に応募したのですが、いつも最後で落とされていました。
そんなある日、テネシー大学の恩師からアメリカ陸軍のリサーチ研究所を紹介されました。「とりあえず履歴書を送ってください」と言われたので送ったら、「1週間か2週間後にポジションつくりますので来てください」と言われて、ボストンにあるアメリカ陸軍研究所で仕事を始めることになります。30歳の頃でした。
産官学でキャリアを積んだ20年間
―研究所では、どのような仕事に携わったのでしょうか。
これまで勉強したことのない、人間工学や生態物理の研究部署へ配属されました。ただ、人体の構造や人種民族・性別の違い、統計処理の基礎知識はあったので、それをもとにガスマスクや服のデザインを行ったのが最初の仕事でしたね。
当時は白人男性兵士を中心にデザイン設計されていたので、女性やマイノリティーの兵士にも合うように、エンジニアとコラボレーションしてデザイン・検証を行いました。
自分の経験を応用できたのはとても良かったと感じています。でも、このプロジェクトの時は、大きな部屋でずっと1人で仕事をしていて「これは精神的にきついなあ」と思うようになりました。
上司は1週間に1度しかオフィスに来ず、そして1日に1回清掃に来る人と会話を交わす程度のコミュニケーションでは寂しくなり、向かいにあった環境医学の研究所のリサーチャーと施設内にあったカフェテリアで話をするようになります。
会話を重ねるうちに、一緒に研究をすることになり、衣服、運動量、気候、被験者の心拍数を使って直腸温を簡単にシミュレーションできる温熱モデルを開発しました。生理学者やエンジニア、医師とチームを組んでさまざまな熱環境の中で実験データを収集する日々は、1人で仕事をしていた日々よりも断然楽しかったですね。
ちょうどイラク戦争やアフガン戦争の時期とも重なり、戦地に派遣された兵士の熱環境下でのパフォーマンスや熱ストレスレベルなどの研究にも携わりました。具体的にはさまざまな人種・民族から成り立つアメリカ人兵士が同じ熱環境下で仕事をしているときに、個人差はあるのか、またどういう人が熱中症になりやすいのかなどの分析です。
結果、15年間ほど陸軍研究所にいましたが、会社員やナショナルリサーチカウンシル(NRC)の上級研究員、国家公務員(主任研究員)など、さまざまなポジションで働くことで、いろんな経験を得ることができました。
―その後、企業にも就職されたのですね。
15年ぐらい同じ陸軍研究所にいたのですが、自分のキャリアや置かれた環境を見つめ直し、「ここで転職してもいいかな」と思って、思いきって陸軍研究所を辞めることにしました。
たまたま当時髪を切ってもらっていた美容師さんに仕事の話をしていたら、彼女の知り合いにエンジニアリング会社のオーナーがいるからと紹介されて、ネズミを使った実験の器具(ネズミの心拍数を測定するモニターや、ネズミ用のランニングマシーンなど)を開発する会社で働くことになりましたね。でも、オーナーとのビジネスにおけるビジョンの違いを感じ、今度は大手ヘルスケア企業に転職しました。
そこでは、患者疾病報告という患者に寄り添う治療法に関する研究に携わりました。やりがいのある大きな職場ではありましたが、約2週間で英語論文を1本書かなければならないほど仕事のペースが早く、専門分野でもなかったのでついていけないと感じ始めます。そんな時、たまたま八戸高専の教員の公募を見つけました。
―数々のキャリアを経て高専へ。偶然の巡り合わせですね。
本当にそうなんです。「KOSENって何?」っていうところから始まり、八戸がどこにあるのかもわからない状況でした。
青森県八戸市について調べたら、寒いけど、あまり雪が降らない土地であることがわかって。当時はアメリカのボストンという雪深いところに住んでいたので、雪の多さにウンザリしていました。「八戸だったら、気候の適応もしやすく、雪かきもそんなにしなくていいな」と思って、そういう簡単な理由で来ちゃったんです(笑)
今思えば、私は「やりたいこと」「いいなと思ったこと」に対して、ずっと真っ直ぐに突っ走ってきたんだと思います。日本か海外かという場所の問題よりも、自分が「いいな」と思う方にまず動いてみることが大切だと思っているんです。
コロナウイルス感染拡大の中で世の中は大きく変化しました。「誰かがやってくれるだろう」という受け身ではなく、自分から決断することが、これからのキャリア・人生にとってとても重要です。私は自身の経験を通して、学生たちにいかに激動の時代をサバイバルで生きていくか、問いかけ、伝えるようにしています。
チャレンジとは、とにかく行動をすること
―現在、高専で英語を教えておられて、いかがですか?
最初の授業で感じたのは、学生さんがあまり話さないなと。授業で、「ここ、わかりますか?」と聞いても、シーンってなるんです(笑) 世の中がグローバル化していくっていうことは、ある意味、自分の意見を言っていくことでもありますから、「これではいけない」と思いました。
それと、学生さんは英語の語彙はちゃんと頭にあるんですけど、その使い方をわかっていない場合がありますね。例えば、「辞書を借りていいですか?」と言いたいとします。日本語の「借りる」にあたる英語は、“rent”もあれば“borrow”もある。そこで、「どれなんだろう?」で止まっちゃって、「わかりません」になっちゃうことがあるのです。
しかし、「そこ、1歩戻ってみて、『借りる』の代わりに、『使っていいですか』って言える?」って聞いたら、“use”を使ってちゃんと答えられるんです。だから私のクラスでは、学んだ語彙をどう生かすか、というようなことも話したりしていますね。
―そのほか、教育活動で力を入れていることはありますか。
2020年から国際交流センター長に就任しましたが、その頃からコロナ感染拡大がひどくなり、2020年・2021年度の海外派遣・短期留学生受け入れは全て中止になりました。現在留学生は合計16名(うち女子8名)で、出身国はタイ、インドネシア、モンゴル、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ラオスと、さまざまな国の学生が本校で勉強しています。
また、本校は学生が自ら課題を発見し、実験や調査を行って解決する「自主探究」プロジェクトが必修です。オンラインの異文化交流やSDGs関連のワークショップを導入することで、多くの日本人学生が国際自主探究にチャレンジできるような土壌をつくり、学生たちが海外に飛び出せるように準備を進めています。
―最後に学生たちへメッセージをお願いします。
海外への留学に興味があるのなら、ぜひチャレンジしてください。家庭や経済事情で行けないという場合でも、今はオンライン留学など多くの選択肢があります。どんな事情があっても、チャンスは自分でつかむものだということです。
チャレンジとは、とにかく体を動かすことだと私は思っています。大それたものでなくて、見える景色を少し変えていくだけでいい。小さな行動が次への大きなステップにつながりますよ。
横田 実世氏
Miyo Yokota
- 八戸工業高等専門学校 総合科学教育科 教授
1997年 テネシー大学(ノックスビル校)大学院 人類学部(自然人類学) 博士課程 修了
1997年〜1999年 サンフランシスコ州立大学 客員講師
1999年〜2007年 SAIC リサーチ研究員(米国)
2006年〜2009年 ナショナルリサーチカウンシル 上級研究員(米国)
2009年〜2014年 米国陸軍環境医学研究所 主任研究員
2015年〜2016年 マウススペシフィックス プロジェクトマネージャー(米国)
2016年〜2018年 ユナイテッドヘルスグループ サイエンスチーム シニアアナリスト(米国)
2018年より現職
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