高専教員教員

教員の傍ら、博士号を取るために大学院へ。目指すは高専の価値を高める教育

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母校・呉高専の建築学科で助教を務める河﨑啓太先生。現在は博士号を取得するために教員をしながら大学院にも通っています。その背景にあるのは、河﨑先生の「もっと良い教育をしたい」「高専生の価値を、さらに広めたい」との思いから。詳しく伺いました。

強い思い入れがあるわけではなかった

―呉高専の建築学科に進学した理由を教えてください。

中学3年の頃、母親から「こんな学校があるよ」と勧められて高専の存在を知りました。それまでは選択肢の中にまったく入っていなかったので、普通高校に行くつもりだったのです。でも、高専に進んだほうが早いうちから就職に役立つスキルが身につくと感じ、進学を決めました。

ただ、建築学科を選んだのは「絶対に建築がしたい」わけではないというのが正直なところです。機械工学科、電気情報工学科、環境都市工学科、建築学科の4つがある中で、唯一興味があると思えたのが建築学科でして……。実際は、確固たる意志があって進学したわけではないのです。

―実際に入学してみてどうでしたか。

とにかく授業と課題が多い! 現在はカリキュラムが変更して授業数が大幅に減りましたが、当時は朝から夕方までみっちりで、普通高校に行った友達と比べると段違いで忙しかったですね。また、普通高校の場合は夏休みが7月末から8月末までに対し、高専は8月から9月後半くらいまでが夏休みなんです。まさに、大学と同じ。長期休みはうれしい反面、中学の頃の友達と予定を合わせにくいと感じたことはよくありました。

▲高専2年生の頃の河﨑先生。球技大会後の1枚

普通高校との違いといえば、大学受験シーズンも印象的です。中学の友達が受験勉強で忙しくしているとき、自分はまだ高専3年生。このままでいいのだろうかと考えたこともありました。そう思ってしまったのは、モチベーションも大きな要因です。

低学年の建築学科の専門科目は、夢中になれる分野がなく、あまり楽しめなかったのです。そんなときに友達が受験勉強している姿を見てしまったものですから「自分も高専を辞めて、センター試験を受けて大学に行こうかな」と考えたこともありました。

―気持ちを立て直すきっかけになった出来事は何でしたか。

高専4年の頃に、建築環境工学の分野に出会ったことです。私が設計や製図といったデザイン系の分野でモチベーションが上がらなかったのは、見る人によって評価が異なる点にありました。自分がどんなに良いと思ってつくったものでも、先生からは評価してもらえないことがあり、なかなかうまくいかなかったのです。

でも、4年生になり、建物内の空気・水・光・音などについて研究する学問に出会いました。この分野は自分に身近であるかつ定量的に評価ができたので、自分の肌に合うと感じてみるみるはまっていきました。また、5年生になると、空調・給排水・電気設備について学ぶ建築設備の授業もあり、さらにのめりこんでいきました。

▲高専5年生の頃の河﨑先生(右)。駅伝大会にて

一度はあきらめた教員の夢

―高専卒業後は大学に編入していますが、なぜですか。

正直に言えば、まだ就職したくない気持ちが大きかったですね(笑) やりたい仕事が明確にあったわけでもなかったので、進学したほうが就職の選択肢が広がるのではないかと思いました。広島大学を編入先に選んだのは、地元に残りたかったからです。

大学では、貯留水(農業用のため池や貯水池)をヒートポンプの熱源として利用する「未利用熱のヒートポンプの研究」をしていました。大規模な複合施設等で川や海の水を熱源として利用している事例はあるのですが、貯留水を活用した事例は、私が知る限りはまだ日本にありません。もしも実現したら、近年は特に重要視されているカーボンニュートラルに貢献できるはずです。

