高専教員教員

「やってみよう」の先に見つけた高専教員の道。写真、農業、デザインが織りなした新しい未来

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「やってみよう」の先に見つけた高専教員の道。写真、農業、デザインが織りなした新しい未来のサムネイル画像

大分高専の都市・環境工学科で助教を務める傍ら、長岡技術科学大学の博士課程にも在籍する永井麻実先生。幼少期からデザインに興味を持ち、写真家を目指していた時期もあったそうです。思いがけない縁から高専の教員になったという背景を伺ってみると、そのユニークなご経歴が見えてきました。

デザインと写真の世界に魅了された学生時代

―大学時代の話を聞かせてください。

生まれ育った鹿児島は芋が特産品ということもあり、実家は焼酎に使用するサツマイモの加工をはじめ、さまざまなサツマイモの商品開発を手がける会社を経営していました。そんな環境で育ったため、いつしか農業の分野を学んでみたいと思うように。そこで、思い切って1年浪人をして大学受験しようと決めたんです。

ところが、浪人生活を送る中で「あれ、私って本当に農業がやりたいのかな」と自問自答するようになりました。改めて自分が好きなことを見つめ直してみると、芸術好きの父に連れられて町中の美術館を巡っていた幼少期の記憶が蘇ったのです。デザインのことを考えるとワクワクする自分がいました。

▲小学1年生の永井先生(左端)。当時中国(北京)の高校に通っていたお兄さんたちに会いに行ったときの一枚。永井先生は6人きょうだいの末っ子だそうです。

実は浪人を決めた際に、入試の雰囲気だけでも体験しておこうと京都府立大学を受験していました。そこに「環境デザイン科」があったことをふと思い出し、直感的に「ここに行こう!」と。後期は実技試験もあったので大変でしたが、無事に合格。ただ、メインは建築を学ぶ学科とは知らず、入学してから「めちゃめちゃ製図するじゃん!」とびっくりしました(笑) でも、やってみたら面白くて、どんどんのめりこんでいきましたね。

▲大学時代、課題提出直前はみんなで製図室に篭って徹夜していました。出前を取ることも。

―卒業後の進路はどのように考えていましたか。

大学1、2回生では建築事務所に就職しようと考えていたのですが、3回生の頃に写真ギャラリーでアルバイトを始めたことがきっかけで、ガラリと方向転換。作品の搬入を手伝ったり、カメラマンのアシスタントをしたり……もともとカメラが好きだったこともあり、学業がおろそかになるほど、どっぷりとカメラの道にハマっていき、次第に「これを仕事にしたい」と思うようになりました。

▲撮影を行う永井先生。銭湯好きな大学時代の先輩方の前撮りを担当しました

そこで、卒業後は知り合いがたくさんいる東京に移り住み、フリーターとしてカメラマンのアシスタント生活をスタートさせました。そんな日々も楽しくはあったのですが、なかなか腹をくくれず、見かねた両親から連絡を受けて地元に戻ることにしました。大学卒業から1年後のことです。

―地元に戻ってからは何をされていたのでしょうか。

「サツマイモをニューヨークに売りたいから、そのサポートをしてほしい」と言われ、家業の「海連」に入社しました。ところが実際に現場を見てみると、海外に進出するよりもまずは地盤を固めたほうが良いと判断し、パッケージのレイアウトを変えるなどブランディング的な役割を担っていました。

▲永井先生が商品開発を担当したやきいも商品。JALの会員情報誌「AGORA」でも紹介されました
▲ブルックリンにある日本食スーパー「Japan Village」にて販売会に参加した時の写真。「こんなおいしいSweet Potatoは食べたことがない! Amazing!」と好評でした

そして、こうして家業を手伝うようになったことで、高専とつながるきっかけに恵まれました。

地元に戻ったことが教員になるきっかけに

―高専との出会いについて教えてください。

当時、実家がサツマイモを処理するときに出る汚泥を活用すべく、鹿児島高専と共同研究を行っていたからです。私は研究に直接関わったわけではないのですが、やりとりをする中で「ただの汚泥に見えても、専門的な視点が入ると価値があるものになるのか」と非常に感心し、研究への興味が芽生えたことを覚えています。

そのときに出会った山内先生から、長岡技術科学大学の山口隆司先生を紹介していただき、「今、長岡技術科学大学のイノベーション専攻の枠が空いているよ」と声をかけてもらいました。当時は博士号を取ることの大変さを理解していなかったんでしょう。実家に還元できる研究につながるかもしれないし、面白そうだし、と、あまり深く考えずにチャレンジしてみることにしました。

―長岡技術科学大学では、どんな研究をしているのですか。

水処理技術の開発で、微生物を使って汚い水をきれいにする研究に取り組んでいます。あわせて、処理した際に発生する微生物の塊を、土壌改良材として利活用できないかも研究しています。水は、世界中どこに行っても欠かせないもの。この技術が確立できれば、たくさんの人が救われることは間違いありません。それが、一番のモチベーションとなって今日まで研究を続けられています。

イノベーション専攻では、海外実習が必修のため、2023年にはタイのチュラロンコン大学でエビ養殖に関する研究を実施しました。日本とタイとでは研究環境も違えば研究室にいる人たちの雰囲気もまったく違う。最初は衝撃でしたが、研究分野や立場、国が違う人と話すことは飽き性の私にはぴったりで、楽しいです。現在も、タイの大学と共同研究を進めているところです。

