
都立産技高専 品川キャンパスのAIスマート工学コース4年生である西谷颯哲さんは、DCON2024で詐欺電話をリアルタイムで検知する「FraudShield AI」で最優秀賞を受賞し、2025年5月に株式会社ToI Nexus(読み:とい ねくさす)を設立しています。「FraudShield AI」を開発した背景や、起業を決めた経緯、ToI Nexusの事業内容などを伺いました。
アメリカ短期留学での失敗が、DCON参加のきっかけ
―都立産技高専に入学された経緯を教えてください。
小学生や中学生の頃の私は、夏休みになると、ラジコンやラジオをつくってみようといった工業高校の公開講座に参加していました。その流れで都立産技高専(品川キャンパス)の公開講座に参加した際、旋盤機械などが用意された総合工場やサーバールーム、そして学校そのものの規模の大きさに、一般的な工業高校とは違う印象を抱いたんです。
高専に進むか普通高校に進むかで迷っていましたが、高専の設備などを見てからは、高専のシステムなどを調べ、卒業後は大学編入の道もあることを知ったことから、都立産技高専への進学を決めました。
―高専でAIスマート工学コースを選んだ理由を教えてください。
品川キャンパスには機械システム工学コース、電気電子エネルギー工学コース、情報システム工学コース、AIスマート工学コースの4つがあり、2年進級時にコースを選択する制度になっています。その中でもAIスマート工学コースは、機械・電気・情報の3つの分野を横断して学べるのが特徴でして、そこに魅力を感じて選択しました。
また、1年生後半のときはChatGPTに代表されるAI技術の大きな波が来ていた頃で、AI技術を研究の主軸にしたいと少しずつ考えるようになったのも、AIスマート工学コースを選択した理由です。
―DCON2024に出場した経緯を教えてください。
1年生のときから「せっかく高専に入学したのだから、普通の高校だとできないことをしたい」と思っていて、論文コンクールやプログラミングのコンテストに出場していました。優秀な結果は出せなかったのですが(笑) ただ、それらは私個人で参加していたので、「そろそろチームを組んで何かしたい」と思うようになりました。
そこで、2年生の夏休みにチームでアメリカのシアトルに短期留学できるプログラムに参加することにしたんです。アメリカに行くためにはESTA申請が必要なため、サイトにアクセスして個人情報を入力。すると電話がかかってきて「今すぐ入金しないと渡米できない」と言われたので、私はすぐに1万円を入金しました。——その後、これが詐欺だったことに気づきました。

まさか私がこのような詐欺に遭うとは思いもしませんでした。「詐欺は他人事ではない」と痛感し、これを防ぐ必要があると確信した私は、9月にアメリカから帰国した後、技術力がある同級生に声をかけてDCONにエントリー。固定電話にかかってきた電話が詐欺であるかどうかを通話音声からAIで判断し、詐欺の可能性推移を音声やライトでリアルタイムに知らせる「FraudShield AI」の開発を目指したのです。

DCONという恵まれた環境
―DCONエントリー時点での西谷さんの技術力は、どれくらいのものだったのでしょうか。
正直、技術力は全然なかったと思います。高専に入学するまでプログラミングを学んだことがあまりなく、1年生のときには東京大学の松尾豊先生(DCON 実行委員長)の研究室が運営しているデータサイエンスの講座「GCI(東京大学グローバル消費インテリジェンス寄付講座)」を受講していましたが、どうにかこうにか付いていくのに必死なくらいでした。
―しかし、最終的に西谷さんのチームはDCON2024で企業評価額4億円を記録し、最優秀賞を受賞しました。どのように技術力を高めていったのですか。
DCONには現役エンジニアの方やリタイアされた方といった「アドバイザー」がたくさんいらっしゃり、隔週のオンラインMTGなどで技術的な疑問をクリアにしたり、次のMTGまでにするべきことを決めたりしていました。そのほかにも、開発中に分からない事項が発生したらチャットで質問するなど、アドバイザーの制度をフルで活用させていただきましたね。

