石川工業高等専門学校の電気工学科を卒業し、電子情報工学科の教員として母校に戻ってきた山田洋士先生。これまで歩んで来られた道を振り返りながら、研究分野や米国・ライス大学での経験についてお話を伺いました。
部品や電子回路が好きだった
―高専に進学したきっかけを教えてください。
高専への進学を進めてくれたのは父でした。私の性格をみて「向いているだろう」と思ったのでしょう。子どもの頃は大工さんや電気屋さんになりたかったので、たしかに私にぴったりの進路でした。
乾電池にモータや豆電球をつなげると、モータが回ったり、豆電球がつくでしょう?当たり前と言えば当たり前のことなのですが、私はその現象がおもしろくて、「不思議だな~」と思いながらずっと見つめるのが楽しくて……(笑)。物心ついた頃から、そんな少年でした。
高専に入るまでは剣道をしていたので、高専でも最初は剣道部に入り、野村信福先生(強い!)と稽古していましたが、途中で「電気班」と呼ばれる、現在のコンピュータークラブのような部活に所属しました。無線機をつくったり、オーディオの回路を研究して文化祭で展示したり。
放課後、部室に行くと、私たちにしかわからない専門用語が飛び交っているわけです(笑)。仲間だけに伝わる言葉で通じ合えるので、部室に行ってみんなと話すのが楽しかったですね。
顧問の先生が予算を取ってくださったおかげで、部室には立派な測定器もありました。電子回路をつくるにしても、上手な先輩がつくると性能が良くて、見た目もすごくいいんですよ。
―技科大ではどのような研究を?
当時は自身のキャリアを考える、といった意識を私自身が持っておらず、大学への編入学も1クラス数名ほどでした。私自身も具体的な希望はなかったのですが、高専の先生から技科大のことを伺ったのがきっかけです。技術を学ぶのが楽しくて仕方がなかったので、「それならここしかないな」と(笑)。
技科大で、「ディジタル信号処理」と呼ばれる分野に出会い、少ない計算量で信号処理を実現する手法に取り組んでいました。現在研究に取り組んでいる無線信号処理/無線信号計測の分野では、当時では考えられないような洗練された手法が使われています。
身近なところだと、こうした技術はスマートフォンで通話する際の音声信号処理や、テレビ会議の時のデータの送受信などにも応用されています。こうした「データがデータになる前の段階での処理手順」を考えるのが、私の得意分野なんです。
社会人経験を経て、母校の教壇へ
―修士課程修了後、一般企業に就職されたのですね。
卒業後、アンリツ(株)という計測器メーカに就職しました。日本初・世界初の計測機器を数多く実現してきている企業でありながら、一般の方には馴染みがない、まさに知る人ぞ知る企業です。入社1年目で、神奈川の厚木の研究所に配属。新入社員として最初にした仕事は、画像処理関係の技術調査でした。
測定器メーカのおもしろいところは、世の中にモノが出回る前の段階から商品開発がはじまる点です。「世の中にはまだないモノを測定する機械」を提供するので、回路でもデバイスでも、少し先回りして商品を開発する必要があります。
でも、先回りしすぎても市場の需要がなく、商品としては成り立ちません。「ちょっと先」というのがおもしろくもあり、難しいところです。
そんなある時、石川高専に新しく「電子情報工学科」が設置され、教員を募集していることを知りました。私自身は「自分は教員には向いていない」と長らく思っていたのですが、高専は自分を成長させてくれた場でしたので、募集を知ったのも何かのご縁だと思い、採用試験に応募して、なんとか採用いただくことができました。
当時はバブル崩壊の直前で、社会の「異常さ」を感じていたことも、転職の理由のひとつです。景気が良くて金利が高く、少し投資をすればすぐにリターンがある。経済活動のあり方が、少しおかしな方向に向かっていたように記憶しています。
神奈川の厚木周辺にも山があり、温泉もある。環境が良いところは石川に似ているのですが、地価がびっくりするほど高いんですよ。雨が降ると電車が遅れるのも、田舎者の自分にとっては驚きで(笑)。繁華街でタクシーをつかまえようとしても、空車はすぐに埋まるので全然つかまらない。「なんだかおかしいな」と思いはじめていた時期でした。
その点、高専は自分自身をつくってくれた場所です。研究をしたい気持ちもあり、母校に戻れば道が開けると感じました。
―母校で指導にあたることになり、どんなお気持ちでしたか。
私が赴任したのは電子情報工学科ができて3年目の年で、26歳の時でした。もともと技術系の分野が好きで、仲間と話すのも好きだったので、年齢も近い学生たちに囲まれる環境に違和感はありませんでした。
学生たちに興味があることを教えるのは楽しいし、文化祭で学生と一緒にバーベキューをしたこともありますよ。考えてみたら、高専生時代の部室の雰囲気は、学会の研究会で専門的な議論をするのと少し似ているかもしれませんね(笑)。
赴任してから、剣道部の顧問を約30年間続けています。私自身はリタイア組ですが、学生が本当に立派なんです。だから、練習試合や大会などの機会があれば、なるべく多くその場に参加できるよう、スケジュールを調整して引率しています。
今も昔も、していることは変わらない?!