▲チュラロンコン大学のラボで水質検査をしている様子

―高専の教員として働くきっかけは何だったのでしょうか。

大学院2年生の冬にイノベ専攻全体の新年会パーティーを主催したことがありました。特に奇をてらったことはしていないのですが、そのときの企画を気に入っていただき、春には花見パーティーを任されることに。すると今度は、長岡技大のSDGsに関する国際会議「STI-Gigaku」の実行委員長も任せていただき、400名規模の会議をまとめあげる経験をしました。

▲国際会議「STI-Gigaku」運営メンバーで集合写真。企画・運営がとても楽しかったそうです

そんな私の姿を見ていた指導教員の先生から「高専教員、向いていそうだけど、どう?」と声をかけられたのが最初のきっかけです。家業については、両親から「戻ってくるところがないと思って長岡へ行きなさい」と言って送り出してもらっていましたし、就職するにしても、飽き性の自分に企業勤めは合っていない気がする……そんなことを考えていた矢先だったので、少し迷いました。

何せ、自分が教員になるなんて今まで一度も考えたことがありませんでしたから。でも、せっかくなら挑戦してみようと思い、2024年から大分高専で助教を務めています。現在はまだ大学院に所属しているため、仕事を調整していただいている身ですが、とても楽しい毎日です。

そういえば、ちょうど教員になるか迷っていた頃、長岡の課題解決を目指すアイデア実践型プログラム「長岡未来デザインコンテスト」に出場したことがありました。私のチームはミシュラン獲得の料亭の料理に合う地酒が楽しめるセットを提案し、ありがたいことにグランプリをいただいたのです。そのとき、同じチーム内に長岡高専の学生がいて、すごく意欲的に取り組む姿を見て「高専生ってすごいな」と思ったんです。もしかしたら、その経験も後押ししてくれたのかもしれません。

▲長岡未来デザインコンテストのチームメンバーと。最終審査日、永井先生はタイにいたため、代わりにメンバーが手作りのお面をつくってくれました

「とりあえずやってみよう!」の精神

―想定していなかった環境に身を置くことに、不安はありませんでしたか。

教員になると決めた際は、人生の中でも指折りの不安を感じていたかもしれません。でも、思い切って飛び込んでみたら1、2カ月で慣れてきました。学生の独創性や行動力には驚かされることが多く、とてもやりがいがある仕事だなと思っています。

▲大分高専にて。研究室の指導学生と一緒に

もちろん、未知の世界に飛び込むことで失敗するかもしれないという思いは常にあります。でも、やってみないとわからないことだらけですし、失敗してもしなくても、別の視点が養われることは確かです。だから、何事もチャンスがあるなら「とりあえずやってみよう!」という精神で生きています。

思い返せば、小5の頃に奄美大島で開催された無人島サバイバルキャンプのイベントに参加して、数日間無人島で生活したことがあったんです。最初は不安でいっぱいでしたが、それがもう本当に楽しくて——以来、イベントがあるたびに申し込むくらいのハマりようでした。もしかすると、このときの原体験が「とりあえずやってみよう!」の精神につながっているのかもしれません。

また、鹿児島で生まれ、大学で京都に行き、東京に行ったかと思えば新潟、そして大分……と、私は生活環境がよく変わっていますし、おまけに興味の対象もその都度違います。でも、それがすごく楽しいんです。何ごとも、一歩踏み出せば世界が広がることを身を持って知っていますから。

―今後の目標を教えてください。

海外で働いてみたいです。10代の頃は「挑戦するなら都会=東京」というように、ガチガチの固定概念にとらわれていました。例えば海外に行くにしても「首都じゃないと意味がない」と。でも、旅行でさまざまな国を訪れたり、研究を通してたくさんの出会いに恵まれたりする中で「目的がなければどこに行っても同じだ」と思うようになったんです。

▲プラハでの一枚。フリーター時代に欧州居候一人旅(5カ国8都市)を決行し、現地の知り合いの家に居候しました

大切なのは「どこに行くか」ではなく「その場所で何をするか」。今の私にとっては、自分の研究テーマを生かせる国に行くことが一番の目標です。ですから、例えばアフリカや東南アジアなどで働いてみたいですね。挑戦できる場所があるなら、どこへでも飛び込んでいきたいと思っています!

―最後に、高専生にメッセージをお願いします。

どんな経験も、人生のどこかで必ず生きるときがやってきます。広く浅い知識は頭の中の引き出しがたくさんになり視野が広がりますし、狭く深い知識は仕事をする上での武器にもなり得る。実際、私が学部の時に学んだ建築の知識や企業で得た知識は多角的に考えるヒントになっていますし、写真家を目指してカメラに没頭していた経験は今でも広報活動などに生きています。

▲永井先生が撮影した都市・環境工学科の紹介写真。大分高専の学校案内に掲載されました

今までやったことのない分野に取り組む時は「うまくできるだろうか」「失敗したらどうしよう」と不安や緊張でいっぱいになることもありますが、「とりあえずやってみよう!」の精神でいろいろなことに挑戦してみてください。

永井 麻実
Mami Nagai

  • 大分工業高等専門学校 都市・環境工学科 助教

永井 麻実氏の写真

2017年3月 京都府立大学 生命環境学部 環境デザイン学科 卒業
2018年9月 株式会社海連
2021年4月 長岡技術科学大学 大学院工学研究科 技術科学イノベーション専攻(在学中)
2024年より現職

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