また、収益構造を考えるといった経営面に関しても、アドバイザーやメンターの方にたくさん意見を伺ってブラッシュアップしていきました。そういった過程をひたすら繰り返し踏むことで、技術力だけでなく、経営力も高めていくことができたと思います。
―メンターについて、もう少し詳しく教えてください。
二次審査で本選への出場が決まった後、各チームに就いてプレゼン資料の作成や準備の助言などをされるのがメンターでして、私のチームは柳原尚史さん(株式会社Ridge-i 代表取締役社長)でした。本当にたくさんの厳しいフィードバックをいただきましたね。
一番印象に残っているのは、本選が徐々に近づく中で行った「ピッチの通し練習」です。ピッチで流すデモ動画をいったん用意したうえで柳原さんに見ていただくのがもともとの約束だったのですが、撮影が間に合わず、MTGの最初で「デモ動画なしで見ていただけますか?」とお伝えしました。すると、「本当にそんなことで良いの? ちゃんとマイルストーンを定めて、期限内にやらないといけないよね」と、厳しい言葉をいただきました。
そのとき私は、「これだけ厳しくおっしゃるってことは、それだけ期待して、真剣に考えていただいているからだ」と思い、チームリーダーとして心が折れてはいけないと、さらにエンジンをかけましたね。10言われたら次のMTGで11返すくらいの意気込みで、ひたすらに頑張りました。ここまで急速に成長できて、最優秀賞を受賞するに至ったのは柳原さんのおかげですし、本当に感謝しています。

©DCON2024
今思えば、アドバイザーやメンターの方が本気で私たちのことを考えてくださり、フィードバック→改善→フィードバック→改善→……を繰り返してプロジェクトを進めることができたDCONの環境というのは、本当に恵まれていたんだなと思います。こんなに厳しくフィードバックされたことは、他のピッチコンテストではなかったですから。
―DCONで最優秀賞を受賞してからToI Nexusを設立するまでの過程について教えてください。
実は、DCON直後は起業するつもりがなかったんです。もともとは大学編入を考えていたので、「普通に勉強する高専生に戻るのだな」と思いながらも、頭の片隅では「FraudShield AIを今後どうしていこうか」とも思っていました。ただ、大学編入への思いの方がかなりウェイトとして大きかったです。
そもそもなぜ私が大学編入に拘っていたかと申しますと、大学で仲間を集めて、チームとして社会にインパクトを与えるプロジェクトをしてみたいと思っていたからです。DCONに挑んだのも、チームで何かをしたいという思いで決めたアメリカ短期留学がきっかけでした。

柳原さんとDCONの祝勝会としてお食事をした際にも、大学編入に向けた学業を考えると、今の時点で起業するかどうかを判断するのは荷が重いといったお話をしました。夏休み期間の8月には柳原さんが高専にいらっしゃるなど、何度も相談させていただき、まずはできるところから開発や実証実験を進めていこうとなったんです。
そして秋ごろに、柳原さんや審査員の方とオフラインでお会いする機会をいただき、改めて起業とは何なのか、どんな楽しいこと/苦しいこと/気をつけないといけないことがあるのかといったお話を伺いました。もちろん、進路についてのお話もしました。
そうやって悩み考えていくうちに、私は「大学に編入して同じようなことをするのなら、すでにいる優秀な仲間と一緒に、起業・事業化支援プログラムがあるDCONという恵まれた環境下で取り組めば良い」ということに気付いたんです。最終的に私は大学編入の考えを捨て、起業することを決心しました。

DCONで最優秀賞を受賞したのが2024年5月で、株式会社ToI Nexusを設立したのが2025年5月ですから、1年ほど悩んでいたことになります。1度決めたことは基本的にやり切るまで変えない私にとって、非常に大きな決断でした。なぜ起業するのかを柳原さんや審査員の方と相談できたあの1年は、決して無駄な時間ではなかったです。「ToI」はIoTを逆にしたもので、「視点を変えて新しい価値をつくる」という意味を、「Nexus」には「人とのつながりをこれからも大切にしたい」という思いを込めています。
自分と同じ被害者を増やさないために、被害防止を最優先
―ToI Nexusの事業内容について教えてください。
DCONで培った自然言語処理技術を活用し、ソフトウェア・AI受託開発や、データアナリティクス、IoTデバイス開発を行っています。いくつか進行中の案件があり、順調にスタートが切れていると思います。
また、「FraudShield AI」から名前を変えた「サギ止め太郎」の開発にも取り組んでいます。「FraudShield AI」だと、「それってどんなプロダクトでしたっけ?」と言われることが多々あったので、分かりやすい名前に変えたんです。固定電話ユーザーの多くを占める高齢者の方が最終的に使うことを考えても、今の名前の方が浸透しやすいと考えています。