▲大学生の頃の河﨑先生(右)。ポスター発表の会場にて

こうした新規性に非常にやりがいを感じ、「もっと追求したい」と、大学院まで進学しました。

▲大学院の博士課程前期(修士課程)の修了式にて、恩師の先生(左)と一緒に

―その後は一般企業に就職していますが、会社はどのようにして選びましたか。

東京にある設備設計専業の設計事務所に就職しました。ここなら自分が高専で学んだことや大学で取り組んだ研究内容が生かせると思ったからです。また、広島にも支社がある会社でしたので、いつかは地元に戻れるという期待もありました。

実は、大学生の頃に高専教員になることを考えたこともありました。もともと人に教えることは好きでしたし、自分はそういう仕事のほうが向いているのかも、と。でも、教員は毎年募集しているわけではありません。希望のポストに空きが出ないと、どれだけなりたくてもなれないのです。そんなこともあり、一般企業への就職を選びました。

すると、3年が経った頃に大学の恩師から連絡を受けました。なんと、呉高専に教員の空きが出たという知らせでした。恩師には高専教員に興味を持っている話をしていたので、真っ先に私に声をかけてくださったのです。

―その話を聞いたときは、二つ返事でOKを出したのでしょうか。

8割くらいは断るつもりでした(笑) もうなれない仕事だと思って諦めていましたし、仕事でまだ結果が出せていないもどかしさを感じていたので、まだまだ会社で頑張りたかったのです。でも、日が経つに連れて「やっぱりやってみよう」という気持ちが強くなり、2022年9月に母校に戻ることになりました。

博士号を取得するために

―現在、教員として学生と接する上で心がけていることはありますか。

周りの先生方と比べると、世代的には学生に近い存在だと思っています。同じ視点で肩を並べて話せる存在でいようというのは、常日頃から意識していることですね。また、時代は刻一刻と変わっているので「先生が学生だった頃は……」と、自分の学生時代を押し付けないようにするのも大切だと思っています。

▲学生を指導中の河﨑先生

また、学生たちには質の高い教育や研究の場を提供したいです。そのため、2023年から博士号取得に向けて広島大学の大学院に入学しました。外部の方々から、もっと「高専生は面白い研究をやっている」と評価していただけるよう、私自身が教員として研究者として、もっと高みを目指したいと思っています。

―高専生の良さはどこにあると思いますか。

一番は、若いときから専門分野を勉強できることです。また、大学はアカデミックな教育の側面が大きいのに対し、高専のほうが実務寄りの教育を受けられるのではないかと感じています。建築学科を例に挙げると、実際に設計事務所を経営している先生が講義を担当することもあり、現役だからこそのリアルな話を交えて教えていただけるのです。

こうした環境が整っているからこそ、高専生は社会に出てストレートに経験や知識を生かせるのではないかと思っています。

▲高専の卒業式にて、河﨑研究室メンバーと一緒に(中央:河﨑先生)

―高専生へメッセージをお願いします。

「自分の頃は……」と、あまり言わないようにしてはいるものの、もし今の私が高専生だった当時の自分に声をかけるとするなら、真っ先に「テストのための勉強をするな」と教えてあげたいです。授業を受けて暗記さえすれば、それなりにテストで良い点数を取ることは可能です。でも、そこに目標を置いてしまうと、どうしても本質的な理解からは遠ざかってしまいます。

もちろん留年してしまっては意味がないので、テスト勉強に力を入れることも大切でしょう。しかし、テストのその先にある実務や今後の研究のことも見据えて勉強をすると、きっと生きた知識が身につくと思うのです。実際、私は社会に出て働くようになってからそれをひしひしと感じています。

あなたが見ている景色の、さらに向こう側にある未来に向かって、ぜひ頑張ってください。

河﨑 啓太
Keita Kawasaki

  • 呉工業高等専門学校 建築学科 助教

河﨑 啓太氏の写真

2015年3月 呉工業高等専門学校 建築学科 卒業
2017年3月 広島大学 第四類(建設・環境系) 卒業
2019年3月 広島大学大学院 工学研究科 博士課程前期 修了
2019年4月 総合設備コンサルタント 入社
2022年9月より現職
2023年4月 広島大学大学院 先進理工系科学研究科 博士課程後期 入学(在学中)

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