―アメリカでの研究はいかがでしたか。
ライス大学は、全米でも有数の研究大学の一つで、ディジタル信号処理の研究では、今も昔も存在感のある大学です。研究に対する厳しさが半端ではないことが強く印象に残っています。2005年の夏に専攻科生のT君を帯同して先方の費用で2ヶ月半くらい滞在させていただき、2006年には高専機構の在外研究員として半年間滞在させていただきました。
2005年の滞在は、東工大の大岡山キャンパスで開催された学会の懇親会がきっかけでした。先方で実施している教育プロジェクトに日本から参画するメンバーを探しておられ、ライス大学でコーディネータ的な役割を果たしている方とその懇親会でお話しする機会があり、「プロジェクトに参加したいです!」と手を挙げたら、実現したという経緯です。
2006年の滞在は、かねてから希望を出して申請していた高専機構の在外研究員が認められたものでした。米国に行って、日本との違いもたくさん実感しました。じっと黙っているだけじゃだめで、自ら手を挙げたり発信したりすることが、評価や次のチャンスにつながります。チャンスが巡って来たときに、それをモノにした人だけが残っていく。そんな厳しさも感じました。
当時取り組んでいた周波数領域能動騒音制御と呼ばれる内容を、ライス大学で開催されたミーティングでポスタ発表したところ、「あなたの研究内容は、University of Texas at Dallas(UTD)のI先生の研究と類似性が高い。I先生を紹介するから、ぜひ話をしに行ってこい。」と聴講に来られていたN社のエンジニアの方に熱心に進められたという経験もしました。
ヒューストンからダラスに飛んで、空港からはレンタカーでUTDまで移動し、へたくそな英語でプレゼンしたことは、今でも少し恥ずかしく覚えています。研究に関する競争がとても厳しいので、こうした交流が積極的に行われているのだ、ということを学びました。
―指導の際に気をつけていることはありますか。
30代の頃から「一隅を照らす」をモットーにしています。周りの先生方と協力して、私が照らすことのできる範囲で学生を照らすとでも言いましょうか。世界中の研究者が激しく競う領域からは少しだけ距離を置いて、自分が得意とする分野を突き詰めてオリジナリティのある研究をしたい。そんな気持ちで毎日指導と研究にあたっています。研究成果は、自身のWebページなどで公開しています。
私自身は不器用で、小さいエンジンでフル回転しないと前に出ないタイプだと感じます。そうした性質を乗り越えながら、今に至ります。でも、振り返ってみると、自分の興味のあることで生きてきていますね。
高専時代も大人になってからも、自分が最も得意なフィールドで好きなことを研究して仲間たちと共有し楽しんでいる(笑)。もちろん、そのためにはやるべきことは、人並み以上にやるのが最低条件なわけですが。
プライベートでは、散歩や山歩きが好きです。思いがけない景色を見つけるのが楽しくて、写真もたくさん撮ります。そうそう、石川県の海岸沿いにある内灘町に行くと、石川高専の校舎の後ろに富山の名峰である剱岳が見えるんですよ。
寒くて空気が澄んでいて、晴天の休日であることが条件なのでかなり難関ですが(笑)。他にも、金沢市内の低山から槍ヶ岳や白馬岳が見えたりして、思いがけない景色に出会えることがあります。石川県南端にある白山も、能登半島や富山県からも見えることがあります。
―最後に、受験生にメッセージをお願いします。
高専は、専門的な内容を学べる学校だと思います。もしかしたら、「万人に勧められる」という学校ではない面もあるかもしれませんが、技術を学ぶことが好きな人にとっては格好の環境です。友達や先輩後輩、先生方と好きなことについて話す時間は最高に楽しいですよ。
山田 洋士氏
Yoji Yamada
- 石川工業高等専門学校 電子情報工学科 教授
1985年3月 石川工業高等専門学校 電気工学科 卒業
1987年3月 長岡技術科学大学 工学部 電子機器工学課程 卒業
1989年3月 長岡技術科学大学大学院 工学研究科 電子機器工学専攻 修士課程 修了
1989年4月 アンリツ(株)
1990年4月 石川工業高等専門学校 電子情報工学科 助手
2012年より現職
2004年6月 博士(工学)・長岡技術科学大学
2005年7月~2005年9月 Texas Instruments Visiting Associate Professor, Rice University.
2006年4月~2006年9月 国立高専機構 在外研究員(ライス大学)
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