―現状のサギ止め太郎について、DCON以降どのようなアップデートを遂げていますか。
DCONでは固定電話にそのままマイクやセンサーを取り付ける仕様にしていましたが、現在は固定電話の受話器からクルクルと出ているコード(カールコード)と電源をサギ止め太郎に挿す仕様にし、より簡単に設置できるようにしました。


また、現在はDCON優勝時の検知アルゴリズムを改め、詐欺電話の検知精度をさらに高めるための改良を続けています。詳しい手法は知財の関係で公開できませんが、一例として処理をクラウド側に移行するといった改善を重ねている段階です。
―DCON2024の本選で審査員の方から「プロダクトを固定電話に外付けする仕様だと、長くユーザーに使ってもらえないのではないか」というコメントがありました。現状も外付けのままですが、この点についてどのようにお考えですか。
固定電話機に検知システムを内蔵することが理想だというご指摘も理解できます。しかし、固定電話の利用者自体が減少傾向にあり、新たに電話機を買い替える方は少ないため、外付けデバイスとする現在の形式のほうがより多くのユーザーに届くと判断しています。
市場が減少傾向にある固定電話ですが、都市部から離れた地方だとまだまだ根強く残っており、決して無視できる存在ではありません。警視庁や警察庁のデータによると、特殊詐欺の合計被害額は718億円※1で、連絡手段として電話が利用される割合は77.5%、そのうち90.5%は固定電話※2となっています。詐欺師からしてみれば、最新の検知システムが導入されていない固定電話を使っている高齢者の方は、良いターゲットなのです。
※1:警視庁「特殊詐欺対策ページ」より、2024年1月~12月の被害額
※2:警察庁「令和5年における特殊詐欺の認知・検挙状況等について(確定値版)」より
だからこそ私たちは“今すぐ”に詐欺を防げるよう、外付けデバイスとして“早く”検知システムを確立し、サギ止め太郎を普及させないといけません。どんどん変化する詐欺手口に“今すぐ”“早く”対応することに価値があるので、学業との両立は大変ですが、4年生での起業を決めたという経緯もあります。

そして、サギ止め太郎に関しては、収益よりもユーザー数の拡大と詐欺検知アルゴリズムの信頼性向上を最優先に考えています。今この瞬間にも特殊詐欺の被害は日々発生しており、このプロダクトを一日も早く広く普及させることで、私と同じつらい思いをする人を一人でも減らしたいという思いで開発を進めています。その結果として当社の信頼性が高まり、名前が浸透していけば嬉しいですね。なお、収益面についてはソフトウェア・AI受託開発など他事業で確保する計画です。
現在は自治体連携による実証実験の準備を進めています。サギ止め太郎を普及させることができれば、電話機内部での検知システム開発や、モバイルへの対応を進めていきたいです。
―起業を考えている現役の高専生にアドバイスを送るとしたら、どのような言葉をかけますか。
今は学生で起業する方が徐々に増えていますが、ただその流れに乗って起業することはおススメできません。「自分のやりたいこと」を実現するために起業という選択肢が最適だと自分の中で腑に落ちたら、起業するのが良いのではないでしょうか。
「自分のやりたいこと」を言語化するのは、すごく難しいことです。だから、自分の行動から判断するしかないと思います。私たちはDCON期間中にさまざまな厳しい言葉をいただきましたし、改善のために多くの時間を費やしました。それだけの行動をしていて、今やるべきことで、それをすぐに実現するための選択肢として有効だと判断したのでしたら、起業はアリだと思います。
西谷 颯哲氏
Sotetsu Nishitani
- 株式会社ToI Nexus 代表取締役
東京都立産業技術高等専門学校 品川キャンパス ものづくり工学科 AIスマート工学コース 4年

2022年4月 東京都立産業技術高等専門学校 品川キャンパス 入学
2025年5月 株式会社ToI Nexus 設立
東京都立産業技術高等専門学校の記事



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